バングラデシュ紀行
ガンジス川の下流、バングラデシュには世界最大のマングローブ天然林が広がる。そこでもっとも危険なのがベンガルトラ。蜂蜜取りの人々は恐ろしいベンガルトラによって毎年100人前後の被害者を出しているという。 |
旅の初めに・・・ 2014年4月、懸案のバングラデシュの旅に出かける事が出来た。 バングラデシュで思い出されるのは、人口の多い国、アジアの国の中で最も貧しい国、昔は東パキスタン、最近は縫製工場で中国から多くの企業が移動していること位であろうか。 海外旅行の中での情報として、多くの人がバングラデシュは貧しいが、住民は優しく人柄がとっても良いとの評価であった。 そのようなバングラデシュに期待して機上の人となる。
インドを挟んで昔は東パキスタン
旅行行程はほぼ一周
ワンポイント情報 ・国名 バングラデシュ人民共和国 ・民族 ベンガル人が大部分を占める |
☆ 出 発
成田〜香港はキャセイ航空 | 香港〜ダッカは香港ドラゴン航空 | 飛行時間は9時間程度、機内食2回 |
☆到着・・・ダッカ (首都)
街中には約40万台とも80万台とも言われる、リキシャが毎日行き交う事でも知られる。
バングラデシュの首都であり、都市圏人口はバングラデシュ最大の1,464万人であり、世界第9位である。
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シャージャラル国際空港 | 人が多い。1億5000万人、国土は日本の40% | 駅前にはリキーシャが勢揃い |
☆ホテルへ
ホテル入口は物々しい警戒、警官が待機 | お巡りさんに聞くと、クリケットの世界大会のせい | ホテル中庭にはパトカー。大会事務局員が宿泊 |
クリケットの参加国の国旗が並ぶ、今年はスリランカが優勝とか | ホテルの部屋の窓から中庭を見る |
ウエルカム・フルーツ、花は生花 | 朝食はビュッフエ・スタイル |
部屋には聖書が | バングラデシュはイスラム国家、コーランが |
教典(経典) 日本や世界のホテルに宿泊すると、必ずベッドの傍にあるのが聖書やコーラン、殆ど読めないし意味もわからない。だが他の宗教では皆無と言うほど見た事が無い。何故? ・キリスト教〜聖書 ・ヒンズー教〜マヌ法典他 |
☆ダッカの街並み
リキーシャは40万台とも80万台とも言われているが、正確な数字はとらえられていないという |
ホテル前の朝の風景、リキーシャと物売りが多い | トラックやバスの屋根に乗るのはこの国ではOK! |
こちら人力リキシャ(人力三輪車) |
こちらはCNG(天然ガス利用) |
首都だけにビルも多いが殆ど古い | 建築中だが資金難のためか放置? |
バスは古く汚いのが多い | たまには綺麗な二階建てバスも |
ゴミは放置されているのが多い。放し飼いの羊の餌 | 露天が多い | 朝はリキーシャが大忙し、タクシーは殆ど見えない |
乗物待ちのサラリーマン | スイカが食べごろ |
塗装するという文化は無いようでして・・・ | 奥は床屋さん、手前はポンプが何処でも現役 |
重りで測る商売 |
郊外の学校 | 人口の62%は農業に従事し、国民の7割以上が農村に住む |
☆ バングラデシュとは・・・
近年は中国の存在感が強まっており、幹線道路の拡幅工事は中国の支援の下、中国企業が請け負っている。その他、発電所の建設や橋の整備等官民あげてバングラデシュへの関与を強めている。 バングラデシュは貧困国であるため、世界各国から多額の経済援助を受け取っている。日本は最大の援助国の一つである。 バングラデシュは内外問わずに援助を受けているにもかかわらず、過剰な人口や政治汚職などによって未だに貧困を脱しきることが出来ないでいる。 人口の62%は農業に従事し、国民の7割以上が農村に住む。主要農産品はコメおよびジュート(コウマ・シマツナソ)である。コメの生産量は世界第4位である。 国際関係でインドとは、独立戦争時の経緯や独立時の与党アワミ連盟が親インド政党だったこともあり独立当初は友好的な関係だったが、もともとムスリムとヒンドゥー教徒の対立がパキスタンへの編入を促した事情もあり、やがて関係は冷却化した。バングラデシュ民族主義党はやや反インド的な姿勢をとり、逆にアメリカや中国との友好関係を重視する傾向がある。 1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の75%を超える約1億1800万人と推定されている。貧困の為、1997年には出稼ぎ労働者は総計40万人を超えた。出稼ぎ先はイスラム教国が多く、最大の出稼ぎ先はサウジアラビアで出稼ぎ労働者の3分の2を占め、クウェートやアラブ首長国連邦などの湾岸諸国にも多く労働者が向かっている。東では、マレーシアやシンガポールに多い。日本でも、1万人ながらも在日バングラデシュ人が存在する。 「国民総活気量」という言葉があるとしたならば、バングラデシュは世界一。
世界で7番目に人口が多い国であり、都市国家を除くと世界で最も人口密度が高い。
ベンガル湾に注ぐ大河ガンジス川を有する。豊富な水資源から米やジュートの生産に適し、かつて「黄金のベンガル」と称された豊かな地域であったが、インフラの未整備や行政の非能率から、現在はアジアの最貧国に属する。近年は労働力の豊富さ、アジア最低水準の労働コストの低廉さに注目した、多国籍製造業の進出が著しい。
バングラデシュの発展を阻害しているものとしては、多発するサイクロン(暴風)やそれに伴う氾濫などの地理的・気候的要因、能率の悪い国営企業、不適切に運営されている港などインフラの人的要因、第一次産業のみではまかない切れない増加する労働人口などの人口要因、能率の悪いエネルギー利用法や十分に行き渡っていない電力供給などの資源的要因、加えて政治的な内部争いや崩壊などの政治的要因が挙げられる。
近年では中国の労働コスト上昇に伴い、バングラデシュの廉価な労働コスト(月給が中国の1/3)が注目されており、繊維製品等の軽工業製品の輸出は増大している。バングラデシュの輸出の80%は繊維製品によって占められている。
☆ダッカ→モハスタン(仏教都市遺跡)へ
モハスタン遺跡は、バングラデシュ北西のボグラの街から北に18kmのコラタワの丘にある、バングラデシュ最古の遺跡。
「モハスタン」とは、「偉大な場所」を意味する。
要塞地帯を有するモハスタン遺跡は、半径8kmの半円の中に広がっている。また、少し離れた場所には、ゴヴィンダ・ビタ・ヒンドゥー寺院、コダイ・パトール古墳、モンカリール・クンド、パルシュラメール・ベディ、ジヤット・クンドなどもある。 紀元前3世紀に造られたこの遺跡群は、今でもヒンドゥー教徒の神聖な巡礼地となっており、毎年4月中旬と12月12日には、何千というヒンドゥー教徒が、コラタワ川で行われる儀式のためにこの地を訪れる。
モハスタン遺跡にあるモハスタン・ミュージアムには、遺跡から発掘されたテラコッタや金製の装飾品、コインなどを始めとする数々の古美術品が展示されている。
また近くには、シャー・スルタン・ブルキ・マヒシャワール寺院やゴクール・メッド寺院もあり、見どころ満載である。
☆ガンジス川支流を渡る
今回の旅ではガンジス川の支流を数回渡る | どの町にもリキシャ |
☆ランチ・タイム
この国はイスラム国、アルコールは無い。ガイドがオーストラリアのビールを何処かから買い、売っている。しかし、350缶600円 | 主食はやはり米、チャーハンと肉料理が多い |
バナナ | 火焔樹の実 | 火焔樹の花の満開時 |
モハスタン遺跡の入り口 | 広い庭園を通る |
首の取れた仏陀像 | モハスタン博物館 |
バングラデシュには外国人がめったに来ない。日本人が珍しくて・・・ | イスラム国は男女別々の行動。先程は女性ばかり、今度は男 |
紀元前3世紀のヒンズー教跡地 | 建物は既にない |
バングラデシュ宗教の変遷 ヒンズー教 〜 8世紀以前、バングラデシュはインドの領土であった。 仏 教 〜 8〜9世紀、バーラ朝(インドを中心に開いた仏教王朝)の支配で仏教国となる。 ヒンズー教 〜 12世紀、ヒンドゥー教のセーナ朝(ガンジス川を中心とした王朝)の支配で、再び イスラム教 〜 16世紀、ムガル帝国(トルコ系イスラム王朝)の元で、イスラム国となる。 |
☆モハスタン→ロンプール (ヒンズー教の聖地)へ
県庁所在地はロンプールである。
ロンプールとはラジシャヒ管区から2010年1月25日に分離したバングラデシュの管区である。
ホテル |
ホテルには肖像画 |
日本車が圧倒的に多い。殆どが中古車 | 水田が広がる田園地帯 | 途上国に多い動物の放し飼い、豚の行進! |
☆ロンプール→カントノゴル寺院ヒンズー教)
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バングラデシュにあるヒンドゥー教の寺院の中で、最も美しい寺院の一つと言われているのが、バングラデシュ北西のディナジプール近郊にあるカントノゴル寺院。 同寺院は、1752年にマハラジャ・プラン・ナトによって建てられた。3層構造になっており、その壁面は、動物や植物、幾何学模様、神話の一場面、当時の生活様式や娯楽の様子などを模した美しいテラコッタの彫刻で埋め尽くされている。また、この大建築物の下には、砂岩で作られたゆるいアーチ型の台座が置かれている。 |
カントノゴル寺院 |
「牛に引かれて善光寺参り」 ならぬ 「カントノゴル寺院参り」 |
テラコッタ(素焼きの焼き物)の見事な彫刻 | 壁面が全てテラコッタ |
寺の境内にもポンプ | 寺のトイレ | 寺男ならぬ寺猫 |
☆カントノゴル寺院(ヒンズー教) → パハルプール(仏教遺跡)へ
バングラデシュの一般的燃料は薪、道路脇に大量の木が並ぶ |
山が無いバングラデシュだが、木は多い。国道は緑のトンネル | デコレーション・トラックはインド、パキスタンと同様 |
☆インドとの国境
線路の右側に国境線、左の小屋は監視小屋 | これが国境 | 国境の町 |
動画・・・東海林太郎: ♪ 国境の町 歌:beni9jyaku(紅孔雀) |
バングラデシュの稲穂、年3回収穫、それでも米が不足でタイ等から輸入。国民の多くは日に5〜6回もおやつ代わりに米を食べると云う。何故?貧しくて副食が無いため。1日2ドル以下の生活 |
☆米の生産量順位(もみ付き) 2012年調べ
順位 | 国名 | 生産量 | 人口 | 消費量 | |
1 | 中国 | 1億4000万トン | 13億5000万人 | 1億3650 | |
2 | インド | 9700万トン | 12億6000 | 9300 | |
3 | インドネシア | 3760 | 2億4000 | 3910 | |
4 | バングラデシュ | 3300 | 1億5600 | 3400 | |
5 | ベトナム | 2500 | 9170 | 1950 | |
6 | タイ | 2100 | 6600 | 1100 | |
7 |
ミャンマー | 1100 | 5000 | 1020 | |
8 | フィリピン | 1080 | 1億 300 | 1340 | |
9 | ブラジル | 790 | 1億9800 | 840 | |
10 | カンボジア | 780 | 1500 | 420 | |
11 | 日本 | 768 | 1億2640 | 825 |
☆民家でバングラデシュ食事 (パハルプール)
この路地の左側の民家へ | 囲炉裏でご飯を炊いている |
日本の倉庫の様な部屋 | ジャガイモ、ナスのペースト、チキン | 揚げ魚、焼きナス、野菜の煮物 |
どこか懐かしい | 右がダール(豆カレー)、恐る恐る食べてみる。これも旅の冒険 |
ヤギもお食事タイム | ヤギのベビーはペット、この国の子供は坊主にされる、良い毛期待 |
☆仏教遺跡 パハルプール(世界遺産)
8世紀半ばから、9世紀にかけて建設された仏教寺院遺跡群。 バングラデシュはイスラム教国であるが、当時、この地域はパーラ王朝の支配を受け、その時代には仏教が大いに栄えた。 これと共に、この地域には多数の仏教寺院が建設され、その最大級のものがパハルプールである。 ちなみに、ベンガル語でパハルは「山」、プールは「中核」を意味する。
サマプリマハ僧院は、一辺約300m四方の正方形の厚い煉瓦の周壁の中に177もの僧房、72の台座、中座、仏舎利塔があり、1000人もの僧を収容出来たという巨大な寺院である。 |
動画・・・パハルプール遺跡 |
博物館 | 一辺約300m | 177もの僧房があった |
72の台座 | 1000人もの僧を収容 |
仏舎利塔 | テラコッタ | 8世紀のもの |
☆パハルプール→ボグラ (物流と商業の中心地)
ボグラは、バングラデシュの中でも古く小さい町。北部への入り口で、物流や商業的中心地である。 観光と言うより、世界遺産のパハルプール(北西へ53km)や、モハスタン(北へ6km)へ行く為の 拠点である。ボグラの周辺は古い遺跡が散らばっている。 |
どこかの国に似ている国旗 | ボグラ のホテル | 朝食、卵焼きがでた〜、右はお粥 |
この国は竹が多い、国道を自転車で竹を運ぶ | 主に建築資材、壁や柱にも使う | 米の集積場 |
道端でも米を売る | 何か知らんが、買えという |
バングラデシュは何処へ行っても人が多い、活力が溢れている |
冷凍設備が殆どない国、吊り下げた肉はその日の内に売る? | 米を広げて、「サ〜買った、買った〜」 |
ガソリンスタンドのトイレ、大はどうするんだ? | トラクターも立派な運送 | スゴ〜イ! |
☆ボグラ→プティア (ヒンズー寺院群)
これは粘土にレリーフ彫刻をほどこして、釉をかけずに焼いた素焼きの陶板で、そこには素朴ながら、「ラーマーヤナ」 や 「マハーバーラタ」 の説話、そして神々や動物のほかに 民衆の日常生活などが描かれている。
プティアの寺院群は、ヒンドゥー教が復興した時代のもので、建築様式は全てレンガ造で、その表面は 赤茶色のテラコッタ・パネルで覆われている。
プティアの街 | 線路の上にも出店が、1日に2度しか記者が来ないので |
☆ゴビンド寺院 (ヒンズー教寺院)
ゴビンド寺院は、壁面のテラコッタに加えて建物の形も面白い。パンチャ・ラトナ(5つの尖塔)型と言うそうだ。 |
ゴビンド・テンプルの看板 | 尖塔が5つ、まるでロシア正教会のようだ |
建築様式は全てレンガ造 | ヒンドゥー教が復興した1200年の時代 | 壁面はテラコッタ |
中庭の向こうには・・・ | 何やら宗教的なお祈りと楽器での演奏中 |
ヒンズー教の神様 |
ここで生贄のヤギの首をはねる、赤い血の後が生々しい | ラッパ演奏のオジサン |
動画・・・バングラデシュのゴビンド寺院 |
☆シバ寺院 (ヒンズー教寺院)
シバ・テンプル | お城の様 | 栄華の香りがする |
当時の城閣の堀 | 寺院の中には、男性のシンボルが。神様の一物は大 | シバの神様 |
☆プティアの街並み
毎週金曜日開催、ジョルモリアの市場 | 秤で売る魚屋さん | 写真を取れと・・・ |
ガンジス川で捕れた魚 |
野菜コーナー |
果物コーナー |
香辛料コーナー |
☆プティア→クルナ (第3の都市)
バングラデシュ第三の都市で人口135万人。 クルナは首都ダッカより南西方向に 375 km 離れており、空路、道路、鉄道、水運により連絡する。北西にあるジェソールとの間にバスおよび船便がある。 クルナはまたユネスコの世界遺産(自然遺産)シュンドルボン国立公園へアクセスする場所のひとつでもある。 |
バングラデシュのガンジス川に大きな橋が4つ、そのうち3つは日本の援助で造られている。その標識 | 援助なしではインフラは難しい国 |
☆ランチ・タイム
スープ | モモの様、肉詰め | ナン、野菜炒め、ポテトフライ等 |
唐辛子で一番辛いのは緑、貧民の多くはこれがおかずの代わり | 食後の口直しにはコレ、ゴマ風と米が混ざっている |
クルナの街 | 首相(右)のポスター |
☆クルナ→バゲールハット(イスラム都市遺跡) (世界遺産)
15世紀前半、ベンガルのデルタの海岸に面する大湿地帯に、イスラーム神秘主義のスーフィー聖者であるペルシャ系のカーン・ジャハーン・アリが来往し、360ものモスク(現存は9つ)を抱える都市バーゲル・ハットを建設した。そして、バーゲル・ハットはベンガル地方の重要な商業中心地として栄えた。ムガル帝国期以前のモスクの中ではバングラデシュ最大の都市遺跡である。 遺跡内にはモスクや霊廟など50にもおよぶ建造物があり、そのほとんどがカン・ジャハーン様式により建設された。カン・ジャハーン様式は、ムスリム様式とデリーのトゥグルク様式を混合した建築様式である。中でも、1459年に建立されたサイト・グンバッズ・モスク(世界遺産)は、カン・ジャハーン様式を如実に反映している。 |
世界遺産マーク | バーゲル・ハットの文字が右下に | 広大な庭 |
☆サイト・グンバッズ・モスク(イスラム)
「サイト・グンバズ・モスク」は「60のドームを持つモスク」を意味しており、屋根には60のドームが並んでいる。しかし、メインの幾何模様配置以外のドームも合わせると77のドームがある。
レンガを組み合わせて大きな屋根を支えるため、規則正しく並んだ柱と、下から見上げるドーム群は壮観・圧巻である。
サイト・グンバズ・モスク看板 | 60のドームを持つモスク |
モスク内 | 天井はアーチ型 |
モハジーンは毎朝のアザーン奏者 | アザーンを披露してくれる |
動画・・・バングラデシュ:サイト・グンバッズ・モスク |
庭には池、ハスの花が鮮やか | カモが優雅に泳ぐ |
ヒンズー教からイスラム教への転身 15世紀前半、当地はヒンズー教の地域であったが、水が悪く次々と疫病や病気で苦しめられていた。 そこにイスラム教の聖者、カーン・ジャハーン・アリが洗われ、この土地で一番困っているのが「水」である事を聞き、水対策として360の池を作り、そこに雨水をためて飲み水としてから、多くの人々が救われたという。 次にその360の池の傍に建てたのが360のモスク。人々は差別の多いヒンズー教から、平等とされるイスラム教へと転身し、やがて国中がイスラム化したという。 |
☆バゲールハット→ブリゴアリニ村(クルーズ船乗り場)
ブリゴアリニ村はシュンドルボン国立公園の入口。 人口およそ5000人の、バングラデシュにある村。 クルーズ船の出発地点である。 一番おいしい蜜を吸って、体が重くなったハチを追いかければハチの巣にたどり着けるのだという。 |
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この地域の住宅はマングローブの皮で作る | 屋根も壁もマングローブの木 | マングローブは炭にも、日本でも販売される |
移動ホームセンター | 愛想のよい国民 | 屋根の料金は安い、ただし列車の屋根は無料 |
エビ養殖池 | この地帯は養殖池地帯、泥棒監視のための簡易住宅 |
お金が出来たら1階づつ上に重ねる、枠は木 | 緑が優しい |
悩み多いバングラデシュの「ヒ素対策」 人類史上、最悪かつ最大規模の環境汚染。バングラデシュでは1億5千万人の人口のうち3千万人以上と言われる人々が基準値を超える濃度のヒ素を含む井戸水を毎日飲み続けているという。 ヒ素は、地殻中に広く分布し、火山活動などにより自然に、また鉱石・化石燃料の採掘や産業活動に伴って人為的に環境に放出される。特にインド、バングラデシュ、中国などでは、地下水に高濃度のヒ素が含まれている地域があるという。 ヒ素に汚染された水を数年から数十年にわたって飲み続けると皮膚の色素沈着や角化症を起こし、その後胃腸炎、肝障害、心臓血管系循環障害などが多くの臓器に発症し最悪の場合は発ガンに至る。 ヒ素中毒患者の発見と治療活動も重要な課題だが、保健・医療施設や人材が絶対的に不足しているバングラデシュでは、全国隅々まで患者発見と治療システムを行き渡らせるのは極めて困難な状況であるらしい。 NGOなどの協力で対策が打たれているが効果は薄い。 |
☆シュンダル・バン国立公園(世界遺産)
「海の森」がつくりだす美しい景観が続き、国境を越えてインド側に広がるシュンダル・バンは世界最大のマングローブ地帯として知られている。 チッタゴンにつぐ漁港をもつモングラは、ベンガルトラなどの希少動物もいる。
バングラデシュ南西部のベンガル湾にのぞむ一帯はシュンダル・バンと呼ばれるマングローブ地帯になっていて、世界自然遺産にも指定されている。
世界自然遺産シュンダル・バンはインドとまたがり約6,000平方mにも広がる森林である。
☆クルーズ船乗船 (ブリゴアリニ)
乗船場 | これがガンジス川の下流につながる |
先ずは小型の船で | 3階建てのこの船で、3泊4日のクルーズ | その名前も、ベンガルツアー |
ガイドのファルクさん。
THE BENGAL TOUR LTD |
ベンガルツアーズのメンバー日本語ガイドチームは、日本滞在経験の長い、日本・日本人のことが大好きな面々です。(彼が今回のガイド;ファルクさん) |
クルーズ船の屋上でランチ・タイム | この辺で捕れるエビもある |
☆シュンダル・バンの蜂蜜採り
シュンドルボンは自然の宝庫。ここでは良質の蜂蜜を採ることが出来る。 毎年、蜂蜜を採りに地元の人々がシュンドルボンの奥地へと入っていき、蜂蜜を採取している。彼らはハニーハンターと呼ばれている。 シュンドルボンはベンガルタイガーの王国。蜂蜜を取りに来ているハニーハンターを虎視眈々と彼らを狙っている。毎年虎に襲われ命を落としてしまっているという。彼らが命がけで取った蜂蜜は、とても美味しいと評判である。 |
長老で名人のダリさん | ボートで、森林レンジャー2名が同行 | 総勢13名のスタッフに守られ出発 |
動画・・・世界最大のマングローブの森へハニーハンター |
トラ除けの為にライフルを2発、スタッフは大声で進む。緊張が走る。 | 下はマングローブの沼地 | スタッフは蜂が嫌がる煙を出すため、枯れたマングローブの枝を集める |
枯れた枝と、生のマングローブの葉を合わせて束ねる | 彼らは貧しいため、殆ど無防備 |
素早い動き、すばやくしないとトラに襲われる | 観光客は帽子、ネット、マフラー、靴を貸与され完全防御 |
火をつけてたいまつとする | 彼らは防御としてマフラーを頭に巻くだけ、先頭が見つけたハチの巣に一目散、観光客はヘッピリ腰でソロリソロリ |
発見! 赤枠がハチの巣、黒いのが蜂で煙で燻すと逃げ出し、人間に襲いかかる。白く見えるのは蜂が離れた巣の色 |
動画・・・バングラデシュ・ハニー・ハンター |
名人ダリさんは、長男をトラに襲われ亡くしたという悲しい現実を背負いそれでも家族を養うために・・・
この日、二か所の蜂の巣を発見、こんな日は珍しいそうだ。
一個の巣、舐めるとすご〜く甘い
ともさんのふむふむ大辞典より(ネット賃借) ◆ミツバチとの命をかけた共生(バングラディッシュ・ブリゴアリニ村)
ミツバチは、村人に欠かすことができないものです。ハチミツは81の陽気を治す薬だといわれ、家庭医薬として使われる一方で、貴重な現金収入でもあります。中でも1キロ400円もするコリシャの花からとれたハチミツは特に貴重だといわれています。
この花がある地域には、危険なベンガルトラが生息し年間60人近くもトラに殺されてしまう事故が多発しています。それでも村人は家族を養うためこの危険な地へと足を運ぶのです。ハニーハンターであるダリさんも家族のためにハチミツをとりに危険な森へと出発します。
蜜を吸って体が重くなったハチを追っていくのですがそれが大変です。2人二組でお互いに声を掛け合って、船からも笛で位置を知らせます。河川の5mにも及ぶ満ち引きも大敵です。そんな中とうとう見つけたオオミツバチの巣の大きさは1mを超える巨大なものでした。
この採取を1ヶ月続けると一人5000円ほどの収入になり、家族を2ヶ月は養える金額になります。ダリさんはハチミツをもって、神様のくれた宝物だといいます。ダリさんが船上で歌った歌には少し悲しいけど覚悟を感じることができます。
男ひとり ハチミツを採りに行く。母の面倒はたのんだよ、と言いながら。
今夜はこの村が見える場所に船の錨をおろす | 錨を下ろして停泊するクルーズ船、夜は危険で走らない |
☆ベンガルトラ
全長オス270-310センチメートル、メス240-265センチメートル。 体重オス180-258キログラム、メス110-160キログラム。体毛は短い。 背面の毛衣はオレンジや赤褐色、腹面や頬、耳介の内側は白い体毛で被われる。縞は少なく、肩部や胸部に縞のない個体もいる。 インド、ネパール、バングラデシュに住む。 |
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もしもトラがいなくなったら… トラは、自身が属する生態系における食物連鎖の頂点に位置する動物である。 トラのような捕食者がいないと、シカやイノシシの個体数が増えすぎ、彼らの食料である植物が減少し、同じ植物を食料やすみかにしていた昆虫類や小動物にも影響が及ぶかもしれない。 また昆虫類や小動物が減少すれば、今度はそれらを食料としていた鳥やサルといった生物が減少していくうえに、昆虫や小動物に受粉等を手伝ってもらっていた植物類はさらにその数を減らしていくかもしれない。 こうして網の目のように張り巡らされた生物のつながりがひとつ切れてしまうと、連鎖的に様々なことが起こってしまう可能性があるのである。 このように森の生態系の一構成員として重要な役割を果たしているトラだが、人間による密猟や森林伐採による生息地の減少などの理由で、絶滅の危機に瀕している。 、絶滅の危機にあると言われている。 |
動画・・・ベンガル虎の怖さ |
岸にはヤシの実が | 民家の屋根に変わった鳥が |
☆ガンジス川の夕日
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ガンジス川の夕日はとりわけ素晴らしい |
☆ガンジス川の御来光
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早朝、付近の漁師が網を引く | 御来光 |
☆世界最大の単一マングローブの自然と生き物
総面積100万haの大森林地帯であり、世界最大のマングローブ天然林である。この内、62%にあたる57万7,000haがバングラデシュ側に存在する。 シュンダル・バンはガンジス川のデルタ地帯に位置しており、泥が平たく蓄積した湿地帯である。数千の川と水路、入り江が複雑に入り組み、この環境がマングローブの群生地帯を生んだ。一方で多数のシカやワニ、サル、ベンガルトラが棲息しており、その他鳥類も240種類以上確認されている事などから、動物の聖地である。 夏場はサイクロンが襲いかかるため、入域は乾季に限られる。
☆マングローブ・クルーズ
連日小船で二回、付近の村や川の支流を巡る | 川にまでトラは来ないようだ | 住民は愛想良い |
ガンジス川に面した畑には馬や牛が | 工場地帯 | 軍艦か? |
水上民家か? | 村の移動は全て船 | 朝の出勤 |
☆ショナプール (素焼の村)
朝に捕れた魚を見せる |
番犬ならぬ番モウ〜 |
村にお邪魔しま〜す |
素焼の器 | 出来あがった作品の山 | 村の長老か? |
原始的な手作業 | 村のお嬢さん |
村の学校、先生はボランティア | みんな真剣 |
こちらはワンちゃんの学校か? | どくろを回していた |
別な村へクルーズ、この国は風呂には入らない、川で沐浴 |
橋から日本人が来たとどんどん見物人が増える | 川に沿って住宅が建つ |
沐浴、顔洗い、歯磨き、洗い物、洗濯・・・なんでもアリ | 左の人は、全身川に沈み、洗いだした |
☆ガンジス川遊覧
ガンジス川は、インド亜大陸北部を流れる大河。全長は2525km。ヒンディー語やサンスクリットではガンガーと呼び、これはヒンドゥー教の川の女神の名でもある。 バングラデシュ国内だけで河川水路は3100kmにのぼり、国内の物資、人員の移動の4分の3を占めるまでになっている。また、流量の変動が著しいことと勾配がほとんどないこと、流路の不安定さから特に下流域においては洪水が多発し、バングラデシュの問題のひとつとなっている。 |
画像ではのどかに見えるが、不衛生、川は汚れ、ゴミも多く病気になるのが当たり前の環境 |
クルーズ船のお茶室、エアコンなし、連日30度以上、読書しか・・・ | 個室、二段ベッド、扇風機付きだが暑くて深夜まで寝られない |
高床式の漁村か? | 砂利採集船 |
子供達は川で遊んでばかり | 人懐こい子供達は離れない。金品を要求するわけではない |
☆大きな街 ボリシャル上陸見学
各種ジュース販売店 | 歩道で床屋さん、次は右側のヤギさんが待つ | かなり大きな街 |
リキシャ体験乗車、お爺さんで可哀想だった | こちらは若い運転手 |
☆チャンディプール(クルーズ船降場)
シュンダル・バンやダッカから船で容易にアクセスできる川沿いの町チャンドプール。ベンガル湾に近い村である。
スタッフとお別れ | 港は無い、小舟で上陸、戦争映画みたい |
全景 | 4日目にして陸に上がる |
☆チャンディプール→チッタゴン(第二の都市)
バングラデシュ国内最大の港であり、数千年に亘って交易地として繁栄してきた。 現在はバングラデシュの輸出入の主な経路であり、毎年多額の収入を貿易によって得るとともに、国内外からの投資を得ている。港湾施設の開発も進められており、インド洋の潮流に合わせた開発がなされている。
チッタゴンはバングラデシュ第二の都市であり最大の海港である。ミャンマー国境に近い、バングラデシュ南東部に位置する。人口は約350万人(2004年)で、増加傾向にある。
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チッタゴンは人口350万人の大都市 |
イスラム教のモスク | ガイドのファルクさんは、金曜日なので5分だけ時間を下さいと言いつつ、モスクにお参り。日本人からは想像できない宗教感。 |
☆船の墓場(シタクンダ)
世界中から廃船するための船が持ち込まれる解体所がある。世界の海を航海してきた船が最後にたどり着く場所である。 非常に豊富で安価な労働力が原動力になっており、世界中から船が集まってくる。解体された鉄は再生工場へ運ばれリサイクルされて、ダッカなどの街へ運ばれ、建設資材などに使われていいる。廃船から解体された鉄は、バングラデシュにとって貴重な資源となっている。 国道を車で走ると数キロに渡り、解体された部品が道路際に並べられ販売されている。 しかし、この地帯は非合法の企業ばかりだと言うが、堂々と営まれている。不思議な国である。
巨大タンカーなどがほぼ人力で解体されている。巨大な船が満潮時に全速力で岸に向かって突っ込み座礁させ、干潮時にその場で解体されている。
無数の廃船が並ぶ港。危険を伴う仕事である | この船は半分が解体されている。殆どが手作業らしい | 非合法なので観光客は警戒される。地元有力者が特別に案内してくれた |
☆学校訪問
小中学校だが快く許可される。日本ならば考えられないが、途上国は喜んで許可される。文化向上のための一環だろう。 | 小学校高学年、教室に入ると珍しい日本人と言う事で大歓迎。しかし、日本と言う国が理解されていない。トヨタ、日産と言うと判る。 |
好奇心旺盛な生徒達、目が輝いている。この国は義務教育だが、まだ法律では強制されない |
左が校長、中が先生、右はガイド | 写真を撮ってほしくすぐ集まる |
この教室は中学生、女子生徒が多い。イスラム国、とりわけこの国は最近まで女性の教育には宗教上積極的ではなかった。識字率56.8%と非常に低い。 |
最初ははにかむ子供達 | ヒジャブ(頭を覆う)を着用しているイスラム国家 | 好奇心が募ってきた。話をしたくてたまらないようだ |
☆果物店
柑橘類が特別美味しい | スイカは改良している日本ほど甘味は少ない |
☆ボスタミ聖者廟(イスラム教モスク)
バングラデシュ最古のモスクの一つ。 モスク内の大きな池に生育する巨大スッポンに餌を与える事ができ、甲羅の泥を手で洗い清めるとご利益があると言われる。 |
スッポンが住む池 | 1m程のスッポンが沢山 |
ボスタミの文字が見える | モスク内 | 願いを込めて、日本のおみくじと同じ |
☆チッタゴン街並とランチ・タイム
信号が殆どない国、お巡りさんは日傘をさして交通整理。 連日30度以上 | 街の人気レストランへ |
広いレストラン | シーフード・スープ | ビュッフェ・スタイル、甘いビールはもう飽きた |
☆民族博物館
民族文化協会研究所によって運営されている丘陵地帯唯一の民族文化博物館は1978年に設立された。 少数民族の文化や歴史を衣装、装飾品、手工芸品、楽器などの展示物を通して理解を深められる場所である。
博物館外観 | 内部は写真撮影禁止 |
☆第二次世界大戦兵士墓
バングラデシュ南方のチッタゴンに位置し、第二次世界大戦中に亡くなった、日本とイギリス連邦の兵士700人以上が眠る墓地。 静かで美しく整備されている。 |
第二次世界大戦で無くなった兵士の墓 | 1945年は終戦の年 |
白い十字架が印象的、この中央部には日本兵の墓は無い | 敗戦国日本兵の墓は、一つだけ丘の端の方にポツンと |
史上最低のインパール作戦で犠牲となった方々の墓 |
☆ ダッカ日航機ハイジャック事件
日本はバングラデシュに対し、2度の迷惑をかけている。第二次世界大戦とこのダッカハイジャック事件である。 ダッカ日航機ハイジャック事件は、1977年9月28日に、日本赤軍が起こしたハイジャック事件である。 首謀者は丸岡修、佐々木規夫、坂東國男、西川純、和光晴生の5名。 日本政府は10月1日に福田赳夫内閣総理大臣(当時)が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金600万ドルの支払い及び、超法規的措置として獄中メンバーなどの引き渡しを決断し、運輸政務次官の石井一を派遣団長とした。 バングラデシュ軍部中枢を含む政府首脳がこの事件の対応に追われている隙間を縫って、10月2日の早朝に軍事クーデターが発生し、政府軍の士官11名が死亡した。 事件解決に多大な協力を受けた上に、11名の死者を出した軍事クーデターのきっかけを作ったことを受け、事件解決後に日本政府はバングラデシュに謝礼と謝罪の意味を含めて特派使節を送ることとなった。しかし、バングラデシュ政府は日本政府に対し何ら補償や見返り等を求めなかった。 また、この事件における日本の対応は、一部諸外国から「(日本から諸外国への電化製品や自動車などの輸出が急増していたことを受けて)日本はテロまで輸出するのか」などと非難を受けたといわれる。
ハイジャックされた飛行機は、バングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸し、犯人グループは人質の身代金としてアメリカドルで600万ドル(当時の為替レート〈1USドル≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役及び勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した。
日航機 | 当時の新聞報道 | 丸岡修はその後日本で逮捕、他の4名は現在も逃亡中 |
当時の福田赳夫内閣総理大臣 | 運輸政務次官の石井一 |
☆チッタゴンの乗物
タクシーに乗るとナビは日本地図、そう、日本の中古車でした | 強盗に襲われないように防備のバングラデシュ・タクシー |
☆シュボルノエキスプレス(急行列車)
チッタゴン〜ダッカ間はシュボルノエキスプレスという列車で移動できる。 チッタゴン駅を朝6:45発、ダッカ中央駅(コムラプール駅)に13:00着。途中、ダッカ空港前駅(ダッカエアポートステーション)に12:30頃停車する。 |
チッタゴン駅 | 駅構内 | シュボルノエキスプレス急行列車 |
列車の乗務員は愛想が良い、中国とは大違い | 指定席 |
早朝ゆえボックス弁当 | 弁当、コーヒーも販売 | 新聞・雑誌も販売 |
ダッカの手前、ダッカ空港前駅で降車 | 駅構内で寝る市民、構内へは誰でも入れる | ポーターは赤シャツ、トランク二つを頭に40kgはある |
ダッカ空港前駅 | 駅前は青空市が並ぶ |
☆ 再び ダッカ(首都)
街中には約40万台とも80万台とも言われるリキシャが毎日行き交う事でも知られる。 非常に活気溢れる街である。
バングラデシュの首都であり、都市圏人口はバングラデシュ最大の1,464万人であり、世界第9位である。
都市開発によって大幅な建築ブームが起き、新しい高層ビルや超高層建築物は都市の景観を大きく変貌させている。金融業、銀行、製造業、電気通信業やサービス業が大きく伸び、観光業やホテルまたレストランはダッカ経済の重要な要素となっている。 |
ダッカの街の電柱はクモの巣以上の配線、よく事故が起こらないものである |
☆ランチ・タイム
チキンビリヤニ(チキン一つ入れた炊き込みご飯) | 野菜の煮込み | サラダ、青い唐辛子は超辛い |
ナン | カバブ |
チキンカレー | デザートはキール(ライスプリン) |
☆街のスーパー
何でも安い、日本の1/3程度? | お待ちかねの唐辛子、右が一番辛いと言うか、舌や口が痛い |
☆オールド・ダッカ
900万の人々が脈動する街、ダッカは千年以上も前に産声を上げた場所である。 その中で、オールドダッカと呼ばれる街は、近代化して行くダッカの中で、発展から取り残され、古きバングラデシュの匂いを色濃く残している街である。 ここには、保存されるに値するダッカの原風景がある。
過去との邂逅は、53の小道からなる迷路の中に700のモスクと52のバザールを擁するこの街をのんびり歩き、躍動する場の感覚をじかに感じることが可能である。
混雑、渋滞、荒廃、絶望の中に、あるいは多彩な景観の中に、引き出されるべき栄華と美への希望がある。
オールドダッカ |
☆スターモスク(イスラム教)
スターモスクはアリ・ジャン・バタリという富豪のモスリムが建設したモスクで、ダッカのモスクの中では一番美しいと言われている。入り口付近に五角形の星の形をした噴水がある。
スターモスクはオールドダッカのはぼ中心に位置している。
入口 | 休憩時間で寝込む信者 | お祈り時間時計 |
日本の富士山の絵が | 綺麗なタイルの模様、イスラムらしい派手さである |
☆グラミン銀行とBRAC BANK、そして農業
グラミン銀行総裁、ムハマド・ユヌス |
グラミン銀行 ムハマド・ユヌス(大学教授、経済学者)が1983年に創設した。マイクロクレジットと呼ばれる貧困層を対象にした比較的低金利の無担保融資を主に農村部で行っている。銀行を主体として、インフラ・通信・エネルギーなど、多分野で「グラミン・ファミリー」と呼ばれる事業を展開している。2006年ムハマド・ユヌスと共にノーベル平和賞を受賞した。 「永続する平和は人口の大半が貧困から抜け出す方途を見いだせない限り達成されない」「人類の半分を占める女性が男性と同等の立場で社会参加できない限り十分な経済発展は実現しない」という理論の元に展開された。 貧しい人、特に農村の女性を応援するこの銀行のおかげで、貧しい農村の女性にも携帯電話が行き渡っているという。 グラミン銀行は今や2,556の支店、スタッフ23,000人以上、84,388の村で活動していおる。借りている人は787万人、97%が女性である。ローン回収率は97.86%。 イスラムの国の多くの女性は、外に出る事が禁止され、貧しさに耐えていたが、バングラデシュの女性はその呪縛から解放された。指導者のムハマド・ユヌス氏はノーベル賞にふさわしいと言える。 |
街中にあるブラックバンク |
「NHKスペシャル・沸騰都市『ダッカ』奇跡を呼ぶ融資」が放映された。 ブラック・バンクというNGO組織が、ダッカのスラム住民に対して無担保で資金を融資、経済的自立を促している、という。資金さえあれば、住民たちは様々な「創意工夫」で「(稼げる)仕事」を作りだし、生活を安定させることができる。 イスラム国家で「近代化」を果たしたのは「トルコ」、バングラディッシュは、そこを「お手本」に国作りを行うということであったが、はたしてブラック・バンクは「奇跡」をもたらすことができただろうか。奇跡が起こりつつあるのだ。 ブラック・バンクが資金を融資する際、無担保と引き替えに「五人組の連帯責任」を条件にしていた点である。もし、期日までに返済できなかった場合、あらかじめ届け出た五人の連帯責任者(のうちの誰か)が返済しなければならない。 ブラック銀行は世界最大規模のNGO。 ノーベル賞を受賞したグラミン銀行と同じ方法で担保をとらず貧しい人にお金を貸し、事業を起こさせ、利子を足して返済してもらう。返済率は99.5%。 |
バングラデシュ農業の将来 バングラデシュの基幹産業は昔から農業。しかしここにきて農業をあきらめ、ダッカなどの都会へ出て縫製関係に仕事を求める人が多くなっているという。 この国の宗教はイスラム教。そのイスラム教の教義、ものの考え方が作用しているようだ。 以前のヒンズー教次代の時は、家長の権威で家族を統制していたが、現在のムスリムでは、先祖代々の土地に固執する事は無く、容易に他の職種に移る傾向が強いという。ムスリムは個々人が強烈に自己を主張するし、財産の分配で争いが多い。 バングラデシュの農業は他国と比べて困難が多い。 昨今は女性も教育を受けられるようになり、他の職業に就くことも多くなっている。 今後は農業人口も減少し問題化してこよう。 |
☆バングラデシュの二大産業
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人口の62%は農業に従事し、国民の7 割以上が農村に住む。 | バングラデシュの服飾工場。輸出の80%は繊維製品 今やメイドイン・チャイナに変わりつつある。 |
☆ショドルガット(港)
オールドダッカにあるブリガンガ川の港。 首都ダッカと地方都市を結ぶ船が並ぶ。川を行く交通網が発達しているのは川の国ならでは。いくつもの大河の河口デルタに位置する川の国バングラデシュ。 首都ダッカと地方都市を結ぶ主要交通機関の一つが船。 ショドルガットはひっきりなしにフェリーが発着し、多くの乗客と物資が行き交う。 |
船の出発時間表 | ショドルガット全景 | 大小様々の船 |
船には客が溢れている | 対岸にも多数の船 |
小船は至近距離に客を運ぶ |
動画・・・ダッカの港ショドルガットの活況 |
☆ラルバーグフォート(イスラム宮殿)
ムガール帝国時代の宮殿。 建物のひとつが博物館となっていて、調度品・浴室、コレクション等を見ることができる。 |
入口 | 広い広い庭園 | これが宮殿 |
女性警官が警備中、愛想良く写真に収まる | 子供たちはすぐ集まる |
何やら演奏中 | お面販売 |
動画・・・ラルバーグフォートの正月風景 |
この日4/14はバングラデシュのお正月 、記念の集まり? |
☆ダケッシュリ寺院(ヒンズー教)
女神ドゥルガーを奉るヒンドゥー教の寺院 | ヒンズー教の神様は3億千人いると言われる | 寺院内には沢山のお店 |
民芸品 | 神様がジッと見ている | お菓子を食べろと親切に |
暑い眼差しで見られたが・・・ | 753の様 |
☆ダッカの街並
こんなに込んではお巡りさんも大変でしょう | 混雑で、観光バスは殆ど動けない |
☆ランチ・タイム
チャイナ・キッチン | チャーハン、鶏肉のあんかけ |
野菜炒め | 焼きそば、卵スープ、スイカ等 |
☆ダッカの街並み
生きている鶏を10羽、足を結び向こうの店から見せに来る青年 | 馬車もありました |
☆国会議事堂と広場
お正月は広場に落書きは許される |
国会議事堂 | 風船売り |
☆ダッカの貧民街
線路の両側は貧民街、線路の空間にも店が | 鉄板屋根は暑いだろうに |
☆縫製工場ビル群
ダッカ市内のビルに入居する縫製工場 | 大小さまざまな縫製工場 | 賃金は中国の5分の1でアジアの最低水準 |
世界の縫製工場 ◎バングラデシュは、「チャイナ・プラスワン」の生産拠点として、メコン新興国(ミャンマー、カンボジア、ラオス)と 共に注目される国の一つである。 ◎低コストの労働力がメコン新興国よりも豊富で、既にアパレル輸出は世界3位の実績。今後も「世界の縫製工 場」として有望である。 2008年にユニクロが合弁会社の設立を発表した事で、日本企業の関心も高まった。2011年時点で、アパレル輸出は中国とイタリアに次ぐ世界3位の規模を誇る。 バングラデシュの強みは、労働コストが中国の5分の1でアジアの最低水準である。 そして、日本はバングラデシュに対し多額の経済援助をしているので、国民は親日的である。 今や世界の縫製工場バングラデシュでは、300万人が働き、工場の数は大小5万以上とか、しかし喜んでばかりいられない。若者が農村から居なくなる現実がある。 |
☆NGO運営「アーロン手工芸品店」
男性用シャツは500円程度と安い | 民芸品 | 絨毯 |
☆バングラデシュのお正月と夕焼け
バングラデシュの正月の娯楽は少ない。 家族総出で夕焼けを見るためガンジス川の支流の両側を散歩する。その数数万人、いや数十万人かも知れない。あいにくこの日は曇り空であった。 |
動画・・・バングラデシュ首都ダッカの正月風景 |
延々と続く人の列 | こちら米の刈入れで、米をダッカに運ぶ行列 |
☆バングラデシュの略史
紀元前4世紀~6世紀 マウリヤ朝、グプタ朝(何れもインドで栄えた王朝)の属領であった。 18世紀末 イギリスの東インド会社により植民地化された。 1971年 経済や文化、インドを挟んで1000km以上も隔てられた国土の距離、言語等で、東パキスタン |
☆帰国後の日本食
♪ 日本食は今日も美味しかった ♪ 成田空港に帰国する度、行き付けの空港レストランに飛び込む。 最初にギンギンに冷えたビール、次は日本酒の冷酒である。 オーダーをしてあった御膳が運ばれる。天ぷら、長いもトロロ、マグロとイカの刺身、そして蕎麦、味噌椀と続く。 寿司やラーメン、かつ丼等も食べたいが満腹で食べられない。 やはり感じるのは「日本人で良かった〜」 「幸せ度世界一」と問われたならば「ハイ!」とすぐ手を挙げるでしょう。 |
旅を終えて・・・ 期待通り、素晴らしい国民性であった。子供たちの目は輝き、人懐こくすぐに日本人と言って取り囲まれた。子供どころか大人もである。特に田舎に行くと外国人を見た事が無く、まるで宇宙人を見るかのようであった。 特に印象に残った点は 1.田園風景 2.人の多さ 3.リキシャなどのクルマの警笛のウルサ 4.イスラム国だが他国と違う雰囲気、教育向上等 5.女性の社会参加 6.政治構造の遅れによる貧しさ 7.汚職がまん延 素直な子供達を見ていると、2〜3人連れて帰りたい衝動にかられた気がした、そんなバングラデシュであった。 日本の様に文化生活に溢れた国と、貧しいが生き生きしているバングラデシュ、どちらが幸せなのかを考えさせられた旅であった。 おわり |