桃源郷スワネティ地方メスティアの景観、後方の村には石造りの塔、前方の山あいには雪を被った大コーカサスの峰々が輝く |
旅の初めに・・・ ヨーロッパの旅に出かける度にワインの話をすると、時々グルジア・ワインの美味しさは世界一であると言う話題を聞いた記憶がある。 是非そのワインを飲みたいが故に、今回グルジアを計画した。 本来ならば今より若い時に、ヨーロッパ最高峰のエルブルス山に登る機会があったのだが、時期を逃してしまったので、せめて近くまで行けるのならばと期待する。 |
コーカサス3国はグルジア、アルメニア、アゼルバイジャン | ソ連邦から独立したが、アブハジア、南オセチア、アジャリア地方は 民族問題で独立状態 |
ワンポイント情報 ・国名 グルジア ・民族 グルジア系(83.8%)、アゼルバイジャン系(6.5%)、アルメニア系(5.7%) |
旧ソビエト連邦の構成国のひとつで、1991年に独立した。首都はトビリシ。南オセチアとアブハジア、アジャリア自治共和国がソ連崩壊後、独立状態となっており、ロシアなど一部の国から承認を受けている。 ソビエト連邦の独裁者、ヨシフ・スターリンの出身地でもある。 ソ連崩壊以降、グルジアは一貫して隣国ロシアと距離を置き、欧米との関係強化を打ち出してきた。軍事的には2008年のNATOとEUへの加盟推進、ロシア語からグルジア語への移行推進と英語教育の義務化、ソ連時代のみならずロシア帝国時代にまで遡っての「抗露運動の歴史」を教える記念館の建設、同じ路線をとるウクライナ、ポーランド、バルト三国との連携など、露骨な反露路線・民族主義路線を歩んで来ている。 グルジア国内の民族問題も両国の対立に拍車を掛けている。コーカサス地方は古くから無数の民族が入り乱れる不安定な地域であり、近代に成立したに過ぎないグルジア人という民族意識は未だ不安定で、グルジア国民の間でも地方対立が絶えない状況下にある。 |
☆入国(国境)
アゼルバイジャンからグルジアの東部の国境から入国 | アゼルバイジャンとアルメニアが戦争で国交がないので、グルジアに入ったり出たりの繰り返し |
☆ナゴルノ・カラバフ共和国問題
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☆グルジアはブドウの名産地
グルジア国内はブドウ畑が連なる | トラックの荷台には収穫されたブドウが、ワイン工場に運ばれる |
グルジア共和国東部のカヘティ州の中心都市。人口は2万1800人(2002年)。ワインの名産地である。 15世紀に統一されたグルジア王国が分裂を始めるまで、王国の経済活動の中心地の1つとなっていた。トビリシに次ぐ第二の町になる。 |
☆グルジア・ワイン(クレオパトラの涙) |
今から5.000年以上前、シルクロードの西の端、コーカサスの山から湧き出たミネラルウォーターで育った世界最古のブドウの原種からグルジアワインが生まれた。 そのワインはメソポタミア文明の源、チグリス・ユーフラテス川を下りエジプトに渡った。 クレオパトラはこの芳醇なグルジアワインをこよなく愛し、人前では強権を誇ったクレオパトラが、時に一人グルジアワインを傾け涙したと伝えられ、人々はグルジアワインを「クレオパトラの涙」と呼ぶようになったそうである。 グルジアの原種のブドウはサペラヴィ種、アレキサンドリ種など他の国ではみられない固有種として今に伝えられている。フランス、ドイツ、イタリアといった現代ワインとは全く異なった悠久のワインとも言われているそうである。 |
15世紀、グルジア王国の首都であった | イラクリ2世の騎馬像 |
☆民家レストラン
グルジアの一般家庭では独自のワインを作り楽しむ 民家へ | ユニークなガスストーブ |
食べきれないほどの料理が並ぶ | このワインはこの民家が作った、飲み放題 |
パン、野菜料理、肉料理 | チーズも民家で作ったもの |
☆ワイナリー訪問
ブドウ棚には美味そうなブドウが | ワイナリーの庭 |
ワイナリーは小高い丘にあり、そこで醸造 | 会社名は WINERY KHAREBA |
WINERY KHAREBA のホームページ |
案内嬢の説明 | 山のトンネルの中に工場 | ズラリ年代順に並ぶ |
試飲開始 | 白から・・・・・ムムッ! |
ワイナリーの庭で結婚式 | ワインショップ |
壁にも | 今夜のワインはどれに〜 |
☆トビリシ(首都)
グルジアはソ連邦から独立し西側に。アメリカを頼る。ブッシュ通り | 首都トビリシは人口120万人 |
☆夕餉
トビリシのレストラン | メインはグルジア式肉じゃが? |
☆再入国(グルジア南部へ)
アルメニアとグルジアの国境超え | アルメニアを回り、再度グルジアへ入る | 石油やガス管は地上、右端のハンカチは年頃の娘がいますよ〜の合図 |
☆ランチ・タイム(ヴァルジャ遺跡の近く)
本日は赤ワイン | 前菜、野菜が豊富 | パン(ナンの様)はモチモチで美味しい |
この国のポテトはホコホコで抜群に美味しい | ナスの炒め物 | メインはマスの串焼き、日本酒くれ〜 |
当初はギオルギ3世がペルシャの侵略に抵抗するため要塞として創建。12世紀後半にはギオルギ3世の娘タマル王によって修道院と洞窟都市としての役割も果たすようになった。タマル王はここに数年住んでいたとされ、一時は3000の洞窟に5万人の人々が居住していたと言われている。 山の中に彫られた洞窟都市はムツクヴァリ川近くにある隠れたトンネルからしか出入りができなかった。そのため、モンゴルの侵略から多くの貴重なイコンなどを守ることできた。 しかし、1283年の地震で洞窟の3分の2が崩れ、山の中に隠れていた洞窟が表に現れることになった。13世紀にはサムツへの大公ベカによって鐘楼が加えられた。しかし、1551年のペルシャの侵略により修道院は占領され、多くの文化的財産が没収された。 洞窟都市は教会、王室、台所、トイレ、ワインの構造室などの数百〜数千以上の部屋がある。水が引いてある井戸があり、現在でも飲むことが可能。「神聖なる水」として体に良い水と言われ、ペットボトルに入れて持ち帰る人も多い。 |
数百〜数千以上の部屋 |
5万人が住んでいた洞窟 | 地震で1/3に |
教会もあった | 洞窟の下では作物を作っていた |
教会、王室、台所、トイレ、ワインの構造室等も |
川を挟んで農業が行われていた |
グルジア王国のタマル王(女性)も一時住んでいた |
☆ホテル(クタイシの町)
人口18万人の町、ソ連邦時代は工業都市 | ホテルは元植物園、今は牛、馬、鶏など放し飼い | たわわになるカキ、美味しかった〜 |
ダディア博物館と右側に教会 | 教会内部 |
☆ランチ・タイム(ズグディディの町、人口8万人)
地元NO1の人気レストラン | 春巻き風 | 本日はビール、それなりに・・・ |
スープ | 美味しかったチャーハンもどき | トウモロコシにチーズを入れモチモチに、右の肉入りスープをかけて食す。 抜群! |
シイタケ?かな | スイカとメロン、甘すぎるッ |
☆クタイシ(グルジア西部の中心都市)→メスティア(グルジアの桃源郷)
イングリ・ダム ↓ |
☆イングリ・ダム
グルジアで一番大きいダム。コンクリート・アーチ・ダムは堤高272mで世界一の高さを誇る。 グルジアの水力は電力全体の8割を占める。 |
峡谷の下はイングリ川が轟音とともに走る | イングリ川を詰めるとウシュバ山(4695m)、その北にはヨーロッパ最高峰エルブルス山(5642m) |
☆スヴァネティ地方(景観が世界遺産)
スヴァネティ地方はグルジア北西部に位置し、サメグレロ・上スヴァネティ地方とラチャ・レチュフミ・下スヴァネティ地方に地方区分されている。 サメグレロ・上スヴァネティ地方の美しい記念建造物群と文化的景観は1996年にユネスコ世界遺産に登録されている。多くのスヴァン人とメグレル人が居住している地域でもある。 スヴァネティ地方にはたくさんの小さな村がある。どの村にも石の塔があり、それらは9世紀から12世紀のもので、美しい景色をつくっている。塔は監視塔と要塞の役割があった。 |
☆メスティア(小さな村に飛行場も)
メスティアはグルジア北西部のスヴァネティ地方にある小さな村。 標高1500m以上の山奥にあり、 アブハジア紛争など治安も悪かったせいで、 旅人を寄せ付けないでいた地域であった。 ところが、その美しい景観から、 世界遺産に登録されてからというもの、 山道は舗装路になり、空港まで出来てしまった。 |
ウシュバ山(4710m) | メスティアの村は白い頂の山に囲まれている |
☆石造り家と塔見学
石造りの家が並ぶ |
石の塔は家々にある。敵に攻められると一家が塔にこもり戸を塞ぐ。 | 家族が入ったた後、梯子を外すと敵は入れない。食料・水は沢山保管。 | 塔の内部は3〜4階 |
敵を見る窓、ここから熱湯や汚水、石などで応戦 | 監視塔と要塞の役目 |
石造りの民家、真ん中に囲炉裏 | 2階が住まい、1階は家畜小屋 | 一家の長の椅子 |
☆桃源郷の村のホテル
ホテル名「テトゥヌルディ」は正面の山から命名 | 前方の白い山は「テトゥヌルディ山 標高4,974m」 |
購入したコニャックでテトゥヌルディ山の夕焼けを肴に飲む。 | ホテルから見るテトゥヌルディ山の夕焼け。 コニャックが美味い! |
☆村のホテルでご来光
ホテルの前、太陽はまだ あさ7:00 | ホテルの犬に 「ニャオ!と鳴け」 と云ったら | 「フン!」 と横を向いた |
早朝のメスティア村、畑の緑が美しい |
ホテルの裏側の山々に朝日があたる、手前は教会 |
ワンちゃんとにらめっこ!!! |
動画・・・桃源郷スワネティとメスティア |
観光客が増えて、村には飛行場が出来た。道路も舗装 | ご来光です |
☆メスティア村→ウシュグリ地区(更に小さな村)
メスティアからウシュグリまで約45キロ、車で2時間、まだ未舗装。 4WDで悪路を進む |
オオカミが吠えている様な | ウシュバ山 標高4,710m。その形から「馬の鞍」とも呼ばれる |
ウシュグリの街に入る |
塔が建つている | 川と緑と真っ青な空のコントラスト |
☆ウシュグリ村(ユネスコ世界遺産)
ウシュグリは 高度2000mに位置し、 年の半分は雪で覆われる4つの村からなる地方。 人口は200人余り。 人の定住する村としてははヨーロッパで最高地点の村といわれる。ここに聖母マリア教会がある。 *世界遺産* |
ウシュグリ村、数十件の家が建つ。昔は細々と農業、今は観光客が押し寄せ観光。 背後はシハラ山(5,068m) |
☆ランチ・タイム
レストランの看板 | 村で作った食材が並ぶ。周辺の農家が作った食材 | 家族で経営 |
☆ロマリア教会
11世紀建立の教会。素晴らしいフレスコ画が残っている。スヴァン人たちはタマル王がこの教会の下に埋葬されていると信じている。 |
11世紀の建物 | マリアとキリスト画 |
キリスト画 | 壁に描かれたフレスト画 | 教会の庭 |
紅葉も綺麗でしょう |
☆ウシュグリ博物館
イコンや装飾品、民具が展示されている。 看板も何もない普通の民家風。 |
2,3階に民具 | 1階の民芸品売場 |
村の屋根は薄い石が乗せられている壁も石 | 11世紀頃の村がそのまま |
パッチワークの様な畑に家畜が放し飼い |
豚ものんびり | 牛も1日中、村をわがもの顔で散歩 | 犬は大型動物を避けるように大人しい |
白く濁った氷河のこの水は、やがて黒海に |
☆クタイシ(西部の中心都市)
グルジア西部の中心都市。リオニ川の河畔に広がる。人口は約186,000人。 町を見下ろす丘に立つバグラティ大聖堂(11世紀に完成)や、近郊のゲラティ修道院が有名。この2つはユネスコの世界遺産に登録されている。 |
☆バグラティ大聖堂(世界遺産)
11世紀に建造されたグルジアの大聖堂である。イメレティ地方の古都クタイシに建てられた大聖堂。 グルジアの中世建築史における傑作として伝えられている。
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看板 | 屋根の色が明るい | 町を見下ろす小高い丘に建つ |
日曜日、数組の結婚式 | 白いウエディングドレスが華やか |
皆に祝福されて |
民族衣装のCD売りオジサン | 式を挙げる新郎新婦 |
内部に響き渡る神父の声 | おごそかに | キリストの様な神父さん |
☆ ゲラティ修道院(世界遺産)
クタイシ郊外にある修道院で、1106年にグルジア王ダヴィド4世によって創設された。 ゲラティ修道院は長い間グルジアにおける知的・文化的な中心地の一つとして機能していた。この修道院にはアカデミーがあり、グルジアを代表する科学者、神学者、哲学者たちを擁していた。 ゲラティ修道院には12世紀から17世紀にかけての膨大な量の壁画や写本が収蔵されている。 |
世界遺産マーク | 複数の建物 右端がアカデミー |
アカデミー看板 | アカデミー |
アカデミー内部 | 周囲の椅子に生徒が座る |
壁画 | 壁・天井全てに壁画 | マリアのとキリストの画 |
☆国道沿いの民芸品店
何件も連なる |
お酒をいれる器。下に置けないので一気飲みしかない | メスティアの塔の民芸品 |
壺の絵はブドウ | ブドウ摘みの人形 |
☆甘いパン
国道沿いで売られる甘いパン | 長さ30cm | 皆でちぎって食べる。美味しい〜ネ |
☆ ゴ リ (スターリンの生まれた町)
ゴリはトビリシから西へ約76km、マルシュルートカで1.5〜2時間。人口は4万人(2009年)。 2008年の南オセチア紛争の際、ロシア空軍による爆撃がゴリの町を襲った。 |
☆スターリン博物館
生家跡に1957年オープン。本館には写真、肖像画、彫像、手紙などの遺品等が飾られており、スターリンのデスマスク(死後、顔の型をとったもの)もある。 ゴリの住民の評価は二分されると言う。一つは町に対しては何も貢献していないと言う。 |
豪華な博物館 | 彫像 |
エントランス | 土産物 | チケットに印押しの手伝いをする子 |
少年時代 | 合唱団で歌っていた頃、唄は上手だった。後列背が低い | 革命に燃えた青年の頃 |
初代最高指導者のレーニン(左)と | 執務室 |
最初の妻(死亡) | 2番目の妻(ロシア人) 後に自殺 | 長男、ドイツの捕虜となるが父親に見捨てられて後に自殺 |
ヤルタ会談(左からチャーチル、ルーズベルト、スターリン) | 葬式 |
☆スターリン生家
博物館隣にはスターリンが生まれて育った家があり、またスターリンの愛用した専用列車も展示されている。スターリンが生まれ4歳まで住んでいた借家。小さな家で二部屋しかないが、右隣の部屋は家主の部屋。貧しい子供時代であった。 |
左のドアがスターリン一家の借家、右は家主 | わずか6畳間程 | 家具はベッド、テーブル、タンス程度。貧しい家庭 |
父親は地下室で靴職人、酒癖が悪い父親に何度も乱暴された。 | ソビエト時代のスターリンの専用列車 | 完全防備の車体 |
右が窓、左は各室 | 洗面所とバス、右のドアは寝室と執務室へ | ベッドと机 |
会議室 | 窓も防備 | ソ連のマーク |
☆ランチ・タイム(ゴリ)
洒落た看板 | 定番のパンだが、これがまたワインに合う | サーモン |
キノコ和え | サラダ | ポテト入りスープ |
肉団子風 | デザート |
☆ウプリスツィの都市遺跡
ゴリから東へ約10km、車で約30分。「神の砦」という意味のウプリスツィヘはムトゥクヴァリ川の河畔右側に位置する。1000〜2000年前から人々が居住していたと言われ、キリスト教以前の異教徒・多宗教時代の要素を持った建築物も見られる。住居跡には大小の部屋、多宗教の儀式場所、劇場、ワインの醸造所などがある。また、9−10世紀創建の教会もある。 |
2000年前の家 | 天上に模様も | 誰の顔? |
山全体を砦に | 部屋が数え切れないほど | タマル女王のホール |
集会所 | 2000年前の ワイン工場 | 教会 |
教会内部 | 山からトンネルを通り地上へ | 昔は隠れトンネルだろう |
グルジアの首都、人口は約120万人。 グルジア東部、クラ川の河畔に広がる。三方を山や小高い丘に囲まれている。紀元前4000年ごろの居住跡が確認されている。 過去幾度となく近隣諸国から攻められその度に苦難の道を歩んだが、近年では、イランやトルコの侵攻の前に成す術も持たないグルジアは、ロシア帝国の庇護を求め、1801年、帝政ロシアに編入された。 |
☆ムタツミンダ山
標高727m。頂上にはテレビ塔が立っている。頂上からはトビリシの美しい景色が望める。車では麓から10分程度。ケーブルカーあり。歩くと1時間はかかるが、途中には川や聖ダヴィト教会など見どころがある。道には階段と手すりがついて歩きやすくなっている場所もある。 |
地上は480m、頂上の727mまでケーブルカー | 高度感抜群 | 途中、駅が1か所 |
テレビ塔 | 立派なホテルが、レストランはテラスに。デート・スポット |
トビリシの街並 | トビリシの街並 |
動画・・・グルジアの首都トビリシの街並 |
トビリシのムタツミンダ山(テレビ塔)の中腹に建つ現首相 ビジナ・イヴァニシヴィリの豪華邸宅 |
前大統領シュワルナゼは 元ソ連の外務大臣 |
現首相ビジナ・イヴァニシヴィリは 2013年大統領候補で大財閥 |
大統領とアメリカ、ロシアの思惑 グルジアは否応なく吸収され元ソ連邦の1国家。 ロシアは小さな国で資源もないグルジアに何故固執するのか。それは後述する「グルジア軍用道路」を通り、いざという時にトルコ方面や黒海方面に行けるからである。また、グルジアが黒海に面する所は石油資源もある。 一方、アメリカも対ロシア政策でロシアと背中合わせのグルジアに是非ともクサビを打ちたい。黒海の資源も魅力。 大統領が誰になるかで政策が変わる。 現大統領サアカシュヴィリは2013年で満期、再選不能(憲法)。アメリカ生活が長くアメリカ寄りでEU,NATO入りを望み、幾度となくロシアからの戦争を仕掛けられた経緯ある。 イヴァニシヴィリ現首相は、2012年の選挙で第1党となり有力な次期大統領候補でロシア寄りと考えられている。 イヴァニシヴィリ現首相が2013年の大統領選挙で勝つと、アメリカからロシアへとグルジアは方向転換間違いない。 常に大国ロシアとアメリカの狭間で揺れるグルジアは今後何処へ行く。 |
☆ディナー・タイム
要塞跡のレストランへ | なぜ緑? | 天井に葡萄棚が、そう本日は屋外のコーナー |
赤ワインも随分飲みました | 日本人と見て写真を撮る女性、ポーズをとるワ・タ・シ |
本日はピザと煮込み料理 | 要塞レストランンの外観 |
グルジアの夜景 | 遠くにテレビ塔 | 遠くに城壁 |
☆グルジア軍用道路
グルジア軍用道路は、トビリシからロシア連邦の北オセチア共和国の首都ウラジカフカス まで続く南北全長約210kmの道のことを指す。 19世紀初頭に、カルトゥリ−カヘティ王国が、ロシア帝国の庇護を受けたことによりこの道路の建設が始まる。 昨今ではロシアのコーカサス統治の意味合いがあるり、ロシアとしては絶対死守したい道路網である。 |
グルジア軍用道路はロシアの資金、前線舗装 | 軍用道路途中のジンヴァリ貯水池(2番目に大きいダム) |
☆アナヌリ教会
ジンヴァリ湖畔に建つ17世紀の教会。他のグルジアの教会と同じように要塞としての役割もあった。城塞の中には2つの教会があり、山側(道路側)がイエスキリストに捧げた教会、湖畔側が聖母マリアに捧げた教会となっている。 湖畔側の教会は1689年建立。教会内部には見ごたえのある(障壁)がある。山側の教会は17世紀初頭に創建され、湖畔側の教会より古いものになる。 |
アナヌリの看板 | 湖に建つ教会 |
キリスト教十字架の下は葡萄の絵 | イコンが全ての壁に | 昔の衣服、昔は女性を黒マントに包みさらって嫁さんにしたと言う。 |
☆ビュー・ポイント
VIEWの看板 | 渓谷と村 |
道路沿いの民芸売場、手編み |
叔母さん達が手編みで販売、のどかです。 |
グルジア軍用道路はさらに続く (今ではロシアの為の道路?) |
☆友好記念碑(グルジアとロシア)
渓谷に建つ | 右側が渓谷 | 何やら絵が・・・ロシアは友好国と思う国にこれを建てる |
真ん中は昔のグルジア王国のタマル女王? | グルジア・ガイドのトルニケさん | 景観によろしくない? |
軍用道路を見つめるワンちゃんは何思う・・・ |
☆十字架峠
グダウリからステパンツミンダの間のグルジア軍用道路で最も高い峠にある十字架。標高は2395m。この場所に11世紀のグルジア王ダヴィド4 世によってイスラム教国のオセチアとの境界を示すために木の十字架を立てたのが始まりと言われている。 その後、1824年にコーカサスの総督だったロシアの将校アレクセイエルモーロフによって現在の石の十字架が建てられた。 |
オセチアは独立状態、悩み多いグルジア | この道路はソ連が多くの捕虜に作らせた | ドイツン捕虜の墓、シベリヤばかりではないロシア |
☆グルジアのパムッカレ
石灰華段丘 | トルコのパムッカレと似ている |
☆カズベギ山
グルジア語でムキンヴァリと呼ばれているカズべギ山は(アイスピックという意味)標高5047mで、コーカサス山脈の最高峰の一つ。 キリスト教の伝説ではイエスが生まれたとされる飼い葉おけはカズべギに持って来られ、この辺りに隠されたということである。 |
カズベギ村 | 牛が通せんぼ | 喫茶店の名前は5047mと解りやすい、カズベギ山ではなく標高を名前にしている。 |
晴れた日のカズベギ山と丘の上の教会(登山可能) |
☆さよならパーティ
首都トビリシで最後の晩餐、国際色豊かなレストランへ | 旅行中に出来た飲み仲間と飲み放題い、誰かが払う? 赤は1000円程度、白700円程度と日本の料金の1/5 程度かな・・・ |
メインは餃子風 | バンドも踊りも、それぞれの国の唄披露合戦、このグループは女性ばかり |
☆ムツヘタ(世界遺産)
ムツヘタはグルジアの古都。首都トビリシから北西に20km。人口は7,600人(2004年)。クラ川とアラグヴィ川の合流地点の近くに町が広がる。
町を見下ろす山上に位置するジワリ修道院(6世紀)と、町の中心に位置するスヴェティツホヴェリ教会(11世紀)が有名。スヴェティツホヴェリ教会には、337年にキリスト教を国教化した王ミリアンとその妻ナナの墓がある。 ムツヘタのいくつかの宗教建造物は「ムツヘタの歴史的建造物群」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されている。 |
ムツヘタの街並 |
☆ ジュワリ修道院
グルジア正教会の修道院。6世紀の建築で、グルジアの東部ムツヘタ(世界遺産)の近郊に位置する。 修道院は4世紀、グルジアへキリスト教を伝道したと信じられている女性の伝道者、グルジアの亜使徒光照者聖ニノが祈りのためこの地に滞在し、ムツヘタの高地にある丘へ十字架を建てたのが始まりであるという。 この教会はグルジア国内にある他の多くの教会のモデルとなった。 |
丘の上の教会 | 観光客が多い教会 |
内部 | イコン画 |
☆スヴェティツホヴェリ教会(世界遺産)
かつてはイベリア王国の首都として栄えた町ムツヘタ 、グルジア最古の木造聖堂 スヴェティツホヴェリ大聖堂には キリストの着衣が教会の下に埋まっているという伝説がある。 4世紀に、ミリアン3世がグルジア最古の木造聖堂を建立。1010年、現在の石造の教会が再建。 要塞としても使用されていたため、石塀には銃眼がある。トビリシのサメバ大聖堂の次に2番目にグルジアで大きな教会。 |
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ムツヘタのシンボル | 教会前で観光客相手の商売、クルマは立派な展示台 |
世界遺産マーク | 4世紀の教会 |
キリスト画 | この下にキリストの着衣が埋まっていると言う | キリスト教なのに女性はスカーフと腰巻強要 |
☆グルジア国旗
十はエルサレム十字、5つの十字架は中世のタマル女王期の旗 | タマル王、最初の夫とは子が出来ず追い出し、二番目の夫とは子が出来た。三下り半の女性版 |
☆最後のランチ(トビリシ)
中華料理「香港」 | 日本か中国か判別できない | やはり中国化 |
甘すぎるんだよな〜 | チャーハンが一番美味かった | 甘すぎるんだな〜 |
☆トビリシ市内観光
☆メテヒ教会
旧市街のムトゥクヴァリ川沿いにある丘の上の教会。シルクロードを往還するキャラバン(隊商)が、安全を求めて逃げ込む要塞の役目も果たしていた。1235年のモンゴルの侵略によって破壊され、1289年デメテル2世によって再建。しかし、その後もオスマン帝国、サファヴィー王朝によって破壊されては再建されている。帝政ロシア時代には監獄として使用され、革命運動で検挙されたゴーリキーもここに幽閉された。また、ソヴィエト後期には劇場として使用されていた。1991年から再び教会として使用されている。 教会からはナリカラ要塞、旧市街、ムトゥクヴァリ川が見下ろせ、トビリシの景色を満喫することができる。 |
トビリシの街が一望 | 断崖絶壁に建つ教会 | 多くの観光客 |
17世紀からある硫黄温泉の大浴場。フランスの小説家アレクサンドル デュマやロシアの詩人プーシキンもトビリシを訪れた際温泉を楽しんだ。 浴場は2つあり、一つはロイヤル浴場。もう一つは青色のモスクの形をしたオルベリアニ浴場。個室もある。 |
トビリシの街に隣接 | 多くの建物 | 入口 |
☆シナゴーグ(ユダヤ教)
大きく立派な集会所 | シナゴーグは集会所 ダビデの星 | 聖職者一覧 |
立派な集会所 | 椅子は布張り | 二階席も |
旧約聖書 | ・・・・・ | ラビのお話 |
☆ユダヤ教
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☆シオニ寺院(グルジア正教の総本山:旧市街)
グルジア正教の総本山。575−639年の間に創建されたが、メテヒ教会同様度重なる破壊と再建を繰り返した。 シオニの名はエルサレムの聖シオニ山に由来する。現在も聖ニノの十字架が納められている。内部はたくさんのイコンや壁画で美しい。 |
総本山 | イコンや壁画 |
☆トビリシ街並
トビリシの銀座 | 川にはアーチ型の橋 |
☆グルジア略史
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旅を終えて・・・ グルジア・ワインは奥が深い。延べ日数9日間も滞在して、昼・夜の食事にワインを各種飲んだが未だ美味さの秘密が解らない。自分はまだまだワインの味を会得するには修業が足りない事を認識した。 もう少しフランス・イタリアを回り対比してみたいと思ったが、結論の一つとしては札束を積んで高価なワインも飲まなければと自覚もした。日本のコンビニの安価なワインばかり飲んでいる身分では無理からぬことではあるが。 難しい事は別として、グルジアの景観は素晴らしかった。桃源郷と言われるメスティア、グルジア軍用道路の景色も良かった。そして国内のあらゆる場所に点在するブドウ畑の緑が素晴らしい。 そして、グルジアではワインは毎晩食事のときに飲まれ、手作りワインを作っている家庭も多いと聞く。日本の多くの家庭でおふくろの味として漬ける漬物のようにそれぞれ個性があるのであろう。 自然の景観と、5,000年前から生産されているワインの歴史がグルジアにはある。「ワイン醸造発祥の地」と言われているのは観光の売りになろう。近代化など必要ない。地球を滅ぼすだけなのだから。 遠くはクレオパトラに、あまりのグルジア・ワインの甘さに涙を流させ、近年ではイギリスのチャーチル元首相に「このワインを私は生涯に渡り買い占めたい・・・」と言わしめたと言う。そして現代、ロシアのプーチン大統領は 「グルジアのワインはおいしい。欧米とは違う独特のワイン文化がある。」と評価。 またマルコ・ポーロは「絵に描いたように美しい」とグルジアを後世に伝えている。 グルジアの未来は、自然の素晴らしい景観とワイン文化だけで、世界中から観光客を引きつけるかもしれない。何よりコーカサスと云う語句が夢がありそうな響きではないか。 素晴らしいグルジアの旅をした。 終わり |