カスピ海に面する、アゼルバイジャンの首都バクーの街並 |
旅の初めに・・・ アゼルバイジャンについての知識は、殆ど皆無と言ってよいほど乏しいものであった。 元はソ連邦ゆえに、ベールに包まれていたせいでもあろうか。しかし調べると独立してから20年以上経過している。 それゆえに、未知の国を訪れるのは大変興味があり。かつ好奇心がそそられる。 |
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アゼルバイジャンの面積は北海道よりやや大きい程度 | 首都はバクー、カスピ海に面する。アルメニアの西に飛び地を有し、自国領にアルメニアの自治州を抱える。 |
コーカサスは黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる地域である。 全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。特に長寿の国々である。ワインの名産地でもある。 歴史的には、ペルシャ(現イラン)、モンゴル帝国、オスマントルコ。、ロシア帝国に次々と攻められ、小国ゆえの苦しみを経てきている。近年ではソ連邦に組み入れられ、3国の住民が移動、生活した結果、ソ連邦解体で独立はしたが、宗教、民族が入り混じり、結果互いの国土に飛び地や自国民の難民を互いに抱えての戦争が絶えなかった悲劇と怨念が残っている。 |
ワンポイント情報 ・国名 アゼルバイジャン共和国 ・民族 アゼルバイジャン系(90.6%) |
中東のカタール航空を利用。成田〜ドーハ〜バクー | 日本の映画も20本程度ありサービスが良い |
最初に紙製の下敷き、そしてその上に食事のプレート、初めて・・・ | 機内食は3回、合計18時間(待ち時間含む)のフライト。帰りは蕎麦 |
カタールの首都、ドーハの空港でトランジット | アゼルバイジャンの首都「ヘイダル・アリエフ国際空港」 |
バグー油田 |
首都バクーは小さな港町に過ぎなかったが、19世紀後半に大規模な油田(バグー油田)が見つかったことから「火の国」とも呼ばれている。 また、昔インドからシルクロードを通ってやってきたゾロアスター教徒たちが、天然ガスが湧き出てるこの地を聖地とした、というエピソードもあり、今でも火を灯した拝火教の寺院が存在する。
アゼルバイジャンは南東ヨーロッパのカフカス地方にあるテュルク系(現在のトルコ)の国。1991年のソビエト連邦崩壊の後、独立した。 アゼルバイジャンはソ連崩壊後に独立を取り戻した。だが、アルメニア人が比較的多く居住しているナゴルノ・カラバフ自治州は、アゼルバイジャンにあて1991年に独立を宣言、これにアルメニアが支持を表明した。アルメニアとは1994年に停戦合意したが、ナゴルノ・カラバフ自治州の問題が解決しておらず依然紛争が続いている。同州が事実上独立状態となったことにより、アゼルバイジャンは国土の16%を失い、80万人あまりの難民を抱えている。 アゼルバイジャンには多くのおいしい食べ物がある。一番のおすすめは「ヤルパッグドルマス」という食べ物で、葡萄の葉で牛肉と御飯を包む料理である。 宗教的にはアゼルバイジャンではイスラム教シーア派が優勢だが、教義を遵守している人はそれほど多くなく、モスクも少ない。特に男性は日常的にお酒を飲む。 ワインは特に有名。 |
意外なほど緑と綺麗な街並が続く | 町まで小一時間、ビルが林立 |
曲線美の建物 | 世界でも稀な建造物 |
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アメリカと思わせるような奇抜な建造物群 | 高層ビルが | カスピ海が見えてくると首都バグー |
バグー(首都)の街 |
人口200万人、カスピ海西岸に突き出したアゼルバイジャン最大の都市である。大規模な油田(バクー油田)をもち、帝政ロシア時代から石油の生産地として発展してきた。
気候は晴天が多く、乾燥している。寒気と暖気がぶつかることで起きる強風が時折吹き付ける。海岸は美しく、市街近郊には温泉や鉱泉がある。 市街の中心はその南西部にあり、イチェリ・シェヘルすなわち「内城」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街と、帝政ロシア支配時代にその周囲に築かれた新市街とに分かれる。その周囲、北から東にかけての平地から丘陵の斜面一帯にソビエト連邦時代につくられた市街が広がっている。 バクーでの石油の採取は紀元前より行われ、皮袋に詰められラクダでイランやイラクに運ばれたという。その石油は灯火用あるいは建物や船のモルタルに、あるいはミイラの防腐剤として使われた。 19世紀半ばに米国で近代化された石油産業はバクーにも製油技術をもたらし、この地を訪れたロベルト・ノーベルが着目。リュドビック、アルフレッドと共にノーベル兄弟石油会社を設立。 |
高さ162m(1位は北朝鮮)旗の横幅70m、縦幅35mは世界一 | カスピ海に面して造船所 |
国中を石油パイプと天然ガスパイプが走る | ガスの火 |
2007年にユネスコの世界遺産に登録。 岩絵に描かれているのは、太古の人類や動物、戦い、宗教的な舞踏、闘牛、武装した漕ぎ手の乗る小舟、槍を携えた戦士、ラクダの隊商、太陽や星々など多彩で、平均して5000年から20000年遡ると考えられている。 |
3つの丘に岩絵が発見される | 太古の人類のモニュメント |
コブスタンと読める | 右上は世界遺産のマーク |
上は船と人、下は人間か | 動物 |
踊りの様だが、まさかこの時代盆踊り? | 数度の大地震で岩が崩れかなりの部分が破壊された |
バクーの旧市街のシンボルである乙女の望楼へ。高さ28m、壁の厚さ4.5mという堅牢な石造りの要塞。この要塞はバクーを統治していた王(ハーン)が紀元前6世紀の土台を利用して12世紀に建造したという。かつては二重の城壁があり、塔のそばまでカスピ海が迫っていたらしい。以前は拝火教の寺院もあったそうだ。 【乙女の望楼の悲話】かつてバクーを治めていた王の娘が、父である王に言い寄られ、嘆き悲しんだ娘はカスピ海に身を投じて入水自殺したという悲話がある。 |
工事中で中は入れず |
望楼に鳩がとまり糞害被害が多い | 対面のこのビルの壁に鳩の住居作り、転居要請 | 住居は無料、元の望楼の居住権有りと人気薄 |
カスピ海 |
カスピ海は、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖。世界最大の湖である。 この湖に接している国は、ロシア連邦、アゼルバイジャン共和国、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンである。流入河川は130本にものぼるが、流れ出す河川は存在しない。 面積は374,000 km²ある。なお日本の国土面積は377,835km²なので、カスピ海のほうがわずかに狭い。 島は28、多くのチョウザメが生息し、その卵はキャビアとして加工されている。 カスピ海周辺には大量の石油が埋蔵されている。カスピ海で最も早く油田生産が始まったアゼルバイジャンがバクーを中心として一大石油生産地となっており、ロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、イランでも探鉱が進められている。 |
国 | 石油( 千 bpd) | ガス(百万m3/日) |
アゼルバイジャン | 1,078 | 48 |
カザフスタン | 1,783 | 64 |
トルクメニスタン | 197 | 123 |
ロシア | 175 | 32 |
ウズベキスタン | 122 | 167 |
カスピ海で出遅れたイラン イランは、100年以上の時を超えて初めて、2012年カスピ海で油田を発見した。 |
カスピ海と首都バクー クルーズ船から見た街 | この船で約1時間、港湾を一周 |
識字率98.2%、平均寿命68才のアゼルバイジャン | コーカサスは美人が多い事で有名 |
フレムタワー、ガスの炎を表している。ホテル等が入る。高さ140m、3棟、原油を象徴する炎の形を現している。 | フレムタワーの向かいにイスラムのモスク。この国は1日5回とか、食べ物、飲酒などにあまりこだわらない。トルコの様に柔軟。 |
殉教者の小道 |
殉教者の小道からカスピ海を見る |
アゼルバイジャン共和国の首都バクーにある墓地。 町とカスピ海を一望できる高台にある公園。市街中心部南西の高台に位置する。旧ソ連時代末期のバクー制圧の犠牲者やアルメニアとのナゴルノカラバフ戦争の戦死者が眠る。 |
綺麗な墓地 | この国は故人の写真が飾られる | 戦争で亡くなった人々の墓地 |
本日は戦争の犠牲者に国を挙げて御参り | 老若男女 | 写真に写る女性は皆美人、不謹慎? |
墓地から見る首都バグーの街並とカスピ海 |
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こぼれ話・・・(現地ガイドのお話と感想) ・ヨーロッパでトイレの戸をノックする日本人、しかし、ヨーロッパではトイレに入っている人に「出ろ!」のシグナルです。入っていない時は戸を開けておくのです。 ・鼻水をすする日本人、何故出たものをまた入れるのですか? ・日本人は花・木・魚の名前を聞きたがる。こちらではあれは花、木、魚としか答えられません、知らないのですから。日本人がこれらの名前を一番知っているようです。 ・観光バスの乗客。イタリア人、中国人、韓国人が一番うるさく汚します。もう乗せたくありません。日本人は大人しく絶対に汚しません。大好きです。 ・昔、中国の飛行機の客室乗務員を「空中飯盛女」(くうちゅうめしもりおんな)と云いました。面白いですね〜。 |
巨大な国旗が翻る | バクー市庁舎 |
当時この地(シルヴァン地方)を治めていたハーン(王)の一族が14、15世紀に建造したといわれている。 シェハマの首都が地震で破壊された後に、バクーに遷都したもので、宮殿は地上に24部屋、地下に28部屋ある壮大なもの。 入口の間、客間、謁見の間を持つ王宮をはじめ、白州や地下牢、裁判官の間がある裁判所、ドーム屋根のモスク、会議室、廟、浴場などがある。 |
700年の歴史を刻む宮殿 | 宮殿内にはピスタチオ(ナッツ)の木が |
シルクロードのキャラバンサライ(隊商宿)風のレストランへ | シルクロードに思いを寄せながら |
コーカサスは野菜が豊富 | ビールも美味い | スープも |
アゼルバイジャン料理サジチは、肉や野菜を鍋で煮込んだアゼルバイジャンの名物料理。 | 最後は茶 |
石造りの国立絨毯博物館。中世から現代にいたるまで国内各地で織られたカーペット6000点が収蔵されている。いくつかに仕切られた部屋には、年代別、地域別に仕分けされた絨毯が展示されている。 ラクダ106頭を織り込んだもの、孔雀や小鳥、ドラゴン、あるいは生命の樹や鷹匠をイメージしたものなど。すでに技法が絶えてしまった貴重な作品も紹介され、ほかに糸紡ぎ機や民族衣装14点なども展示されている。撮影禁止 |
ノーベルと言えば「ダイナマイトの発明」、「ノーベル基金の設立」、そしてバクー油田の開発と石油産業の近代化を進めたバクーの石油王であることで知られている。そして、その石油産業が共産主義を育んだことを・・・。 カスピ海の沿岸都市バクーは石油掘削ヤグラが乱立している。カスピ海には原油が流れ込み悪臭ガ立ち込め環境は悪かったという。しかし、小規模鉱区が多く、約415の手掘り油井があったといわれている。1873年に最初の油井が噴出したことからノーベル家の活躍が始まる。 1873年スエーデンの発明家イマヌエル・ノーベルの息子ロバート・ノーベル(長男)がバクーを訪れる。イマヌエルには3人の息子がいた。次男のルドブィッヒは父の仕事を受け継ぎ軍事産業を営んでいた。そのころ、バクーは既に規模は小さいものの石油産業が芽ばえ街は栄えていた。長男は弟達からの資金援助もありバクーでも強力な精製業者となりつつあった。 彼らは掘削業者、包装業者、輸送業者を傘下にいれ一大石油産業を確立。さらに、油井と製油所との間にパイプラインを敷設し、『ロベルト・ノーベル製油所』を設立し国際石油会社としての地位を築く。 一方、末弟のアルフレッドはダイナマイトの発明者(1867年)であり、ノーベル基金の設立者となる。 そして世界の大富豪でユダヤ系ドイツ人のロスチャイルド家が、ノーベルの成功に刺激され1886年に莫大な資金を投入し『カスピ海・黒海会社』を設立した。 その頃、バクーの石油労働者の労働条件や生活条件は過酷であった。バクーは『カスピ海沿岸の革命の温床』になりつつあった。バクーと石油産業は将来の革命の指導者を育てる場所となりつつあった。 |
博物館 | ノーベル3兄弟 | 写真、机等 |
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この寺院はイスラムの流入によってこの地を追われたゾロアスター教徒がインド西北部に逃れ、その地でシヴァ女神信仰と混合するなど、ヒンズー教の影響を受けつつ引き継がれた拝火教が、パールシーと呼ばれるその信者によってアゼルバイジャンに18世紀に再建された拝火教の寺院だそうだ。彼らは隊商としてこの地を訪れており、宗教センターとしてだけでなく、商業活動センターとしての機能も併せ持つのがその特徴だったという。 建物は18世紀のもので比較的新しいが、ゾロアスター教の寺院として、地中から吹き出る天然ガスにより赤々と灯された炎が人々の信仰を守ってきた。現在この寺院は『永遠の炎』を真中にした広場とその回りの石造りの僧房が残っているだけで、ひっそりと存在している。 |
拝火教寺院 | 古代の火が燃えさかる | 当時の想像図 |
アゼルバイジャンは石油櫓(やぐら)が村の数より多い、と言われる |
アゼルバイジャンの石油パイプラインルート 1.北ルート 2.西ルート アゼルバイジャンは旧ソ連邦の1国。しかし将来はロシアから離れて、安定した西側諸国入りしたい。EU参加が当面の目標。 |
燃える山、マンマンディと呼ばれる地方のここでは,天然ガスが吹き出ており,自然発火したものが,ずっと燃えている。 多分2000年,3000年とこれが拝火教とも称されるゾロアスター教を生むトリガーになったと言われるようだ。なおマンマンディ以外にも火が吹き出ているところはあちこちにもあるそうである. |
アゼルバイジャンは資源の宝庫 | 何千年も燃えさかる火。古代人は神のお告げと信じるのも無理はない。ゾロアスター教はここから生まれたのであろう。 |
ナスの前菜とサラダ | スープ | メインはカツかな? |
郊外に出ると牧畜、畑作も見られる | 農業もそれなりに |
どの国も大統領の宣伝・・・ | 牛、羊、豚、馬、犬も猫も鶏も・・・全てが放し飼い |
2013年新築、元のモスクは700年代だが大地震で崩壊 | スンニ派、経典が並ぶ |
まだ一般公開はされておらず。ガイドのコネで入る | 絨毯の上の模様に従い、そこへ座りお祈りする |
11世紀ごろ、ペルシャの亡命貴族が興したシルヴァン王朝の首都。 農業と絹の東西交易などで栄えた。しかし、度重なる地震が町を破壊し、機能を衰退させ、12世紀になると勢力は次第にバクーへと移っていった。 市内にはコーカサス最古のモスクなど当時を物語る建物や古い町並みが残り、絨毯とワインの名産地である。 |
●歴代王の墓所 7つのドームがある丘。シェマハの町を見下ろす高台に廟が並んでいる。ドームの屋根には雑草が生え、年を経た風格が漂っている。 7つあるドームはシルヴァン王朝の歴代王の墓所。その周辺には数多くの墓碑が倒れかかったり、横倒しになったりしている。 |
11世紀の墓 | 大地震で崩壊、わずかに残る |
長さ1200kmのコーカサス山脈 | 4000mクラスの山が連なる |
コーカサス山脈は、黒海からカスピ海まで東西に走る山脈。 ギリシア神話では、コーカサスは世界を支える柱のうちの一つでゼウスがプロメーテウスを鎖で繋いだ場所でもある。 西側にヨーロッパ最高峰エルブルス山(5,642m)やカズベク山(5,033m)などの高峰が集まる。 |
コンビニは無いが、国道には露天が並ぶ | 様々な商品が並ぶ |
屋外のバーベキュコーナーへ | スープ | メインはケバブ、抜群に美味しい |
池にいたガチョウのファミリーも臭いにつられ | イケ面のお兄ちゃんが茶をたてる | ホッとするティ・タイム |
ガーデンに咲く花・花・花 |
ナゴルノ・カラバフ紛争により発生した難民キャンプが数多く ある | 国道に面した建物は非常に粗末 |
主婦はたくましい。自力でパン(ナンより厚い)を焼き販売 | こんな大きな(30cm)パン2枚で120円。支援の為買いました |
シェキの街 | 隊商宿(キャラバン・サライ) |
大コーカサス山脈の南側に位置する古都。町の歴史は3000年ほども前に遡り、養蚕が盛んな絹の町として栄えた。シェキ汗(ハーン)の統治は1805年、帝政ロシアに征服されるまで続いた。 現在は人口6万人あまりを数えるアゼルバイジャン第4の都市である。旧市街にはシェキ・ハーンの宮殿や城塞などの遺構がある。 |
シェキの街並 | シェキの街並 |
この宮殿は1761年から7年の歳月をかけて建てられ、釘を1本も使わない木組み構造宮殿だが、ロシアとイランとの戦いの時に40ほどあった建物は破壊され、現在残っているのはわずかである。 |
宮殿入口 | 300年の歴史建物 |
シェキ・ハーン宮殿の立札 | 内部 釘は使われていない |
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シルクロードの中継地宿 入口は強固、賊を防ぐため | キャラバン・サライと読める |
子供達が集まる | エントランス | 二階が宿泊場所 |
コーカサスはパンがモチモチで美味しい | この地はワインのメッカ | 常に野菜が大盛りで |
スープ | 運び方のお兄さん | サジチ料理(肉と野菜の煮) |
野菜・果物が豊富に並ぶ | ブドウは抜群に甘くておいしい | スイカも甘い |
品定めの主婦達 |
綺麗です〜 |
旧ソ連邦時代からの配管は地上に | 地下埋設は故障の時困るので地上へ |
トウモロコシ畑が多い | アゼルバイジャンとグルジアとの国境 |
ナゴルノ・カラバフは、アゼルバイジャンの西部にある自治州だった地域。 独立側ではアルツァフ共和国と自称している。ナゴルノ・カラバフという呼称は、ソビエト連邦時代にカラバフ地方の東部山岳地方に対してロシア語で「ナゴールヌィ・カラバフ」(高地のカラバフ)と名付けられたことが元になっており、現地のアルメニア語やアゼルバイジャン語には基づかない。 本自治州は、アルメニア高地の東端に位置し、3000メートル級の山地に囲まれ、標高1000〜2000メートルの高地にある。クラーク川やアラクス川の流域を見下ろす地である。森林に恵まれ、高地には高山性植物が群生している。 |
ステパナケルト遠景 | ステパナケルトの目抜き通り |
ステパナケルトは、国際的にはアゼルバイジャンの領土とされていながら、事実上、同国から独立しているナゴルノ・カラバフ共和国の首都である。 町には5万人程度のアルメニア人が居住しており、他方でアゼルバイジャン人の住民は、ナゴルノ・カラバフ戦争の時に全て町を脱出している。 |
事件 | 年代 | 犠牲者数 | 加害者→被害者 |
文化大革命 | 1966〜1977年 | 5,000万人以上 | 毛沢東→国民 |
大粛清 | 1930年〜 | 700万人 | スターリン→反体制者、宗教従事者 |
ヒトラーの大虐殺 | 1942〜1944年 | 500万人 | ドイツ→主としてユダヤ人 |
オーストラリアのアボリジニ狩り | 19〜20世紀初頭 | 数百万人 | オーストラリア入植者→原住民アボリジニ |
ポル・ポト政権の大虐殺 | 1975年〜1979年 | 170万人 | ポル・ポト政権→カンボジア国民 |
アルメニア人の大量虐殺 | 1915年 | 150万人 | オスマン・トルコ→アルメニァ人 |
ルワンダ共和国の大虐殺 | 1994年 | 100万人 | フツ族→ツチ族 |
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旅を終えて・・・ 今回の旅はアゼルバイジャンをはじめ、アルメニア、グルジアの3カ国をめぐった。 しかし、そのエネルギーの争奪戦でロシアの圧力が、そしてアメリカの策謀が・・・。どちらとも等距離でとの思いがどこまで通用するかが課題であろう。 旧ソ連の思惑で翻弄されたコーカサス地方。独立した今も、力を回復してきたロシアがまたもや連合体を作るべく策謀しているようだ。 世界は過去も今も、ロシアやアメリカ、そして中国が参入して、またイスラムの動向次第で否応なく振り回されそうである。 |