バ リ 島 (インドネシア) 紀行

     

                                                 「神々の島」と称されるバリ島

 旅の初めに・・・

 2016年10月、インドネシアは2011年に続いて二度目の訪問。前回は首都のあるジャワ島であったが、今回はバリ島。

 インドネシアはイスラムの国だが、バリ島だけはバリ土着の信仰と、インド仏教やヒンドゥー教の習合によって成り立つ、バリ・ヒンドゥーと呼ばれる信仰の島として知られる。

 特に建物がユニークで、一度は訪れたいと願っていたので期待を込めての個人企画である。

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   ☆MAP

 インドネシアの首都はジャワ島、バリ島は東の島  バリ島の州都はデンバサール、観光地はクタ地区、サヌール、ヌサドゥア、ウブドに集中

   バリ島

 インドネシア共和国バリ州に属する島。首都ジャカルタがあるジャワ島のすぐ東側に位置。島内人口は約389万人。バリ・ヒンドゥーが根ざした地域として知られるが、1990年代以降、イスラム教徒の移民流入が目立つようになっている。

 島の北部を東西に火山脈が走り、バリ・ヒンドゥーにおいて信仰の山とされるアグン山(標高 3,142 m)やキンタマーニ高原(観光スポット)がある。

 産業はコプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの)やコーヒーが栽培され(キンタマーニ・コーヒーなど)、牧畜も行われている。

バリの村落の大半は農村であり、棚田で知られるバリ島中南部の斜面一帯では二期作から三期作が可能となっている。

 一年を通じて気温の変化はほとんどなく、年間の最低平均気温は約24度、最高平均気温は約31度。一日に2 - 3時間のスコールがある。

 動物は野牛、猿、キツツキ、パイソン、ヤモリなどが数多く棲息し、カンムリシロムクもまた近絶滅種となっている。バリの人々にとって馴染み深いのは、トッケイヤモリと呼ばれる大型のトカゲであり、鳴き声を7回連続で聞くと幸福が訪れるという言い伝えがあるほか、害虫を捕食することから大切に扱われている。

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   ☆デンバサール(州都) 到着

         デンバサールの「ングララィ国際空港」              ヒンドゥーらしい空港の建物

   成田空港~マレーシア・クアラルーンプール経由~バリ島到着            空港内部はヒンドゥ―らしい歓迎ぶり

           これも神様なのか?     空港内のパンフは日本語も多い               女神かな?

                          デンバサール市内

 インドネシアのバリ州の都市であり、「北(デン)の市場(パサール)」という意味である。

 バリ州の州都。郊外のングラ・ライ国際空港からはタクシーで約40分程度かかる。

 1906年、オランダのバリ侵攻によって王宮は破壊・略奪された。

 中央広場の像はププタン(王や貴族を含む何千人ものバリ人が、オランダ軍に降参するよりも自決を選んだ事)の記憶を残している。

 デンパサールは政庁が有るだけでなく、商業や教育、観光の中心にもなった。 

ププタン広場、ジャガナタ寺院、バリ博物館、バサール・バドゥン/クンバサリ・ショッピングセンター、鳥市場がある。

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    ☆サヌール地区 (リゾートエリア)

 サヌールは、インドネシアバリ島屈指のビーチリゾート地のひとつ。ダイビングに良好なスポットや海亀の産卵地として知られる。ングラライ国際空港より車で30分の距離にある。

 太平洋戦争における日本軍の南方進出に際しては、ジャワ島攻略の足がかりとして1942年2月19日にバリ島のオランダ軍飛行場占領が行われたが、サヌール海岸は日本軍の上陸地点となった。オランダ軍の反攻による上陸地点もサヌール海岸であり、付近の海域には海戦による沈没船もある。

 1966年に日本の戦争賠償金によりバリ島で最初の5つ星ホテルであるバリビーチホテル(現ザグランドバリビーチ)がこの地に建てられた。

 古くからバリ島のカースト最高位のブラフマナ階級の人が多く住んでいる。サヌールは高級リゾートとして発展していった。

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   ☆クタ地区 (バリ最大の観光エリア)

 クタ(Kuta)は、インドネシア、バリ島南部に位置するビーチリゾート。

 西向きの海岸に砂浜が広がる。

 かつては静かな漁村であったが、1960年代、サーフィンと夕陽の名所としてインドネシア国外からサーファーやヒッピーなどが集まるようになり、北隣のレギャンとともにレギャン通りを中心に観光地化、ホテルやレストラン、バー、ディスコ、土産物店などが並ぶ、バリ島きっての繁華な商業地区となっている。

今回のホテルは中心地に近く、向かいは最大のショッピングセンターあり            ホテル内部にもヒンドゥーらしき飾り物

        神様模様の彫り物がズラリと並ぶ土産物店         島のどこの店に行っても男性のシンボルが並ぶ

                       ホテルの向かいは紺碧の海

                          海の側にはレストランが並ぶ

                          子供達が何かイベントがあるようだ

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  ☆ランチタイム

       先ずはビールで乾杯!                   ビーフ              中華風野菜

       マーボー豆腐もどき              お粥が美味しい      ここは南国、果物はとりわけ甘い


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   ☆観光立国・・・ガイド業

 

   

 ホテルの前で街を眺めていると、見知らぬ男性(右)から声がかかった。

 「日本人ですか?」 と、結構流暢な日本語である。
そうです、と応えると、「私も13年間、日本で働いていました」という。

 家の襖や壁の張替仕事をして技術は身に着いたらしいが、バリ島では日本式の家が無いので仕事がなく、現在はガイド業を個人でしていると言う。

 恋愛の結果、熊本県出身の奥さんと結婚し、最近子供も生まれたので、お祝いに熊本の義父が中古のトヨタの四駆を買ってくれたのでガイドをしていると言う。 大手のHISのガイドを契約しているので断ったが可哀想であった。

   

 2014年の、在日インドネシア人の合法滞在者は28,649人、その他違法滞在者は5,000人程度の統計。

バリ島は観光が主体、ガイドの身分は高く収入も良い。ただし語学力が求められる。

 今回のガイドは、HIS所属のAさん。

 スズキの乗用車チャーター、ガイドと運転手が8時間契約で1万円程度と安い。2日間契約し、バリ島を半周した。

 日本のHISは現在、国外128都市にネットワーク、6大陸に拠点を置いている有数の会社。

 ここバリ島には150人程のガイドを要していると言う。試験も厳しく、当然外国語を複数話せるのが条件で、ここではガイドの位置付けは高い。

 彼はHISの会社事務所へは自宅から片道3時間をかけてバイクで通うと言う。給料は5万円程度。バリ島では高い方だ。

 家族4人は食べられないので、田んぼやアルバイト兼務をして生活する。嫁さんの写真を出して見せてくれた。美人、私が惚れましたと惚気ていた。

       HISのバリ島事務所    HISの市内循環バス、4系統あり無料           HISの無料循環バス

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   バティック(ジャワ更紗)

 インドネシアの手工芸品として代表的な物の一つが「バティック」と呼ばれるろうけつ染めのジャワ更紗。

 バリでヒンドゥー教の儀式が行われる際に巻かれる「サルン」もバティック、そして宗教儀式以外の公共の場所や大きなイベントなどではバティックのシャツがフォーマルな装いとして、民族衣装、洋装ともにいろいろなシーンで活躍している。

 その昔はジャワの王族や貴族しか身につけることができず、王族以外身につけることが許されない模様もあった。

        鉛筆で下書きをした後、特殊インクで描く                       出来あがり

                  様々な模様             カラフルな絵と色彩

 バリは一年中夏、30度前後なので花が咲く              池に咲く蓮            蓮の花


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    バリ島はバイク天国

 バリ島の街はバイクがわがもの顔で走り回る。

 2015年現在バイク登録は1200万台。日本のホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキが主流。70%が日本製という。

日本製は性能が良く、中古で高く売れるので人気が高いらしい。

 何故バイクか? お金が無い、冬が無い、渋滞対策の為と言う。

 インドネシアは2億2,300万人の人口で、中国、インド、アメリカに次いで世界第4位。渋滞が当たり前、よってバイクとなり、一家に一台が必要。

 マナーは大変悪く、自分さえよければ良いで、割り込み自由。歩道もどんどん入ってくる。

 郷に入れば郷に従う? で、ヨーロッパの女性も負けてはいない。違反の競争。

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   ☆バリ舞踊  

    バリ島は観光主体、民族舞踊が盛ん    入口で民族衣装の女性が歓迎       踊りの説明文(日本語)

            入口       祭りの時の飾り物   欧米人が多い。200人が入る会場、満員となる

        演奏は太鼓や笛など          日本の獅子舞のよう          腰のヒネリが特徴

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     ☆ウブド地区 (能と芸術の街)
 

        ウブド

 ウブドは、インドネシア共和国バリ州ギャニャール県ウブド郡の村。

 ウブド郡の中心であり、ガムラン音楽、バリ舞踊、バリ絵画など、「芸術の村」
として知られ、観光の盛んな村である。

 地名の由来は薬草(現地語でウバド:Ubad)が訛ったものと言われている。

 少し離れた北には棚田で有名なテガララン郡テガラランもあり、それら観光の中心地となっている。

    ☆モンキーフォレスト

 バリ島ウブドにある野生猿の自然保護区である。

 ウブドの中心部モンキーフォレスト通りの南の突き当たりにあり、約200頭の猿が生息している。

 森の奥にはダルム・アグン・パダントゥガル寺院があり、森はプラ(ヒンズー寺院)の鎮守の森として聖域である。

   (エッチなおサルさん)

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     ☆ヌサドゥア (大型リゾートタウン)

 ヌサドゥアは「2つの島」の意。

 南北約2km、東西約1.5kmに渡るリゾートエリア。政府の指導のもとリゾート開発が進められ、観光客以外の立入りを禁じているリゾートとして知られる

                 ヌサドゥアの街

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    ☆経済と観光

 

 芸能・芸術の島として知られ、かつ、早くからビーチ・リゾートが開発されてきたバリは、世界的な観光地となっており、東南アジア各地のビーチ・リゾートのモデルとなっている。

 訪れる観光客で一番多いのは、かつては日本人であったが、現在はオーストラリア人である。

 2004年には農林漁業が35.3%にまで減少し、商業・飲食・ホテル・サービス業が36.4%に達している。

 農民の平均月収が50ドル(約5,000円)未満であるのに対して、観光業従事者のそれは50 - 150ドル(約5,000 - 15,000円)に達する。

 バリ州全体の域内総生産高でみると、農業はなお全体の20%以上を占め、観光業もバリ州のフォーマルな経済活動の40%を占めるに至っている。

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     ☆寺院 (バリ・ヒンドゥー教の総本山)

       ブサキ寺院

  バリ・ヒンドゥー教総本山の寺院  

 アグン山の中腹に位置しており、30余の寺院の集合からなる。 8世紀には、仏教の修行の場であったといわれている。

 1979年には、エカ・ダサ・ルドラの儀式が催行され、スハルト大統領ら閣僚が列席し、ブサキ寺院とヒンドゥー教徒に対する国家の保証を象徴する儀式となる。

 寺院内は立入り禁止だが、その周囲から様子は垣間見ることができる。境内は寺院専門のガイド以外は案内ができず、相場は10,000ルピア(約100円)だが、一人あたり100,000ルピア(約1000円)以上など相場を大きく超える多額ガイド料を要求しトラブルになることも多い。     

    バリ島の郊外には水田が多い。 2~3期作可能            鳥よけの旗が日本と同じ

                  バリ島のあちこちで見られる飾り。お祝い事や祭りに飾られる

     お寺を観光するには腰巻きが必要  1枚最初は2,000円、値切ると半額            男も女も腰巻き(サルン)

         寺の入口には物売り、焼き鳥の様だが魚              小さなトウモロコシ

                            8世紀に作られた。石は黒光り

 

               この門から入る            ブサキ寺院の看板

        花で囲まれた寺院       11層のユニークな塔              両方に龍の顔

         鮮やかな花       茅葺の屋根が歴史深い     内部には信者が多数、観光客は入れない

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 タナロット寺院 (夕陽がきれい)

 

 タナロット寺院 

 バリ六大寺院のひとつ。干潮時には陸続きとなり、歩いて渡ることができる。

 16世紀にジャワの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがこの地を訪れ、この景観こそ神々が降臨するにふさわしい場所として、村人に海の守護神を祀る寺院を建てるよう勧めたのがはじまるという。

 夕暮れ時には美しいシルエットを形成し、多数の観光客が訪れている。

 エルニーニョ現象による海面の上昇などが原因で、海岸の浸食が進んでいたが、日本のODAの援助で復活。

 

               タナロット寺院の看板               タナロットはこっち

                           満ち潮で、道は海の中

                           潮はかなり引いて来た

                大蛇を抱く女性                 腰を引く男性

                バリ六大寺院のひとつ              日本のODAの援助で修復

           街の景観            レストランへ           バリ料理を食べよう

      綺麗な花でコンニチワ        売れっ子招き猫が、ビールをどうぞ!        メッチヤ冷たいビール

                    旨い!        ネコお薦め料理はエビ、ネコが殆ど食べました

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          ☆屋台

 バイク屋台はプロパンガス(左の緑色)と、右側にはお湯を沸かす鍋を積み、荷台の中の団子もどきを入れて、左の3色のたれをかけて食べる。主に地元の商店のスタッフが食べているようだ。美味しそ~う。

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        ☆花嫁

  宿泊中のホテルで結婚式、花嫁さんは綺麗              笑顔がこぼれそう


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  ☆マッサージ

             バリ島はマッサージ店が多い        1階はフットマッサージ、2階が全身マッサージ

              ランチは天ぷらもどき             こちらは鳩料理

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 ウルワトゥ寺院

 海岸沿いに位置する寺院で、海の霊がまつられている。

 ウルワツ寺院の位置するバドゥン半島の海岸沿いは絶壁となっており、近くにはスルバン海岸がありサーフ・ポイントともなっている。

 内部の小院はヒンドゥー教徒しか立ち入ることが許されていない。

 日没時の境内で上演されているケチャ・ダンスも、その壮麗な舞台によってよく知られている。

 

 ゴア・ガジャ

 ゴアガジャ遺跡は、ウブドの東およそ4Kmに場所にある、11世紀ごろの古代遺跡

 なぜここに、何の目的でこのような遺跡があるかは、はっきり分かっていないが、僧侶が瞑想や修行をした場所、と言われている。

 遺跡の名前、「ゴア(Goa)=洞窟」「ガジャ(Gajah)=象」で「象の洞窟」と言う意味。

 これは14世紀にこの遺跡をオランダ人が発見した時に見つけた像が、巨大な象の石像に見えたからと言われている。
 
有名な、顔のレリーフが掘られた洞窟は、1923年に発見されたもの。洞窟の内部には、ガネーシャ神と、ヒンドゥーの3大神(シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマ)を祭る3体のリンガが祀られている。


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  ☆タマン・アユン寺院 (一番美しい寺院)

        タマン・アユン寺院

       バリ島で一番美しいお寺

 周囲には堀が張り巡らされ、堀の内側は芝生が美しい広大な庭園となっている。庭園の中の割れ門を進むと境内に。

 生理中の女性は境内への立ち入りが禁止されている。

 さらに進んでいくと本殿があり、本殿は正装をしたヒンドゥー教徒でなければ入ることができない。

 観光客や異教徒など、本殿に入れない人たちは塀の外側の遊歩道を歩くことになるが、塀の高さは1mほどと低く、外からでも本殿の様子を十分眺めることができる。    

 タマンアユン寺院の一番の見どころは、本殿の一番奥にメルと呼ばれる多重塔が10基ならんでいる荘厳な姿。多重塔は霊峰アグン山を模しているとも言われている。

               タマンアユンの看板                 世界遺産の看板

                               

                蓮の池              世界遺産の寺は美しい 

                         

                木の革の飾り           この国のゴミは5つの色で分類                                                                      

              花で飾られた銅像               毎朝のお供え物「チャナン」 が道路淵に

           

                闘鶏場            女神様か

          あちこちに見られるメル             メルと呼ばれる多重塔が美しい

                   屋台       バナナの皮に包まれた、中はモチモチの団子

                                                                 

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     ☆ジャティルウィの棚田

        農 業

 今でも30%以上が農林漁業に従事している。

 水田耕作のほかには、ココナッツやコーヒーの栽培が盛んであり、樹園地ではバナナ、オレンジ、マンゴーが、畑では大豆、サツマイモ、落花生、キャベツ、トマトなどが栽培されている。

 ジャティルイは、バリ島中部タバナン県、バトゥ・カウ山のふもとに広がる丘陵地帯。

 山と深い渓谷が連なるこのエリアには、一面に棚田(ライステラス)が広がり、訪れる人々を魅了する。
 ほとんど平らな場所がなく、水の便も悪いこの土地に広大な棚田を築き上げたのは、バリ島に1000年以上も前から伝わるスバックという伝統的水利システムのたまもの。

 この水利組織は公平な水の配分を実現する農民たちのまとまりである。スバックごとにスバック寺院を持つ。

 スバックは単なる水利組合ではなく、「神と人間、自然と人間、人間と人間の3つの調和が取れた時に真の幸福が訪れる」というヒンドゥー教の哲学・トリ・ヒタ・カルナを具現化した、灌漑事業、神事、農耕事業、土木事業などいろいろな活動を行う組合なのである。


 ジャティルイをはじめとした、バリ島独自の水利システム「スバック」による棚田地域の文化的景観は2012年ユネスコの世界文化遺産に選ばれました。

 以前から、ジャティルイを訪れる観光客は多く、棚田が一番美しく見える場所には、ちょっとした展望台とレストラン、カフェがあり、ゆっくりと風景を眺めながら食事をとることが出来る。

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      ☆テガラランのライステラス 

  川沿いにつくられたテガラランのライステラスは、バリのライステラスの中でもその美しさで有名である。

 

 バリの数あるライステラスの中でも、「神の階段」とも呼ばれる随一の美しさを誇るライステラスを見に、多くの観光客が訪れる


 日本の水田と違い、大きなヤシの木に囲まれていて、傾斜もきつい。

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   ○ 水利システム「スバック」

                            スパックシステムの棚田

           川を堰き止める場所        水の調整をするスパック長     水泥棒を見張りするガードマンの小屋

               神様のお風呂             田んぼの神様       田んぼの畦道に立つ神様

           農村の風景      神様へのお供え物を作る女性達            一般的農村のご飯

                 村のお寺でのお祭り、一年の感謝を込められている

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     ☆キンタマーニ (景勝地)

 キンタマーニ村はバリ島北東部に位置し、バリ島で有名な観光ポイントであるキンタマーニ高原、キンタマーニ湖(バトゥール湖)を有する。

 標高約1500mの高原であり、バリ有数の避暑地、リゾート地となっている

 アバン山(2153m)、西にバトゥール山(1717m)など高山にかこまれ、自然豊かな環境にある。

 バトゥール湖は三日月形のカルデラ湖で、活火山であるバトゥール山のクレーターによりできたものである。

 湖畔には温泉も湧いている。

                            何とも景観が素晴らしい

     景観を楽しみながらランチ・タイム              ビュッフエスタイル          カボチャ・スープは絶妙

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   ☆コーヒー農園

 コピ・ルアク(インドネシア語 Kopi Luwak)とはジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことである。
「コピ」はコーヒーを指すインドネシア語、「ルアク」はマレー・ジャコウネコの現地での呼び名である。

 ルアック・コーヒーとの呼称も通用している。独特の香りを持つ。産出量が少なく、高価である。

 インドネシアのコーヒー農園ではロブスタ種のコーヒーノキが栽培されており、その熟した果実は、しばしば野生のマレージャコウネコに餌として狙われている。しかし、果肉は栄養源となるが、種子にあたるコーヒー豆は消化されずにそのまま排泄されるので、現地の農民はその糞を探して、中からコーヒー豆を取り出し、きれいに洗浄し、よく乾燥させた後、高温で焙煎する。ジャコウネコ腸内の消化酵素の働きや腸内細菌による発酵によって、コーヒーに独特の香味が加わるという。

 世界で最も高価なコーヒーとして知られており、日本のリッツ・カールトンホテルのラウンジでは1杯7,000円、帝国ホテルでは1杯5,500円で売られている、世界で最も高価なコーヒーである。

  コーヒー園の入口、周囲はコーヒー畑            コーヒーの木           いました、ジャコウネコ

     コーヒーのオスの実は割れ目なし       メスの実は割れ目あり         実をこんがり焦がしている

               コーヒーの試飲場所へ

                              14種類の説明分の上に後から運ばれる

                上の左4つはココアやバニラの味、右の白いカップがコーヒー味、下は紅茶やその他

 

PEABERRY はオスの実 高い 日本円7,500円                 ARABIKAはメスの実

      サイフォンで落としてくれる  1杯 3,500円也。香りは抜群、チョコレートの味がした           二杯を飲み比べ、7,000円

 

   直売所、1袋3500円が日本では10倍の35,000円となる      世界一高いジャコウネコ・コーヒー

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      ☆アグーン山

 

 アグン山とは、バリ島東部に位置する成層火山である。

 海抜高度3,031mでバリ島で最も標高が高い。古より島民の崇拝の対象となっている。

 アグン山への登山道は、山の南東、南と西側にある。

 ブサキ寺院を基点とする西登山道が一般的で、そこからの山の眺めが最高だとされる。寺院から水をくみ出すことは禁じられているため、登山者は各自で水を用意しなければならない。

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     ☆宗教

       バリ葬儀の行列、信仰心が厚い       毎朝のお供え物「チャナン」

 バリ宗教

 「神々の島」とも形容されるバリ島では、人々のおよそ90%が、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教の習合によって成り立つバリ・ヒンドゥーと呼ばれる信仰を奉じている。

 店や家の前には毎朝チャナンと呼ばれるお供え物をするなど、宗教的な活動に多くの時間が使われる。

 この秩序観から、人の頭を触ったり頭の上に手をかざすことや、左手で金銭を扱ったり食事をすることがタブーとされている。

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      ☆バリの文化   

 島南部を中心として土地が肥沃であったことから、昔からバリの人々は余裕を持った生活を送ることができた。

 そこで、農民は朝夕それぞれ2、3時間働くと、その日の残りは絵画、彫刻、音楽、ダンスなどの創作活動に当てるなど、美術・芸術活動にも勤しんでいた。


           ☆生態                 ☆影絵芝居     

 鳴き声を7回連続で聞くと幸福が訪れるという言い伝えがあるトッケイヤモリ、大事にされる。  影絵芝居(ワヤン・クリ)は、バリの人々にとって、時空を超えた知識と教養の源泉である。すなわち、芸能としてワヤンは、それを鑑賞する人間の意識の底に次第に堆積されてゆく、潜在的な価値の体系なのである
           

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   舞踊・音楽

       インドネシアのバリ島で行われる男声合唱、ケチャ      レゴン、バリ島で見られる観賞用の女性舞踊

 レゴン は、そもそもは少年たちが女装で踊る宮廷舞踊を指していた。

 バリ島で見られる観賞用の女性舞踊である。バリ島女性舞踊の代名詞となっており、その演目は20種類にも及ぶ。

 ケチャ とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱。または呪術的な踊り(サンヒャン)にともなう舞踏劇。

 伝統的な舞踏、サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。これに対して現在のケチャは、『ラーマーヤナ』(古代インドの大長編叙事詩)の物語を題材とする舞踏劇の様式で演じられている。

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     バリ絵画

 色彩豊かで緻密な描写が特徴であるバリ絵画は、王宮向けの装飾絵画として発展し、ヒンドゥーの多神教の神々などが題材とされてきた。

 基本的には遠近法を用いず平面的に描かれることが多い。

 その後、ヨーロッパからの遠近法などの新しい技法が加わることでさらに発展した。

 ピーク時には、100名以上の芸術家がいた。

     最も人気のある「ネカ美術館」                ユニークな絵も多い     ゴーギャンなど、ヨーロッパ風の絵も

      新庄剛志のバリ豪邸         モトクロスを始めた新庄           画家でもある新庄

  新庄剛志

 元プロ野球選手、タレント、実業家、クリエイタ、画家、そして現在はバリ島でモノクロス選手を目指している多彩な人物。

 プロ野球では、阪神~大リーグのメッツ~サンフランシスコ~日本ハムで活躍。メッツでは日本人初めての4番打者を経験している。2006年現役引退。

 野球で稼いだ年俸総額が、当時で10億7千万とか。一生遊んで暮らしていけると言われていた。

 しかしその後、薬疑惑や清原和博との関係もささやかれ、話題が絶えなかった人物。

 南国のバリ島は色々の人物が住んでいる。そう、ここは 「神々の島」 なのです。

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      ☆バリ島の歴史

 ・紀元前2000年頃には、台湾人が居住していたとされ、紀元前1世紀頃から交易を介してインドや中国の影響を受ける
 ようになる。

 ・16世紀にマジャパヒト王国がイスラム勢力の侵入により衰亡すると、王国の廷臣、僧侶、工芸師たちがバリに逃れてく
 るようになる。そして、彼らの影響によって、古典文学や影絵芝居、音楽や彫刻などヒンドゥー・ジャワの影響を受けた文
 化が花開いた。さらには、ジャワから渡来したヒンドゥーの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがタナロット寺院やウルワツ寺院な
 ど数々の寺院を建立するなど、宗教面での発展も見られた。

 17世紀には、オランダ東インド会社を初めとしたヨーロッパ勢力の進出が見られた。

 19世紀末になると、オランダ海上帝国がバリ島の植民地化を進め、各地の王家を武力により支配下に置き始める。
 
オランダ植民地政府は現地伝統文化を保全する方針を打ち出すことになった。

 欧米人の影響を受け、1930年代のバリは「バリ・ルネッサンス」の時代を迎え、現在の観光の目玉である音楽(ガムラ
 ン等)、舞踏(レゴン、ケチャ等)、絵画の様式が確立することとなった。

 オランダは、灌漑・道路等農業設備を整理しアヘンやコーヒーといった商品作物の栽培を奨励するとともに、学校の設
 営、風俗改革(裸身の禁止)等のヨーロッパ的近代化政策も実施した。奴隷制も廃止される。

 大東亜戦争中にバリ島は大日本帝国の占領下に置かれた。

 ・1945年8月17日、ジャカルタでスカルノがインドネシア共和国の独立を宣言。

 ・1946年12月、オランダによる間接統治が敷かれることになったが、1950年の独立に至る。

 1970年代以降、世界的な観光地へと成長することとなった。1963年、日本からの戦争賠償金によりサヌールにバリ・
 ビーチ・ホテルが建設され、1966年に開業。1967年にングラ・ライ空港が開港すると、サヌールがバリ島へのマス・
 ツーリズムの最初のメッカとなった。

 イスラム過激派による、2度の大規模な無差別テロ事件が発生し、現地社会では、ジャワ島他からのイスラム教徒の移
 民労働者の増加に対する社会不安が高まる一方である。

     ☆ インドネシアの歴史

年 月

略 史

7世紀後半~ スマトラに仏教国スリウィジャヤ王国が勃興。
8世紀 中部ジャワに、仏教国シャイレンドラ王朝が起こり、ボロブドゥール等の有名な仏跡を残す。
13世紀 イスラム文化・イスラム教の渡来。北スマトラのアチェ地方に最初のイスラム小王国が現れる。ジャワにマジャパイト王国が勃興し、ジャワ以外にも勢力を伸長
1596年 オランダの商船隊、西部ジャワのバンテン港に渡来。
1602年 オランダ、ジャワに東インド会社を設立。
1799年 オランダ、東インド会社を解散、インドネシアを直接統治下におく。
1942年 日本軍による占領。
1945年 8月17日、スカルノ及びハッタがインドネシアの独立を宣言。スカルノが初代大統領に選出。オランダとの間で独立戦争(~1949年)。
1949年 ハーグ協定によりオランダが独立を承認。
1955年 バンドンで「アジア・アフリカ会議」開催。
1965年 軍部と共産党との緊張の高まりを背景に9月30日事件が発生。翌年3月11日、スカルノ大統領は権限をスハルトに一部委譲。
1968年 暫定国民協議会、スハルトを正式大統領に任命。(第2代大統領)
1998年 アジア通貨危機をきっかけに、ジャカルタを中心に民主化運動が拡大。スハルト大統領辞任、ハビビ大統領就任(第3代大統領)
1999年 住民投票により東ティモールの独立が決定。
ワヒッド大統領就任(第4代大統領)
2001年 メガワティ大統領就任(第5代大統領)
2004年 初の国民直接投票による大統領選挙でユドヨノが大統領に当選。ユドヨノ大統領就任(第6代大統領)
2005年 ヘルシンキ和平合意(独立アチェ運動(GAM)との和平成立)
2009年~2014年      2014年7月~2016年 ユドヨノ大統領再任     2014年7月より ウィドド政権

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 旅を終えて・・・

 バリ島は穏やか、平和な島であった。おもらいや、しつこい物売りがいなかったのでふと考えてみた。多分、衣食住が満たされているのではないだろうか。

 水稲稲作が、水さえあれば三期作が可能と聞いた。だから食べるのは不自由しないと言う事である。南の国ゆえバナナや果物も豊富である。

 だから心にゆとりがあるので、神仏に心行くまで時間が取れる。幸せな時間があるのであろう。

 世界の国は食べるものが無かったり、戦争や部族間闘争が絶えない。神のお告げと言いながら殺し合いをする、そんな国が多い中で、ここバリ島は平和であった。青い海と緑の田んぼとがあれば、言いあいは無くなる。

 酷寒の日本、年中30度を超すバリ島。それでもやはり四季がある日本が良い。でも、ホッとするバリ島であった。                   おわり

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