癒しの楽園 南インド 紀行

                       

         かってのスパイス貿易船を改装した「ハウスボート」で1泊クルーズ、最も南インドらしい情景

    6か国と国境に接するインド       インドの4大都市   4大都市のチェンナイから今回は出発

 旅の初めに・・・

 2017年9月、南インドの旅をすることとした。前回は2007年であったから10年ぶりのインドである。
10年ぶりのインドはどのように変貌しているかが焦点となる。

「インドは貧しい国ではなく、貧しい人が多く住む国である」とよく言われるが、果たしてその実態は改善されているのであろうか。教育、性暴力、汚職、インフラ、カースト制などなど興味ははてない。ともあれこの目で見てみたい。インドに行くとはまるとよく言われるが、今回は徹底してはまってみたい。

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         ★ 出 発

  成田~デリーはエア・インディアでおよそ9時間   各地でインド人のマスコットが迎えてくれる

 インドの飛行機は国内線を含めて最新鋭の機体    食事も美味しい。日本の映画も1本あった

    インドのビールもいけますね~   インドの赤ワイン、少し辛いかな。気前よく2本、3本・・・

 インド・ワンポイント情報

 ・国 名   インド                     ・言 語   ヒンズー語、英語
 ・面 積   世界7位                   ・民 族   約4000年前から混血
 ・首 都   ニューデリー(人口2,200万人)      ・宗 教   ヒンズー教(80.5%)、イスラム教(13.4%) 
 ・人 口   13億人(2017年)               ・産 業   農業、工業、鉱業、
IT産業
 ・識字率   74.0%                     ・平均寿命  68.3

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          ★デリー (首都)到着

デリー空港は大きい、インチョン空港を抜きましたと言うガイドは誇らしく。         空港ロビーは真新しい。

          空港内のトイレは人物の絵で区別      空港内では実物大の象さんがお出迎え

  国内線乗り換えが3時間あるので、バー・カウンターへ       インドのビールは高い、大瓶1本1000円

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     ★首都:デリー

       インド門

・人口は21,753,486人。

イギリス領時代の1911コルカタからデリーにインドの行
 
政府所在地が移された。

・道路は整然と配置され、沿道は大きく育った街路樹と庭園の
 緑に包まれている。

・建物もイギリス植民地様式が多くなっている。街の東西の軸
 がラージパト(「王の道」の意)と
呼ばれる大通りである。

・インド門(第一次世界大戦出征記念碑)から大統領官邸まで
 続いている。両者を焦点として放射
状に街路が延びている。

地下鉄デリー・メトロ)は2002に開通、現在3路線があ
 る。

    デリー市内までの道路はこのとおり     貧民街、難民地区の家はひどい状態

    デリーで一番のショッピング・センターへ      街角には現首相のモディさんの看板

 

日本のショッピング・センターの3倍はありそう 地下2階、地上5階まで。ここは裕福な人が来る?  米生産世界一だけに、各種の米が並ぶ

  イタリアン・レストランを見つけランチ・タイム         イタリアからシェフが来ているらしい

 

    インド産赤ワイン

    インド産ビール

☆インドとは・・・

・インドは南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。

・13億人(2016年現在)を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されている。                           

・議会制民主主義国家であり、有権者数8億人と世界最大である。州政府が一定の独立性を持ち、

 各州に中央政府とは別に政府があり大臣がいる。

・労働力人口の3分の2が農業に従事する一方、製造業とサービス業が急速に成長している。

・ヒンドゥー教徒が最も多く、イスラム教、シーク教がこれに次ぐ。

・カースト制度による差別は憲法で禁止されているが、今でも農村部では影響は残っている。

・汚職や環境問題を抱えながら、近年は経済発展が顕著で、アジア開発銀行はインドの中間層が向

 こう15年間で人口の7割に達するとしている。

      どのホテルも清潔で利用しやすい    相変わらず朝のラッシュアワーは車にバイク

          手前には貧民街、その向こうには通常の住宅街

  インドはヒンドゥー教の国、国のどこに行っても寺がある

   仏塔の様な建物も多い


 朝夕のバスは凄い、500%の乗車率という
 痴漢が多い原因でもある。
   お墓は整然としてある      トラックの荷台は人も物も

 

       ビルの片隅に藁ぶきの家がある

 ヒンドゥー教は牛は神様、殺さない、肉は食べない。寿命で死ぬと埋めるという。町の中を堂々と歩いている

 産業明細

 ・農業= ~生産量は中国に次いで世界2位、米輸出量では世界一。  小麦の生産量第2位。

         綿花~生産量が中国に次ぎ第2位。 ~生産量が中国に次ぎ第2位。牛乳~生産世界一。

          カシューナッツマンゴーココナッツ生姜ウコン胡椒ジュート落花生等々も生産。

 ・世界第14位の工業生産国   ・輸送機械産業~オートバイスクーターオート三輪

 ・二輪車市場~世界第1位   ・自動車生産台数~393万台で世界第6位で輸出もしている。

ツアーバスは綺麗で快適であった。クーラーも扇風機も      川では洗濯をするのが普通らしい


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     ★チェンナイ

南インドベンガル湾に面する州都。インド
 
有数の世界都市であり、人口は890万人であ
 り、
同国第4位である。1996マドラス
 ら正式に改名された。

「南インドの玄関口」「南アジアのデトロイ
 ト
」「インドの健康首都」「インド銀行業の
 首都」の異
名を持つ。

自動車産業情報技術産業、ビジネス・プロ
 セス・アウトソーシング
業(外部委託)が盛
 んであ
る。

       

       至る所にある寺院         これも神様か?

 

      カラフルな民族衣装

    インドの女性は美人が多い

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     ★カーンチプラム

・絹織物のサリーの手織産業の町として有名。

・ヒンドゥー教の7大聖地のひとつ。

・古都でシヴァ神やヴィシュヌ神を祀る多くの寺院がある。その数200を数える。

       

       人口16万人の街         市民の足は三輪車     よく見かける政治家のポスター

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    ★シルク工場 (トイレ・タイム)

   インドはトイレが非常に少ない、シルク店へ      旅慣れたご一行様は誰も買わない・・・

 世界の核保有国・原子力潜水艦保有国

  アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中国の五大国のほか、   インド、パキスタン、 北朝鮮、イスラエル。

    
       バスのナンバープレート          一般的な住居の屋根瓦

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        ★カイラーサナータ寺院

・世界的に有名な石窟群で、エローラ石窟群と総称され34石窟がある。

5世紀から10世紀の間に造られた仏教ヒンドゥー教ジャイナ教の石窟寺院や修道院(あるい

 は僧院、僧坊)などから構成されている。

・第16はカイラーサナータ寺院と呼ばれ、エローラで最も重要な石窟寺院である。

・この巨大な『彫刻』は、カイラス山(チベット)(ヒンドゥー教ではシヴァ神が住むとされる)

 イメージして掘られたものと考えられている。

・当時のこの地の王は寺院を造り出すことでシヴァ神を祀り、王朝の権威を示そうとするものであ

 った。

            7世紀の建物         ガンディースタイルの老人

 

      58もの小さな神殿が外壁

          シヴァ神を祀る

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   ★エーカンバラナタール寺院

 カーンチプラム最大の寺院。
 シヴァ神を祀ったこの寺院に近づくと、高さ60mの巨大な白いゴープラム。中に入ると化粧を施された像のお出迎え。

 寺院内には2,000本の柱があるといわれる。本堂を囲むように136本のリンガがある。

    この町最大の寺院       シヴア神を祀っている     化粧をした象さんが頭を撫でてくれる

   キリスト教の宗教壁画と似ている インド人は皆が結婚したがると言う。そして子供を欲しがるという。

この寺では結婚式が多い。結婚式には数百人が出席する。このリンガ(男女の象徴)は16本もある。
男性器と女性器のリンガを見ると良い性教育だ。

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    ★ホテル 

        今日のホテル

    インドはビュッフェ・スタイルが多い

  カレーが飽きたので揚げ物をチョイス  1本1000円也のビール

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   ☆マハバリープラム

6世紀以降、東西貿易の一大拠点として栄え、町には数多くのヒンドゥー教寺院が建立された。

・貿易港であったマハーバリプラムの海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残した。花崗岩の岩山を

 掘削した石窟寺院、牧歌的な趣きのある岩壁彫刻石彫寺院、また、最初期の石造寺院である石

 積みの「海岸寺院」などがある。

1985には世界遺産文化遺産に登録された。ことに、当時の木造寺院を模して壁面にライオン
 
などが刻まれた「5つのラタ」と呼ばれる一連の石彫寺院は特異な遺跡として
名高い。

          水田が続く         次々現れる寺院 国道沿いにいろいろの店が、インド版コンビニ

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   ★海岸寺院

8世紀になるとインドの建築様式が石窟寺院から石造寺院へと転換して最初に建てられたのがこ

 の海岸寺院だと言われている。この寺院は、1000年以上も波風にさらされ続けたので、風化し

 て角が丸くなっている。

・伝説によると、元々は7つの寺院があったが、他の寺院は全て海へ沈んでしまい、現在はこの海

 岸寺院の2つの建物しか残ってない。大きい寺院がシヴァ神で小さいほうがヴィシュヌ神の建物

 となっている。

          世界遺産マーク  2つの寺院だけが残り、後は海に沈んでしまった

       ヒンドゥー教は牛が守り神      この海に他の寺院は今も眠る

   

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            ★アルジュナの苦行

・大きな一枚岩の岩肌全面にわたって刻まれた群像彫刻。このレリーフは幅29m、高さ13mもあ

 る世界最大のレリーフと言われているが、長い年月のうちに主題が忘れ去られてしまった。現在

 ではヒンドゥ教説話マハーバーラタの中の説話「アルジュナの苦行」、あるいは中央の亀裂をガ

 ンガー川に見たたて「ガンガーの降下」と解釈されている

      長さ29mの岩に刻まれている 地元ガイドのピーケーさんは一流大学を出て難関のガイドになっているが、日本人が少なく収入が少ない

 中央の亀裂がガンガーの降下というが?

 悩み多きガイド

 ガイドは46才、インドの一流大学を出て、製造業の会社を起業して成功したが、6年後に社員たちに資金を持ち逃げされて倒産してしまったという。
 カーストでは最高位のバラモン出身であるが、バラモンが全て金持ちとは限らないという。奥さんは当然同じ階層のバラモンであり、結婚後はリッチな夢を見ていたらしいが、主人が倒産したのは計画的で騙されたと言い、子供が二人いたが二度も家出したが、今は止む無く戻り同居しているという。

 生活のために、難関のガイド試験に合格し、インド一番のツアー会社に勤務しているが、英語と日本語しか話せず仕事の量が少ないという。日本人の観光客が少ないためであるという。

 日本には、日本人の客が旅費を負担してチケットを贈ってくれたので二度行けたという。ツアーの他の客の話では日本にも彼女がいて子供もいるが、移住までは決心がつかないらしい。それはインドの二人の子供が成人になるまで、奥さんとは不仲なれども我慢していると、ビールを飲んで酔って吐露していた。

 頭には日本人からプレゼントされたという日本タオルが印象的である。

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  ★クリシュナのバターボール

・アルジュナの苦行のある岩山は公園になっており、斜面の途中に丸い岩が静止した不思議な光景

 が見られる。この岩は見る角度によって形を変え、西側(坂の上)から見るとナイフでスパッと

 切り取ったような窪みがある。

・これはヒンドゥー神話に登場する神の化身クリシュナの好物にちなんで、クリシュナのバターボー

 ルと呼ばれている。昔から奇妙な岩として知られ、パッラバ朝時代に象を使って動かそうとした

 が失敗したという伝承がある。

    

    転がらないとは不思議     今にも下へ転がりそう     ガイドが支えてくれた

釈迦頭はお釈迦様の頭を思わせるデコボコが表面を覆う、濃い緑色の果物。         甘くて美味しい

 

インドのお祭りにはホテルのロビーや土産物屋に飾られている。日本のひな祭りに似ている

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   ★マドゥライ

・インドの中南部の都市。古都で人口102万人。紀元前から栄えていたと考察され、多くの文化

 遺産があり、南インドの商業の中心でもあった。

・旧市街は町と言うより大きなバザールの様である。リクーシャや売り子の呼びかけ、スピーカー

 から聞こえてくるインド音楽、旅行者や巡礼者は11万人を超す、この街はお寺で持っているような街
 である。

   ○インド音楽

    https://www.youtube.com/watch?v=VuI8vSnqBzkクリック)

       インドのツアーバスは快適   道端の店には本日商品がない、売り切れか? 

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    ガンディー記念博物館

ガンディーゆかりの品々や肖像画、歴史を開設したパネルなど、偉人の足跡をたどる資料館になっている。

・ガンディーが暗殺されたときに身に着けていたドーティなどが展示されている。

      さすがにガンディー博物館は立派  正面には下を向いて思い悩むようなガンディーの象

         若い女性も         もっと若い女性も訪れる

    若い頃のガンディー夫妻   暗殺された時の服装には血痕の跡が残っている

 

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   ティルマラィ・ナーヤカ宮殿

17世紀、北インドのイスラー王朝の脅威を退け、寺院をはじめとする多くの建造物を残した
 テ
ィルマライ・ヤーナカ王が1636年に建造させた宮殿。

・インドの他の巨大建造物に比べるとちょっと小さ目だが、太い柱が並ぶ回廊や、奥にある博物館 
 
として使用されている部屋の彫刻などがある。

        大部分が破壊されている

     太い柱が並ぶ回廊は美しい

    博物館内部は鮮やかな色合い      見事な彫刻が彫られている    お互いに珍しそうに見つめ合う

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   ミーナークシー・アンマン寺院

・マドゥライ市のシンボルとも言えるミーナークシ寺院はミーナークシ女神とシヴァ神を祀る「生きている寺院」。
 現在の建物は15世紀から17世紀にかけて建てられたもので12もの塔門を
持つインドでも有数の規模を誇る巨大な寺院である。

・市内の至る所から見ることができる塔門のうち、最も高いものは60m、それ以外も45~50mの高さがある。ピンクや青、黄
 色・・カラフルに彩られた多くの神々が彫られた巨大な塔門は
圧巻。いったい何体の神が彫られているのか?・・・。
 ここには毎日1万人もの巡礼者が訪れる
と言われ、遺跡で見慣れたヒンドゥー寺院とは違う「生きている寺院」の姿を見ることができる。

 ・ミーナークシ寺院も元々は「魚の眼を持つ女神」と言われるドラヴィダ系の土着神ミーナークシ女神を祀るものだったと考えられている。

 ・その後、北方のヒンドゥーイズムの影響で、ミーナークシ女神はシヴァ神と結婚することとなり、シヴァ神の妃であるパールヴァティと
  同一視されるようになる。おかげで元来の夫は、ミーナー
クシの兄として格下げ、21kも離れたところにヴィシュヌ神として祀られている。

  町のどこからでも見える仏塔           一番上には魚の目を持つ女神

      60mの高さは見上げてしまう

  この池では大人は沐浴、子供は無邪気にプールとして泳ぐ         天井の飾りが素晴らしい

 

   みやげ物売り屋さんはチャリンコで

      スパイスマーケット

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   ★ホテル

      さて本日のホテルは?     ロビーに居座る神様   ドア・ボーイはカッコいい

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  ★最南端のコモリン岬に向けて

  インドの路線バスや通勤バスは廃車同然  車体は傷だらけ、窓は汚れ放題、冷房なし    高速道路入り口、人はいるのか?

 国道沿いのガソリンスタンド、店もトイレもない       ポツンとコンビニ?があるだけ

     南部地域は米どころ  高速道路でバスが止まるたびに物売りが来る      カラフルな民族衣装、裸足で農作業

 

 3時間かけて、ようやくドライブイン    水分は控えなければならない   

     インド南部は奇岩が目立つ

  ★コモリン岬

インド亜大陸最南端の岬で聖地。ここからベンガル湾アラビア海,イン
 ド洋
が一望できる。太陽が
海から昇り,海に没するのを見ることができる
 のは,インドではこの地だけである。

・マルコ・ポーロはコマリと呼んだ。独立後は,岬の先端に建つ処女神クマ
 リを祀る寺院の名にちなん
で,カニヤー・クマリと呼ぶ。

   ★ホテル

  スパ・ルサ・リゾートは瀟洒なホテル     南国の花が咲き乱れる       五弁の花が清楚

 

   ★SHRINE OUR LADY OF RONSOM

 インドのカニャクマリにあるキリスト教のカトリック教会。キリスト教徒が48.74%を占めるカンニヤクマリ地区。
 聖フランチェスコ・ザビエルが祈った歓喜の聖母が、後に聖母の教会になったと信じられている。

 説明文には「私たち女性は、1218年にイスラム教徒の侵略からキリスト教徒を救済したスペインの集会のパトロンです。カニヤクマリの人々は、ランスムと喜びを結び、彼らの守護神アランガラ・ウパカラ・マータと呼んでいます。」

 スパインの置き土産はキリスト教、ここはまだ主流       聖母の教会

 

   キリスト教らしい内部  

      聖母マリア

       カニヤークマリ

インド最南端の都市であり、この都市の位置するコモリン岬は聖地として有名で、
 多くの巡礼者が訪
れる。人口3万人。

「クマリ」とは、神話上の失われた大陸の名称であり、そこにあったとされる山脈
 の一つの名で、そ
こを流れていたとされる大きな川の名でもある。

      カニャークマリの街並み      塀がショーウィンドウ

     揚げ物が美味そう  この唐辛子はめっちゃ辛い         いろいろな商売があるものです

 

  カンニヤークマリを象徴するヴィヴェーカーナンダ・ロック

  ヴィヴェーカーナンダ像と左は記念堂    巨大なヴィヴェーカーナンダ像  ヴィヴェーカーナンダ像

ヴィヴェーカーナンダ(1863年1月12日 - 1902年7月4日)は、インドの宗教家。ヨーガ指導者。ヨーガとヴェーダーンタ哲学の霊的指導者としてインド及び西側諸国の人々に影響を及ぼした。

  朝な夕なにインド人は水に浸かりお詣り    子供たちは即席遊園地で遊ぶ     大人が手動で回していた

 

     スパイス店     

 さすがインドはスパイス王国、その種類たるや数えきれない

 夕方が近いから海にお参りに向かう人々    物売りも人の集まる海へと急ぐ         赤いバナナ

   ★インド最南端の夕日

     もうじき太陽が地平線へ その数、数百人が見守る。素朴な田舎町では一大イベントであろう 敬虔なヒンドゥー教徒は海に入りお祈りをする

  左はアラビア海の砂、右がインド洋の砂

ベンガル湾の砂

                    インド洋に沈みゆく夕日

  ★アレッピー

 アレッピーはコーチンの南約64kmの所にあるバックウォーターの中心地。白い砂浜の海岸線と、
 鮮やかなヤ
シの木の緑、そしてヨーロッパの古い教会の姿が作り出す美しい町。

   インドの民族衣装「ドウティ」はガンジーも来ていた男性衣装、涼しく過ごしやすそうだ

 インドは果物が新鮮、野菜は毎日家庭で買うという        インドの女の子は目が異常なほど大きい

 現首相はインフラに力を入れ、国中で工事中  10年もすると道路は見違えるほどよくなるでしょう

  やはり日本車は人気が高い、ニッサン        トヨタも

    スズキは一歩リード

   インドの国産車タタは、性能で苦戦とか パジャジー(メーカー名)の三輪車は安いのでインドでは人気

 ホテルのご飯は意外と美味しい。常時3種類ほど     辛くはないかな~と、恐る恐る

    ☆バックウォーター(水郷地帯)

44の河をもつ、緑豊かな「楽園」のイメージの土地。 紀元前3世紀頃からすでにこの地では交易が盛んに行われており、
 エジプト、フェニキア、中国、バビロニアなどの地方からの人々で賑
わいを見せていた。

 その後、大航海時代の1498年にポルトガル人が訪れ拠点を築き、続いてオランダ、イギリス、フランスからも相次いで上
 陸し、象
牙、チーク材、香辛料などを求めてヨーロッパ人の交易が開始された。非常に緑が多く、車窓からは常にヤシ、
 バナナ、ゴムなどが植樹されているのを見る
ことができる。

バックウォータートリップが人気の理由は、ヤシの木が茂り、インドの中でも最も南国的情緒がただよい、舟から人々の生
 活を間近に見る事ができるため。人気の野鳥キングフィッシャー
(わせみ)もよく姿を見せてくれる。バックウォータート
 リップにはいくつか種類があり、クルー
ズ船、ハネムーンボートと呼ばれる貸切りハウスボート、小舟で船頭が漕ぐタイプ
 など。所要時
間が異なるため、船旅の目的によって選ぶ事が出来る。

       これが今夜のクルーズ船、屋形船の様な雰囲気はロマンが漂う、二階はテラス

 船の最後尾はキッチン、船ごとにコックがいる ベッドも清潔、左奥にはシャワー室と洗面所、トイレ

  ミニ、レストランとその奥が談話テーブル       テレビもオーディオも完備

    ハウスボート

 インドの南国ケララ州で人気のアクティビティの一つ、ハウスボート (または、バックウォータークルーズ

 ケララ州はアラビア海に沿った細長い州なのだが、海岸線に並行するようにbackwatersと呼ばれる海水と淡水の入り交じる水郷地帯が広がっている。その総距離はなんと1500km!!

 昔は、人々の大切な足として使ったり、米などを運んでいたKettuvallomという船だが、今はベッドルームやキッチンなどが付いたプライベートホテルのような空間に変身!
 
とても穏やかな水の流れの上を、のんびりゆらりとクルージングするのである。

 日帰り〜一週間などの長期のものまで、さまざまなツアーが提供されている。

   ゆったりとした流れに乗って船は進む

 二階の休憩コーナーは昼寝に最適、ランプまである

 

        最先端は操舵部分   川の両岸はチラホラと農家の家と田んぼが見える

   

  乗船後、バナナの揚げ物がおやつで出る     前方は二階建て、6室がある

    川沿いにある小さな川魚屋さん

      エビとカニを購入

     農家の家、長閑        田んぼは二毛作        夕日がきれい

      またまたおやつ             夕焼け空

    今夜の夕食、非常に美味しい           エビも美味

     カニも抜群にうまい

        デザート      これもデザート、甘すぎた

もう一人のガイドは日本の「akb48」の水着動画をスマホに入れて楽しんでいる、一見遊び人

                川の岸辺には蓮の花が楚々として咲いている

   ★コーチン

・インド南部の主要産業都市。人口60万人。

・南インドの重要な貿易港を有する。主要産業は観光、建設、肥料・化学など製造、造船等多岐にわたる。州唯一の
 株式市場、南インド海軍司令部とインド最大規模の製油所がある。
14世紀からアラビア海に面する重要な港町として主に香料貿易で栄えた。
1503年、ポルトガルによって占領され、欧州初のインド植民地となった。ヴァスコ・ダ・ガマ3度目のインド洋
 航海で、
152412月にこの地で病死した。
1530年にゴアへと拠点が移ったが要塞としての役目は続いた。その後、オランダマイソー王国(ヒンドゥー王
 朝
)ギリスなどの支配を受けた。
・スパイスの王様ともいうべき胡椒の原産地はインド南部にあり、南インドでの栽培は紀元前500年頃から始まって
 いたとのこと。古くからヨーロッパへもたらされていたが、肉食を中心とする
ヨーロッパ人にとって胡椒は極めて
 貴重なもので、
15世紀の大航海時代の幕開けも胡椒への欲求が背景にあり、コーチンはヨーロッパ人が進出して以
 来、胡椒貿易の一大拠点として発展した。

       市民の足は三輪車

       運転手は裸足、熱いため?

  ★ダッチパレス

  17世紀のオランダ統治時代に総督邸になったためダッチ・パレスと呼ばれるようになった。

 展示物は総督時代のものよりもコーチンの藩王時代のものやヒンドゥー教の壁画などが多い。

    続々と市民や観光客が押し寄せる     インドの象徴彫刻      残念ながら撮影禁止

   ★チャイニーズ・フィッシングネット

 チャイニーズ・フィッシング・ネットは、南インドのケララ州、コーチン近郊でのみ見られる仕掛けで、その昔中国から伝
 わったということから「中国式の魚獲り網」というネーミングがつけ
られている。

 丸太を何本も使って組み上げた大がかりな装置で、巨大な網を海中に沈め、魚の群れが通り過ぎるタイミングを見て引き揚
 げる。
 
コーチンの海には魚が多く、最初は小さな魚しか獲れなくても、何度も繰り返すうちに大きなものも獲れるそうで、この漁
 は数百年もの間続いている。

          丸太を組んで          網を仕掛け       人力で引き上げる

                大小、大量の魚・海老が捕れる

 大きなエビ、近くの屋台で食べさせてくれる            たくさんの仕掛け

    聖フランチェスコ教会

 植民地時代の名残を多く残すフォートコーチン地区にある教会。
 
1503年にポルトガル人によって建てられた教会で、この地で死んだバスコ・ダ・ガマの墓が教
 
会の中にある。1603年以降プロテスタントの教会に変わったため内装はシンプルである。

500年以上の歴史

シンプルな教会内部

    本当にシンプル      バスコ・ダ・ガマの墓

   ★ドービー・ガート(屋外洗濯場)

「街中の洗濯物が集まる」とまで言われるほどの大きな敷地で、入口以外は高い塀で覆われている。
 観光地にもなっている。

 敷地内には、ホテルや病院のリネンなどを洗濯して生計を立てている「Dhobi」と呼ばれる人たちがいる。
 洗濯物を振り回し、コンクリートや石に打ち付ける方法で、乾燥後に宅配も行うという。
 一般家庭からの洗濯依頼もあるが、近年は洗濯機の普及も進み、仕事の減少も懸念されている。 100年以上の歴
 史があり、5000人以上が働いているという。

  町のクリーニング屋さん       右のアイロンをかけている人が経営者

 洗濯機はない、床にたたきつけて洗う               自動乾燥機

  

    おばちゃんもアイロンがけ 炭を入れたアイロン、昔の日本同様

      綺麗に仕上がった

  統舞踊「カタカリ・ダンス」

 歌舞伎に似ているといわれる。

・カタカリ・ダンスはインド4大舞踊のひとつで、セリフは一切なく、指の動きと表情(特に目の
 
動き)でストーリーを語る。物語は、ヒンドゥーの叙事詩ラーマヤーナや、マハーバラタが題材
 
になっていることが多いよう。

入り口の看板 先ずは入念に化粧から

           踊りから        目の動きがすご~い

      二人目が出てきた     無言の芝居が始まった。ムム~ッ!

          ★紅茶を買いましょう

   紅茶の土産物屋へ、男は殆ど座っている      こういう所で茶の葉を摘む

        ★インドの宗教歴史

・約4600年ぐらい前に発祥したインドを中心としたインダス文明時代、農耕中心であったが毎

 年繰り返される大洪水や酷暑などの自然条件のもとに様々な土着・自然宗教が信仰されていた。

 ・約3500年ぐらい前、半農半牧のアーリア人(中央アジア)がインドに南下して来て先住民族

 を征服し奴隷にする。「ヴェーダ」(宗教文書)を基礎としたバラモン教が成立する。天・地・太

 陽・風・火などの自然神を崇拝し、そこでは人間がこの世で行った行為が原因となって、次の世

 の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる。人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無

 限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める。

・約2650年前、バラモン教に疑問を抱く宗教家・哲学者が出てきて、釈迦の仏教ジャイナ教 

 (徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教)が興る。

  仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれた。

 しかし仏教がインドで衰退した原因は、釈迦仏滅以降の仏教は上座部と大乗に分断されて難解に

 なり、土着の大衆意識を汲み取れなかったこと、イスラム教が拡大したこと、指導者達は民族間

 の軋轢があるインドを統合するにはヒンドゥー教的土着のバックボーンが必要不可欠であり、仏

 教が根付かなかったのは、統合手法の脆弱さ故であった。

 イスラム教は仏教の偶像崇拝を拝し、仏教の建物・寺院を破壊してしまいほぼ消滅させた。

・1600年前頃(紀元4世紀)インド文化の黄金期であり、当時の諸王は統一国家維持の為に伝統

 的な階層的社会秩序=カースト制度を回復することを狙い、そうした社会秩序を正当化する理論

 的基礎としてバラモン教を保護し国教化した。

 バラモン教の復興と並行して、印度教としてヒンドゥー教が急速かつ強力に発展してくる。仏教

 は、最終的にはヒンドゥー教に取り込まれ、仏陀はヴィシュヌ神の生まれ変わりとして登場する。

 ヒンドゥー教は難解なバラモン教とは違い、一般庶民の宗教として広まり、その中身は当時の文

 化と各地の土俗信仰とが融和集成されたものであった。

 ヒンドゥー教は、外来宗教(キリスト教、イスラム教)以外の全てのインド宗教の総称。よっ

 て、インドでは仏教もヒンドゥー教の一派として認識されている。

 ヒンドゥー教の特徴

   ・ヒンドゥー教はいわゆる民族宗教で、特定の教祖や教団といった統一組織はない。

  ・ヒンドゥー教は膨大な数の神々を崇拝する典型的な多神教だが,その中でも神学上特に重要

   な神として,宇宙の創造神ブラフマー,世界秩序の維持神ヴィシュヌ,破壊と混沌の神シヴ

   ァを三最高神としている。

   ・ヒンドゥー教、それは何でもありの宗教といえる。

  バラモンとは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。

古代のヒンドゥー教と解釈してもよい。

 バラモン教にインドの各種の民族宗教・民間信仰が加えられて、徐々に様々な人の手によって再構成されたのが現在のヒンドゥー教である。

  ヒンドゥー教

・インドやネパールで多数派を占める民族宗教。

・ヒンドゥー教はキリスト教やイスラム教のような、特定の開祖によって開かれたものではなく、
  
インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って
 
変化したものと考えられている。したがってヒンドゥー教がいつ始まったかについては見解が分
 
かれている。

 ・ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、
 
キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。

・バラモン教(古代のヒンドゥー教)から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式
 
を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。

・紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られた。その結果、
 
バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。

・ヒンズー教は紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。その後インドの民
 
族宗教として民衆に信仰され続けてきた。仏教もヒンドゥ教の一派として認識されている。

 ・神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、
   身分・
職業までを含んだカースト制等を特徴とする宗教である。

       ブラフマー          シヴァ      ヴィシュヌ

 ヒンドゥー教の三大神

 三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち

  • ブラフマー:宇宙、世界に実存、実在の場を与える神
  • ヴィシュヌ:宇宙、世界の維持、平安を司る神
  • シヴァ:宇宙、世界を創造し、その寿命が尽きた時に破壊、破滅を司る神

  は一体をなすとされている。 しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ 
  神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。ヴィシュヌ神を信仰する派をヴィシュヌ教、またシヴ
  ァ神を信仰する派をシヴァ教と呼ぶ。

 ヒンドゥー教では河川崇拝が顕著、ヒンドゥー教は不殺生を旨とし、そのため肉食を忌避するので菜食主義の人が多
 い。ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっている。ヒンドゥー教の修行としてヨーガが挙げられる。

     ★インド簡略歴史

連邦公用語はヒンディー語、他にインド憲法で公認されている言語が21あり主な言語だけで15を超えるため、インドの紙幣には18の言語が印刷されている。

   ★インド独立の父

   マハトマ・ガンディー     ジャワハルラール・ネール   スパス・チャンドラ・ボース

 インドの独立貢献者

  1. マハトマ・ガンディー 1869年~1948年。弁護士、宗教家、政治家。イギリス留学

   非暴力主義で独立を指導、ヒンドゥー原理主義者により暗殺される。

  1. ジャワハルラール・ネール 1889年~1964年。弁護士、イギリス留学娘のインディラ・ガンディーは第5・8代首相、孫息子のラジーヴ・ガンディーは第9代首相となるが二人とも暗殺された。非暴力主義で独立を指導
  1. スバス・チャンドラ・ボース 1897年~1945年。イギリス留学、インドの高級官僚合格、父親は弁護士。ドイツ、イタリア、日本、ソ連で独立運動。飛行機事故で死亡 (武力による独立主義

 三人共にイギリス留学し、エリートの出身であった。

    ★ガンディーは何故首相にならなかったか  

 ガンディーはインド、パキスタンのすべてを含めて独立させようとしたが、イギリスに反対された。

 独立後のインドを混乱させようとイギリスは策略したためである。
 一方、ネルーは分離しての独立を選んで、結果的に初代首相になった。

    ★人気の現首相:モディ

2014年首相就任。

  2001年から2014年までグジャラート州(インド北西部)首相を務め、3度再選されている。
 
インフラ整備や外資の受け入れなどにより、同州の経済成長を実現した。清廉潔白であることも知られている。

 今でも母親は小さなアパートに住み、兄弟も政府の事務員や小さな小売店の店主をしており、家族ぐるみの汚職が大きな問題となっているインド政界では、クリーンなイメージを持たれていることも人気の理由のひとつである

 モディの経済手腕は海外からも期待されており、モディが選挙に圧勝して首相に就任すると、インドの会社の株が数多く買われた。

             ★インドカレー

      ★インド美人

        ★カースト制度と種類

 カースト制度

 ヒンズー教ではカースト制度という身分制度がある。

 カーストとは血統と言う意味である。カーストには3つの決まりがある。

1.        カースト間の移動は認められず。

2.        親から子へと受け継がれる。

3.        結婚も同じカースト間で行われる。

言うならば、日本の士農工商を厳格にしたような身分制度といえようか。

 カーストの種類

1.        バラモン・・・神聖な僧侶等の職

2.        クシャトリア・・・貴族・豪族・軍人

3.        バイシャ・・・商人・工業従事者

4.        シュードラ・・・農業労働者や人の嫌がる職業

カースト制度でわけられた階級

バラモン
最上級の階級であるバラモンの人の多くは、政治に関わる仕事をしていて、彼らが損をしないような法律をつくってきた。
クシャトリヤ
2番目の階級であるクシャトリヤの人の多くは、貴族・武人に関する仕事をしており、このクシャトリヤまでが上位階級と呼ばれている。
ヴァイシャ
3番目の階級であるヴァイシャの人の多くは、人が農耕・家畜を行う庶民的な仕事をしていた。都市に住むヴァイシャは年々増加し、商人になる人もたくさんいた。
シュードラ
1番下の階位であるシュードラは、ヴァイシャが担当していた、農耕・家畜の仕事を請け負うようになり、労働者の層と呼ばれていた。またそのシュードラの中でも、身分が分かれ、下の人は不可触民(アウトカースト)として、見ることも触れることも近づくことも許されない、カーストの外にいる人として差別を受けた。

 もともとシュードラだった人は、今もほとんど肉体労働の仕事しか選択肢がない。
肉体労働をしている人は給料の6000~16000円程で家族を養わなければならないためとても貧しく、子どもたちは教育を受けられない人が多い。そのため彼らの子どもたちもまた、肉体労働の職業しか選べない状況になり、結局カーストが廃止される前と状況はあまり変わりない。

   ★カースト制の分類

カースト制の分類

(2001年統計) 全人口10億2,900万人

 「指定カースト」=「アウト・カースト」は1億6,700万人、16.23%、

 「指定部族」=「後進山岳民族」8,400万人で8.17%

  インド社会においてヒンドゥー教やイスラーム教などの大宗教に属さず、固有の文化を保ちつづけてきたとみなされるコミュニティを指す名称である。指定カーストは不可触民とほぼ同義である。

以上はカースト(ヴァルナ=出自)は無い。このカーストが無い最貧困層には種々優遇策や支援策が施されている。22%の国会議員の議席枠や大学優先入学枠などが与えられている。

 「その他後進諸階級」=低カースト層=低所得者=準貧困層 推定5億人、52

  カーストが定められている故に、アウト・カーストが享受している優遇策を授かる事ができない。「カーストを下に落としても良いから優遇策に与りたい」と言う人も増えてきている。

 

   インド全人口12億人

  最貧困者と準貧困者で76.4%=9億人

  富裕層・中間層23.6%=3億人

  以上に大別される。

  

    ★カースト制度の長短所

 カーストの長所

  同一階層内で相互に助け合いが行われ、各人の生活が保障される。社会の安定化に寄与している。

 カーストの短所

  所得格差の拡大に拍車を掛けている。最近では、カーストから脱却するために、ヒンズー教から仏教や
     キリスト教に改宗する若者が増えている。

   ★カースト制度は何故廃止できないか

 インドのカーストは、バラモン階級(バラモン教ヒンドゥー教司祭)の総称。が聖職者として君臨する為、哲学で世界と人間を理論建てたもので
もう4千年もインド人の心に染み込んでしまったため廃止できないでいる。

「宗教観念」上、そのもっとも特徴的なものは「輪廻転生」の思想であり、人間は何度も生まれ変わり前世の行いにより、現世の立場(人間だけではなく動植物も含め)が決まっているという考え方である。

 現世での立場である階級は前世の行いで「修行の場」として与えられたものであり、それを全うし善行を積むことでしか来世のそれのステージを上げることができないと考えている。

 

 昔から現在に至るまで、職業コミュニティとして機能しているため廃止できない。インドからカーストをなくしてしまうと、社会秩序や経済に混乱を招くため。

 カーストのメリットはコミュニティ内、ないしはコミュニティ同士の相互扶助。国の社会保障制度が十分に確立されていない分、その習慣が人々の暮らしを支えているところが大きい。コミュニティから出ると生きて行けないので、夢は夢で終わるものと考える人々がほとんどである。

 

カースト制度から抜け出す方法

  1.    諦める。

  2.    改宗する

  3.    .IT関係の職業に就く

         ★何故、インドの識字率は低いか

 BRICS(Brazil, Russia, India、China、South Africa)は、2000年代以降著しい経済発展を遂げている5ヶ国の総称である。識字率を比べてみた。

 ロシア~99.7%、中国~95.1%、南アフリカ~93.0%、ブラジル~90.4%、インド~62.8%

 (参考:日本99.0%)

 圧倒的にインドの識字率が低い。その要因を探ってみると次のことが判明した。

 

 インドを植民地としていた大英帝国(現イギリス)が、愚民化政策を行ったからである。植民地として豊富な資源を安い賃金で働かせ、その国の人々に産業も教育も文化も与えないと言う事で、暴動や革命家が出るのを恐れ、3人以上の立ち話を禁じ、宗教的帰属心を断ち切るためにキリスト教を普及させ、字を読めないままの状態にした訳である。

 インドの国勢調査によれば、「教育を受けていない人」と「小学校中退」の人が人口の約3割を占めている。貧困ゆえに教材が買えなかったり、学校までの交通費が無かったり、家計を助ける為に働かなくてはいけないので学校に通うことが出来ない現状にある。また、女性差別の風習も根深く残っており、男子児童に比べて女子児童の就学率はさらに低くなる。

 貧しい農村部の未就学率及び非識字率は顕著である。
 児童の家族に十分な教育を受けたことがない人も多いため、このような家庭では教育の意義、重要性が認識されていないこともある。
 読み書きの勉強ができないまま大人になるので低賃金の仕事しか得られない、という貧困の悪循環から抜け出せない状況である。

 実はインドの憲法上、初等教育は無料とされているが、実際は試験料など様々な名目で金銭が徴収されており、それは主に教員の給与外収入となっている現実がある。また、女児児童に対するハラスメントも少なくなく、女性教師が常駐する学校以外通わせたくない、という両親も多いようである。

     

      ★インドは世界一自殺者が多い (2014年統計)

 1位 インド   26万人 

    原因~女性に対する暴力や抑圧、貧困(特に南部農村)、家庭問題等

    インドはカースト制で恋愛禁止の為、90%が見合い結婚のため、結婚生活破綻が多い。

    男性社会のために、花嫁の家は持参金を要求され重圧、結婚後も要求され、耐えられず 

    家族全員が自殺。農村は飢饉や不作の年に自殺が多い。

 2位 中国    12万人

 3位 米国     4万人

 4位 ロシア    3万人

 5位 日本     3万人

 6位 韓国      2万人

              ★金消費世界一と男性社会のインド、そして自殺の多さ

  金消費が多いベストスリー。

  1、インド 18.8% 2.アメリカ 13.7%3.中国 7.9%・・・・・日本 わずか1.6%

  何故、金が消費されるのか?・・・・・ヒンズー教の影響。

   1.ヒンズー教の世界では、女性は土地資産を相続できない。

     そのため、親が娘に結婚する際高価な金や銀のアクセサリーを持たせる風習がある。

   2.ヒンズー教では、宝石などの光物が繁栄をもたらすとされている。

   3.少数民族の間では、金が主要なモノとの交換手段となっており、金の貯えが欠かせない。

  よって、女性の生家側にとって、非常に大きな経済負担となる。

  だから、結婚相手の家に持参金や品物を贈る為に、莫大な借金を抱える家庭も少なくない。

  また、夫の家の要求が結婚後も続く事があり、女性の生家が拒否すると妻が虐待されたり、殺害され
     る事もあるという。

  さらに、夫の生家から要求された額を支払う事ができずに、花嫁やその一家が自殺をするケースもあ
  ると言う。

  毎年6,000~7,000件の自殺が発生している。特に農村部にこの慣習は根強く、男性優位の考え方がイ
 ンド社会に深く浸透している。

        ★インドの人口構成 (若い人が多い)

 インド人の平均年齢
インドには、世界第二の人口12億人が暮らしている。その12億人のインド人全体を平均すると25歳。なんと45歳の日本人より20歳も若いのである。

 ・0 ~14歳 28.5%  ・15~24歳  18.1%  ・25~64歳 47.6%  ・65歳以上 5.8%

 

 平均寿命

 平均寿命はというと、インド65歳、日本83歳(WHOデータ, 2011)と18歳の差がある。

 だが、子供を産める若年層がどんどん増えていることから、このまま2050年になると17〜20億人になるのではと推計されている。

 ちなみに、インドの人口は2023年には14億7千万となり中国を抜く見込み。また振り返ると、1950年には5億人ちょっとだったそうで、人口が爆発的に伸びていることがわかる。

 新興国マーケットと言われて久しいが、人口が多いだけではなく、国民のエネルギーが若く力強いという点も含めて魅力だといえる。

   ★何故、インドでIT産業が発展したか?

キーワードは以下の3つ。

  1. アメリカとの時差・・・12時間

 時差を利用してアメリカなどの先進国と仕事ができる。アメリカのシリコンプレーンやシリコンバレーで開発されているソフトウェアを、夜にインドへ送れば、朝を迎えたインドで開発の続きを進める事が出来る。

  1. カースト制度に反抗して若者がアメリカへ移住。
    IT産業」という、カースト制度には規定のない職業が登場したのも要因。低いカーストのインド人にも、少しの運と才能、たゆまぬ努力によって貧困から抜け出せるチャンスが訪れた。
  2. 英語と数学が強い国

インドはイギリスの植民地であったため英語力は十分。そして数学ではゼロを発見した優秀な頭脳の国。

 インド工科大学(IIT)は、インドに16ある国立大学の総称。2012年のデータによると、定員9590人に対して、受験者数は約50万6000人。実に約53倍の倍率で、98%もの受験生が涙をのむ入学試験。

同大学を卒業したインド人の多くが、破格の給料を提示され、海外のIT企業で働いている。アメリカ合衆国のGoogleでは1400万円もの年収を用意するという。インド国内のIT技術者の平均年収が100万円程度であることを考えれば、破格の額。夢を求めて海外に活躍の場を求めるわけである。

数学の0を生み、世界的宗教や哲学の発祥地でもあるインド。昔から人口が多いので人並み外れた優秀な頭脳の持ち主が現れる可能性ももちろん高い。今でもITや経済学そして医学の世界でもインド人が活躍している。

アメリカの科学者の12%、医師の38%NASAの科学者の36%がインド人だという。ハイテク企業で見てみると、マイクロソフトの従業員の34%IBMの従業員の28%、インテルの17%、ゼロックスの13%がインド人だ。

           ★人口増加と痴漢と性犯罪

人口増加の原因

  インドではキス、セックスなどの性的なものがタブーであり、アダルトビデオ、アダルト本などは、一切入手できない。民放で放映されているハリウッド映画なども、性的なシーンはカットされていたりと、かなり徹底されている。

 性的話題はタブー・性教育もされない。一般的には、ここまで禁じられていることに対するフラストレーションが、レイプ事件に発展する原因ではないかとも言われている。また、インドでは基本的に国からの性教育は行わないようで、その知識不足が人口増加に拍車をかけているのではないか、とも考えられる。

インドにおける痴漢

 バスの混雑時には四方八方から手が伸びてきて、痴漢されまくる。

性犯罪が野放しになる原因

1.  国の司法が事件に追いつかないシステム。起訴まで10年かかる。警察は賄賂でもみ消しする。

2.  被害者が後の縁談に影響することを恐れる。

3.  女性の人格を尊重していない。

     ★インド人の食事と飲酒量

インド人の食事

インド人の40%は菜食主義。

  1. 肉・魚は宗教上基本的に食べない。
  2. 野菜でもニンニク、ラッキョウ、タマネギ、など臭いのきつい物は食べない。
  3. 豆類や牛乳、ヨーグルトを多く取る。

 

インド人の飲酒量(167か国調べ)

世界のアルコール消費量(1日当たり)

1位.ベラルーシ~14.4ℓ

  1. アンドラ~13.3

3.リトアニア~12.9

  1. チエコ~12.7
  2. フランス~11.7
  3. ドイツ~11.2
  4. ロシア~11.1

24..イギリス~10.2

  1. ~アメリカ~8.6
  2. 日本~6.9
  3. 中国~5.8
  4. インド2.4

      ★インドには中国人が少ない

1.  宗教を抹殺する中国共産党と、ヒンドゥー教は理念的に合わない。

2.  日本に対しては、独立運動の闘士チャンドラ・ボースとともに、イギリスの支配から解放しようとしたインパール作戦を今でも評価し好意的である。

3.  中国製品は安かろう、悪かろうの粗悪品ばかりで嫌悪感がある。自国の製品にプライドを持つ。

4.  中国とインドの国境紛争、チベット仏教のダライ・ラマをめぐっての争いが根底にある。

5.  中国が嫌いだという対抗意識が強い。

6.  ヒンドゥー教は仏教と同じルーツ、無神論の共産主義は嫌い。

7.  インド国内には殆ど中華料理店が見当たらない。

8.  2013年にインドを訪問した外国人観光客のうち、中国人の比率はわずか25%。 
  
37%のロシア35%のマレーシアに劣る。

     ★インドの三大財閥

  インドには相続税が存在しないので、財閥は国から保護されている。

  インドの3大財閥
 1.タタ(TATA) 

   タタ・グループの企業倫理は厳しく、汚職の多いインドにあっては異色であり、日本企業など海外の企業がインドに
 進出する際にタタ・グループを提携先に選ぶ要因になっている。

 構成企業100社以上。車(タタ・モーターズ)、鉄(タタ製鉄)、IT、電力で売り上げの8割を占める。
   

 2.ビルラー(BIRLA)

 長年にわたりガンディーを財政的に支援してきた、その結果関係を深めて優遇を受け批判されてきた。
 ガンディーが今一つインドで人気がない要因の一つである。 

 3.リライアンス(RELIANCE)

  石油化学を中心に、石油・ガス開発、小売、インフラ、バイオテクノロジーなどの事業を手がけるインド最大の
 コングロマリットである。

          ★インドの課題

1.    成長の基盤となるインフラ水準が著しく低い。電力の供給能力が経済成長に追いついておらず日常的に停電が発生する事や、インドの経済成長の主軸とされるIT産業にとって不可欠な通信設備の普及が立ち遅れている事などがその例である。

2.    農業をはじめとする1次産業は、2000年代の現在もインド経済の中心を担っている。しかし、インド国内の灌漑施設の整備が進んでおらず、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していることなどが挙げられる。

3.    工業化の遅れが課題とされる。1947の建国以来、民間企業の活動や外国企業による投資などを規制し、公的部門を温存する政策を維持してきた結果、工業化の進展が中国などと比べても大幅に遅れている。

4.    インドの衛生管理は極めて劣悪な状態にある。インドでは上水道と下水道が併走していることが多く、そのどちらもが破損しており、下水が水道水に混入し、感染症にかかる事例がしばしば報告され、感染症の宝庫などとされている。

5.    大気汚染も激しさを増している。2013年以降の調査ではインドの大気汚染レベルは世界最悪となっている。

6.    教育も大きな課題である。中等教育への進学率が半分以下で識字率6割程度にとどまるなど、他の BRICs諸国と比較しても際立って低い水準にある。

 

 旅の終わりに・・・

 10年前と比べてインド国内はずい分綺麗になっていた。
 モディ首相になって3年、インフラが急速に向上しているために国力が上がっているようだ。地方都市では道路、ビル等が急ピッチで工事が進んでいる。
 今後10年、20年後がこのまま経過すると楽しみであろう。

 モディ首相の評判がすこぶる良い。御多分に漏れず汚職の国インドは、類稀な清廉潔白の人を迎える事が出来たのであろう。

 どこの国に行っても、宗教が国民の足を引っ張っている部分が多い。ヒンドゥー教もカースト制もリーダーや上層部が既得権として都合よく国民に押し付けているのがよくわかる。
 政治もそれを利用し、理念を彼らのいいように作り、国民の教育システムを旧態依然として無能な国民を多く作る、まるで宗主国イギリスが植民地政策としたと同様にしている。
 首相として、それらを改革すると過去のガンディ一族のように暗殺されかねない。急激に踏みいることは難しい。若くて能力あるものは国外脱出できる。

 幸いインドの国民は若い。インターネットを利用して賢くなるだろう。中国とは違い、とりあえずは民主主義国家なのだから。とはいえ、アメリカの誰かさんのように独裁者もいる時代、難しい世界である。どの国も課題が多い。さて我が国はどうなるか?

                                     終わり

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