日本百名山の民話・伝説・神話
2015年11月、秋の夜長にふと瞑想にふける。 ・「夜(よ)もすがら物思ふころは明けやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり」 ・「名月や池をめぐりてよもすがら」 芭蕉 あれこれ考えていると、昔に登った百名山の想い出が頭をよぎり、書物やその土地の人々、古老から聞いた民話・伝説・神話が思い出される。 登山を生業としている人や趣味としている人は、山に関する民話等をよく聞く機会があるが、そうでない人は余り聞いた事がないようだ。 そこで山に関した民話・伝説・神話などを10 山程披露してみたい。 定 義 民話・・・語る人も聞く人も信じていない(空想) |
霧島山 (宮崎県/鹿児島県) 天孫降臨神話 はるか昔、神々がこの世を治めていたという神話の時代。 神々は一本の鉾を取り出し、その島にしるしをつけた。それが霧島山の名の由来だといわれている。その時、神々が逆さに落とした鉾は、見事に山の絶頂に突き刺さった。今も高千穂の山頂に残る天の逆鉾は、その時の鉾だといわれている。 幕末の志士、坂本竜馬と妻お龍が日本で最初の新婚旅行で訪れ、この山を登っている。 (山頂には刀が刺されている) |
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富士山/八ヶ岳 昔々、富士山と八ヶ岳が雲の上で言い争いをしました。 そこで、二人は天の神様に立ちあってもらってどちらが高いか決めてもらうことにしました。天の神様は、二人の頭に樋をかけ、水を流しました。水は、全部富士山の方に流れてしまって、八ヶ岳が高いことがわかりました。 ところが負けたことに怒った富士山は、片足を上げて、八ヶ岳の頭を思いっきり蹴飛ばしたのです。 八ヶ岳の頭は、ガラガラと崩れ、ギザギザになってしまいました。 八ヶ岳は悔しくて、悲しくて泣き通しました。隣の妹の蓼科山が慰めるのですが、どうしても泣きやみません。 とうとう蓼科山も八ヶ岳がかわいそうで、何日も、何日も一緒に泣き続け、涙が流れたまって、諏訪湖になりました。 |
筑波山 (茨城県) これは昔々、世の中がまだ混沌としていた頃、そう、神様たちの時代のお話である。 あちこちの神様の所を旅して回っていた母なる神様が、静岡の富士山に到着する頃には日はもうとっぷりと暮れてしまった。 そこで母なる神様は自らが作った子供たちの中でも一番のお気に入りだった娘の富士(福慈)の神のところへ泊まって休ませてもらおうと頼んでみた。 ところがどうでしょう富士の神の言うには 「今日は年に1度の収穫祭の儀式の最中です。 この間は1週間断食をしなくてはなりませんし、また誰にも会ってはならないことになっております。 ですから残念ながら母なる神様といえども、お泊めすることはできません」 我が子からこのような冷たい言葉を聞いた母なる神様は恨み、泣き、ののしって 「私はおまえの親なのですよ。 日も暮れてしまったというのに疲れ果てて訪ねてきた母を、どうして泊めてもくれないのですか。 こんなに冷たい娘だったなら、おまえの住んでいる山はこれから未来永劫にわたり冬も夏も、雪と氷に閉ざされて、寒さ冷たさが絶え間なく襲いかかる山にしてやる。 酒を捧げる者、食べ物を捧げる者、そして誰ひとりとして近寄る者すらいない山にしてやる」 と言いました。 気を落としてしまった母なる神様は道を変えて、今まであまり気にかけていなかった筑波山の神のところにやってきて、同じように一夜の宿を頼みました。 すると筑波の神は、 「今日は1年で最も大事な収穫祭の儀式のある日ですが母なる神様をお泊めしないわけにはまいりません」と答えてうやうやしく挨拶をした後、食事やお酒を振る舞い、それはそれは丁重にもてなしました このことがあって以来、富士山は美しいけれども冷たく、いつも雪をかぶって誰も登ることができなくなりました。 一方、筑波山はいつも人々がその山頂にまで行き交い、歌い、舞い、飲んだり食べたり騒いだりとにぎやかな山になったのだそうです。 |
赤城山(群馬県)&男体山(栃木県)
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伊吹山 (滋賀県) 伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、古事記では「牛のような大きな白猪」、日本書紀では「大蛇」とされていた。古事記にはヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。 伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉(米原市醒ヶ井の平成の名水百選の一つに選定されている「居醒の清水」)で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている。 |
剣山 (徳島県)剣山には古代イスラエルの秘宝が眠る!? ~ソロモン「アーク」伝説~
剣山にまつわる伝説は種々あるが、その1つがソロモンの秘宝「アーク」「契約の箱」 伝説である。 |
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岩手山と(側室)早池峰山の伝説岩手山は男ぶりのよい雄神で、姫神山と夫婦になったが姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は早池峰山を側室にした。このことを知った姫神山はやきもちをやく日々であった。 耐えかねた岩手山は姫神山を追い出すことにし、その役をオクリセンという家来に申し渡したが、姫神山は遠くへ行こうとしなかった。 オクリセンは板ばさみになって困ったが、姫神山に同情してしまい、北上川をへだてたばかりの所に座らせた。 岩手山の怒りは凄まじく、命令にそむいたオクリセンを呼びつけて首を切り落とした。オクリセンの山のてっぺんが平たいのはそのためで、切られた頭は岩手山に食いつくようにとんでって鞍掛山になった、という伝説である。 |
白馬岳(長野・富山・新潟)と雪女 武蔵の国のある村に、2人の樵が住んでいた。茂作はすでに老いていたが、巳之吉の方はまだ若く、見習いだった。 ある冬の日のこと、吹雪の中帰れなくなった二人は、近くの小屋で寒さをしのいで寝ることにする。その夜、顔に吹き付ける雪に巳之吉が目を覚ますと、恐ろしい目をした白ずくめ、長い黒髪の美女がいた。巳之吉の隣りに寝ていた茂作に女が白い息を吹きかけると、茂作は凍って死んでしまう。 女は巳之吉にも息を吹きかけようと巳之吉に覆いかぶさるが、しばらく巳之吉を見つめた後、笑みを浮かべてこう囁く。「おまえもあの老人(=茂作)のように殺してやろうと思ったが、おまえは若くきれいだから、助けてやることにした。だが、おまえは今夜のことを誰にも言ってはいけない。誰かに言ったら命はないと思え」そう言い残すと女は戸も閉めず、吹雪の中に去っていった。 それから数年して、巳之吉は「お雪」と名乗る、雪のように白くほっそりとした美女と出会う。二人は恋に落ちて結婚し、10人の子供をもうける。お雪はとてもよくできた妻であったが、不思議なことに、何年経ってもお雪は全く老いることがなかった。 ある夜、子供達を寝かしつけたお雪に、巳之吉がいう。「こうしておまえを見ていると、十八歳の頃にあった不思議な出来事を思い出す。あの日、おまえにそっくりな美しい女に出会ったんだ。恐ろしい出来事だったが、あれは夢だったのか、それとも雪女だったのか……」 巳之吉がそういうと、お雪は突然立ち上り、言った。「そのときおまえが見たのは私だ。私はあのときおまえに、もしこの出来事があったことを人にしゃべったら殺す、と言った。だが、ここで寝ている子供達を見ていると、どうしておまえのことを殺せようか。どうか子供達の面倒をよく見ておくれ……」 次の瞬間、お雪の体はみるみる溶けて白い霧になり、煙だしから消えていった。それきり、お雪の姿を見た者は無かった。 |
安達太良山 (福島県) 奥州安達郡二本松領塩沢村田地ヶ岡の城主は安達太郎様といいました。この奥方は飯坂城主佐藤氏の娘で照姫(てるひめ)と言い、たいそう美しい人で一人息子もおり平穏な暮らしをしていました。 |
開聞岳 (鹿児島県) むかしむかし聞聞岳と、海を隔てた南の硫黄島と喧嘩したことがあったそうです。大変なけんかだったそうです。 硫黄島がひどく怒ってワラッゴロ(藁打槌)を開聞岳にむかって投げつけたところが、それがうまくあたって、大きなコツ(こぷ)が出来たものだから、開聞岳も負けてはおらず、ぶんぷんおこってヒナワ=昔、野山に行く時薬くずを小縄で巻いて火をつけて行き、火種子にしたもので、火が消えないので重宝がられた=を投げつけたからたまらない。硫黄島は火事をおこしたそうです。 それで、硫黄島は今でも煙を噴いているのだそうです。間聞岳もまた、このときのコツがなおらず小岳となっているのだというむかしむかしの昔話。 |