居合の里と名湯をめぐる鹿児島旅 紀行

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 2015年2月、九州は鹿児島の温泉と居合の里を巡る旅に特別参加させていただいた。今回は鹿児島1県のみの旅である。

 旅の企画者は、居合の名人お二人である。居合と云うと薩摩、薩摩と云うと「天眞正自源流」と云う事になるようだ。

 今回の旅の目的の一つは、江戸時代に天眞正自源流を創始した創始者の足跡をたどるのが主目的である。

 合わせて鹿児島の名湯、銘酒、グルメ、観光、ついでに100名山二山も登ると云う欲張りな旅である。

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       ☆先ずは山

100名山の霧島山」(1700m)はえびの高原からを試みたが、現在はこのルートは危険で、他のルートと云う事で今回は時間の関係で中止            登山口の「えびの高原」

    薩摩富士で名高い「開聞岳」(924m)、往復4時間程度               登山口の自然公園

 

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    ☆霧島新燃荘

 霧島山の麓にあり、乳白色の硫黄分を含む温泉  この辺は至る所に煙がたち登り、温泉がたくさん

   アトピー性疾患や水虫の治療に効果
 何ともワイルドで秘湯の素晴らしい温泉でした

 

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    ☆蒲生の大楠 日本一の巨樹 

            樹齢1500年の大楠            蒲生八幡神社にある説明書き

 蒲生八幡神社境内にそびえ立つ大楠は、樹齢約1,500年、根周り33.5メートル、目通り幹囲24.22メートル、高さ約30メートルと日本で一番大きな楠である。

 環境庁が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査で、正真正銘日本一に認定されているそうだ。

  蒲生八幡神社が建立された1123年にすでに大木であったことから考えても、樹齢千年を超える堂々たる老木である。樹根部分には、大きな空洞があり、下から見上げる壮大さと、地にどっしりと根をはった力強さは、神秘的で不思議な感覚を抱かせる。

 神社の、お札や土産物売り場では、この大木の折れた枝の木を使い、薄い葉書やストラップを作り1個1,000円前後で販売していた。神社も商売熱心、抜け目がありません。

 

  ☆ 蒲生八幡神社(瀬戸口備前守の神社)

         蒲生八幡神社   500年前の瀬戸口備前守の足跡をたどる   小さな祠、多分これから霊気を感じた模様

 

                      江戸時代の瀬戸口備前守絵巻

 

 
開祖瀬戸口備前守政基について・・・天眞正自源流兵法総合武道源心会より抜粋

 天眞正自源流兵法は、室町時代の開祖、瀬戸口備前守政基が、白源流、関東七流、つくもかみ流、顕流、天眞流、香取神道流などを修め、西暦1508年(永正五年)に創始確立した日本剣法です。

 日本剣法千年の術理と日本精神を継承して、戦国時代から現代に至る歴史を歩んで参りました。 流儀の遠源は西暦931年(丞平弐年)に自源齋一任自一坊が創始した上古流鹿島之太刀白源流と伝えられています。

 これは、西暦九三一年・朱雀天皇の時代の丞平二年のことであり、即ち、平将門の反乱と時代を同じくします。鹿島之太刀は、仁徳天皇の時代五世紀前半に同地の人物・國摩真人が鹿島『高天原』に祭壇を設けて祈祷を行い鹿島の大神より授けられた『神妙剣』を骨子とする我国初の流儀です。
 自源齋一任自一坊の自源流から四百年・室町時代の頃、開祖瀬戸口備前守政基(かいそせとぐちびぜんのかみまさもと)は流儀に工夫を凝らして天眞正自源流を創始し、流儀の思想と剣の理法を三巻に纏め次代に継承しました。

 流儀の思想は源義経が鹿島神宮に奉納した龍虎二巻の武道極意を基本とするものであり、流儀兵法は、弓馬は本より、槍術、長巻術、和術等を網羅し、居合術を流儀武術の本法としております。

 居合術全盛の時代に確立された当流儀の法形は、全て脇差帯刀の状態から発揮されるのが流儀本来の姿です。流儀に伝承される天地人三段の法形は日本剣法の根源であり、真剣で実践する神速の日本剣法は武の極致であり、その法形は日本伝統武術に於ける殺人刀活人剣の真の精神と術理を顕すものです。

  天眞正自源流兵法総合武道源心会では、人間形成を最大の目標として技術から学び始めます。剣の理法を初めとして、体術は護身術的要素を持っており、全てを総合的に学ぶことによって、人格を高めてまいります。万物共生・万有愛護・剣人一体を根本として、技術の上達を図ると同時に人格の向上を求め不動心を養成するものです。

 天眞正自源流の神速の抜き付けと納刀は精神の集中力を極め、不用意に行えば我が身を自分自身で切り裂く事になります。故に、精神の充実と効用は武道本来の姿となり心技体が完成される事になるのです。真剣刀法は精神の充実無くしては出来ません。
 例え少年少女であっても、その充実度は成人を凌ぐ場合があります。 現在、埼玉県春日部市において、第二十九代上野童心宗家を中心に、上野景範最高師範の下で流儀の精神である『心和』の精神を伝えるべく、国際的に指導が行われております。 

 

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   ☆吹上浜の拉致現場

     北朝鮮はここまで来たのか・・・             情報提供をと看板     吹上浜は日本三大砂丘

 

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   ☆吹上温泉

        素朴な吹上温泉郷         西郷さんも利用           西郷さんを偲んで

 夕日を愛でる砂丘近くの温泉

 日本三大砂丘の一つ、吹上浜の近くに湧く温泉。
 開湯は400年前と伝わり、素朴な雰囲気の保養向けの湯処。

 西郷隆盛が明治初期に訪れ、斎藤茂吉や吉田紘二郎ら文人が親しんだ湯治場でもある。

          吹上温泉郷の新湯温泉   町の人々は通勤前後、朝夕2度入る人が多い   これでもか、と思われる位の料理が並ぶ

 

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  ☆枕寿官窯

  苦節410年、鹿児島の地で薩摩焼を守る        若い陶工達が後を継ぐ     広い土地に多くの建物が並ぶ

 

    

2004年12月18日鹿児島県指宿市にて 十六世坐忘斎千宗室家元、小泉純一郎総理、 盧 武鉉大統領と十五代 沈 壽官

 慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、初代 沈 当吉はいた。 

 薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。

  陶工達は、陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼物「薩摩焼」を造り出したのである。それらの焼物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを『国焼』(くにやき)と呼ぶ。

 江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じる独特の統治システムを創った。
沈家は代々、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には天才 十二代 壽官を輩出した。

 日本陶器の代名詞とまで言われた薩摩焼の総帥でありながら、十二代 沈 壽官は海外の嗜好に決して迎合せず、日本人の美意識を貫き、最後まで自らを『平民』と称し続けた硬骨の人であった。

 成元年(1989年)には明仁天皇陛下より、日本人初の大韓民国名誉総領事就任を承認された。

 

 

         焼き物用の薪が並ぶ      現在は15代が後を継ぐ 日本人初の大韓民国名誉総領事就任

 

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    ☆川内(せんだい)戦国村 

 

 戦国時代と薩摩の歴史を紹介するテーマパーク。

 広さ1000坪の本格庭園や、武家屋敷、町人長屋が並ぶさまは壮観。

 鎧や兜などを製造する甲冑工房もあったり、民芸物産コーナー、薩摩の英雄、西郷隆盛の動乱の名場面をジオラマにて再現した西郷記念展、戦国時代を戦いぬいた甲冑などが展示されている。

 

                  入口  広さ1000坪    チケット 運営は丸武産業株式会社の民間企業

        さまざまな大河ドラマが利用           本物の甲冑         今も技術者が作成

      広い邸内にはロケ用の城まである          薩摩島津の戦争       明治維新の時の服装

 

    当時、ヨーロッパ向けの工芸品          ヨーロッパでは日本の工芸品が大人気

       明治維新、西郷さんと勝海舟の対談               江戸城引き渡し

              薩摩藩の武器展示               馬も本物のよう

 

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   ☆川内高城温泉

 川内高城温泉(せんだいたきおんせん)は、鹿児島県薩摩川内市湯田町にある温泉。

 鹿児島県最古の温泉であるとされている。

 明治時代には西郷隆盛が狩りの途中に何度も立ち寄ったといわれ、隆盛ゆかりのエピソードが多い。(写真左)

 海岸線沿いの山間にあり、素朴な温泉宿と昔懐かしい土産物屋が軒を並べ、まさに鄙びた温泉といえる。名湯百選にも選ばれたことで有名になり、この昔ながらの温泉情緒に惹かれて訪れるリピーターも多い。宿泊施設の半数は自炊宿で、湯治、保養向けである。

 

          川内岩風呂       ホテル竹屋の立ち寄り湯              名湯でした

      温泉施設に掲示された「名文」        街の表示も風情がある  湯治温泉の食堂で食べた蕎麦、薩摩揚げがうまい


 

     落ち着いた雰囲気の温泉街       「全国名湯百選」の温泉     西郷さん愛好の共同湯、看板の字は左下に

             共同湯の看板    西郷さんもこの温泉がお気に入り、ここが定位置

 

西郷さんは若い仲間を連れて狩りによく来たが、この角地の一軒家を借りて皆で自炊をしていたと云う。           共同湯に掲げられた西郷さんの絵

 

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   ☆出水ツル渡来地

 出水ツル渡来地(いずみツルとらいち)は、鹿児島県北西部出水平野の水田地帯にあり毎年10月中旬頃から翌3月頃にかけて約1万羽のツルが越冬することで知られる場所である。

 鹿児島県出水市内の245.3haが「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として国の特別天然記念物に指定されている。

 

       菜の花が美しい出水       世界一のツルの飛来地 ナベツルが一番多い。ちなみに北海道は丹頂鶴

    立派なツル展望所、屋上から眺める         ツルの卵の見本             チケット

  屋上から見たツル、水田地帯にエサをまいているが、ツルと同数のカラスまでが我が物顔             ナベツル

            鹿児島出水市の地図              優雅に飛ぶツル

 

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  ☆野間の関跡

 市指定記念物に指定された史跡で、1600年前後に設けられた薩摩藩の藩境の要地の関所。

 江戸時代、ほとんど完ぺきなまでに独自の封建社会を築きあげた薩摩藩は、これを阻害する恐れのある人々の出入国を管理するため、二重鎖国ともいえるほど厳しい取り締まりを行った。

 肥後との国境にある「野間之関」は薩摩第一級の番所であり、その峻厳さをもって全国に知られた。

 「薩摩びと いかにやいかに 刈萱の 関もとざさぬ 御世とは知らずや」と、高山彦九郎があまりの出入国の厳しさに書き残している。

 碓氷関所、不破の関とともに野間の関は日本の三大関所ともいわれ、特にここ「野間の関」は薩摩藩が江戸幕府に対して徹底的に秘密にすべく厳しい取り締まりをしていた事で有名である。

 当時の薩摩藩は、江戸徳川幕府の密偵が薩摩に入るのを異常なほど嫌っていた。今の鹿児島弁が特殊なほど訛りがあるのも他の藩が理解できないようにするための方策であったとか。

 徳川家康は天下統一した後も、薩摩藩と長州藩の動向を一番警戒していたという。その結果江戸幕府に対する倒幕運動は薩摩や長州の志士によってなされることになる。

     看板、左の案内版が右に掲載アップ ここの関守として秘密裏に活躍したのが「天眞正自源流」の居合であった事は殆ど知られていないと云う。徹底してその存在はベールに包まれている。江戸幕府対策の一つか?

         野間之関跡 薩摩街道、薩摩藩の武士団が出てきそう雰囲気   ウロウロしているとバッサリと切られそう


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   ☆紫尾温泉

 

 紫尾温泉(しびおんせん)は、鹿児島県薩摩郡さつま町(旧国薩摩国)にある温泉。

 北薩の最高峰、紫尾山の東麓に湧く。紫尾神社境内に源泉があり、旅館3軒が取り巻く。ひっそりとした湯治場の雰囲気である。共同浴場が1軒存在する。

 温泉の発見は貞享年間であるとされる。源泉は紫尾神社の拝殿下にあることで、その名も「神の湯」の異名を持つ。江戸時代後期からは湯治場としても知られるようになった。

     「旅籠しび荘」が今夜のお宿    二つの源泉、ツルツル系温泉            新日本百名湯

 

           貸切露天風呂        ニの膳、三の膳と続く        九州名物馬刺し

      イノシシ鍋がこれまた美味い         黒豚のしゃぶしゃぶ        マツタケでしょう

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    ☆「神の湯」 (鹿児島紫尾温泉)

     紫尾温泉の共同浴場、左上に紫尾神社        紫尾神社、源泉はこの神社の拝殿下

       賽銭箱には、薩摩・島津氏の家紋「丸に十の字」          「神の湯」  神様が沢山入浴中

 

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 ☆「神の湯&仏の湯」 コーナー

                         体験コーナー

 過去に「神の湯」と「仏の湯」に有難く入浴させていただいたので、ご紹介します。全て温泉。
 信心が足りないのか、未だ効果はありませんがその内・・・

 

     鹿児島紫尾温泉の 「神の湯」

  源泉は紫尾神社(左)の拝殿下、右が共同湯         共同湯の看板に「神の湯」とある         有難い「神の湯」

 

   出羽三山神社の湯殿山は 「神の湯」

 

     湯殿山の大鳥居、左が参籠所     湯殿山参籠所は宿泊所 温泉、湯船の上には神棚が、神様がジッと見ている

   高野山宿坊「福地院」の 仏の湯」

     52の宿坊があるが、ここのみ温泉   タオルは家宝に。250名収容        タタミノの湯、他に露天風呂など


   ☆三峰神社の 「神の湯」

 東京都の最高峰「雲取山」の麓には「三峰神社」がある 神社には日本武尊の巨大像      三峯神社 興雲閣の「神の湯」

 

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    出水麓武家屋敷群

 
 出水市(いずみし)の麓町を中心とした住宅地一帯は、平成7年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

 出水麓は、出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅兼陣地として、中世山城である出水城の麓の丘陵地帯を整地して作られたところある。
 その整地には、関ケ原の戦いの前年(1599年)、本田正親が初代地頭に着任してから、3代地頭の山田昌巖の治世下まで、約30年かかったと云う。
 出水麓は、薩摩藩内で最も規模が大きく、藩内のほかの麓は、出水に倣ったといわれている。

 

              案内版                         案内図

 

              武者の声が聞こえてきそうな武家屋敷

         上級郷士の税所邸 税所篤は一時は西郷隆盛、大久保利通と共に薩南の三傑と並び称された薩摩閥の重鎮である。

税所とは国衙における役所名(職名)で、文字どおり税の徴収などにあたった。税所氏はこの職を世襲したことから、やがて名字とするようになった。 父は薩摩藩士の税所篤倫。藩内では勘定所郡方。戊辰戦争でも、新政府軍の軍事費などの財政処理を務めた。明治14年、元老院議官となり、20年に子爵を授与された。

 

    NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ地となった竹添邸               精密な建築技術



      ボランティア・ガイドが説明してくれる        篤姫は綺麗だったようで

                  野太刀(薬丸)自顕流の説明板      「エーイッ、エーイッ」と気合を入れて!

 

 野太刀(薬丸)自顕流とは・・

 薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)とは、薩摩藩士・薬丸兼陳(やくまる けんちん)が示現流を修めた後、家伝の野太刀(大太刀)の技を元に編み出した古流剣術である。

 

                 太刀洗               本物、血の臭いがするやも

 

           武宮邸、3件が開放されている   天眞正自源流ゆかりの溝口邸、玄心師の寺、上野邸を巡る 

                看板                   島津の殿様が泊まる所

 

                                       武家屋敷群の説明板

  武家屋敷群に隣接するお墓には花が絶えない      道路のマンホールにも武家が            出水新幹線駅

 

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      鹿児島湯川内(ゆかわうち)温泉

 宝暦7年(1754年)に発見され、明治維新まで島津家御用達の温泉として利用された奥深い山あいの温泉。明治以降、一般市民が利用できるようになる。

 泉源は岩盤をくりぬいた浴槽の下の大きい石、砂利の隙間から、エメラルドグリーンの透明度の高い湯が湧き出ている。

 

名湯揃いの鹿児島県でも、温泉ファンから熱い支持を集める湯川内温泉「かじか荘」    源泉温度が40℃に満たないため冬には加温される

湯川内温泉は足元から湧出するお湯が名物。玉砂利の底からブクブクと泡を上げて自噴する。         西郷どんの愛犬ツン

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   ☆藤川天神(臥竜梅)

  藤川天神の祭神は学問の神様として親しまれる菅原道真公で「菅原神社」とも呼ばれている
 道真公が太宰府に左遷され、さらに逃れて藤川北野の地に隠退、没したと言い伝えられている。

 受験シーズンは合格を祈願する受験生や家族などで賑わう。

 境内の約40アールの梅園には約150本の梅の木があり、これは梅をこよなく愛された道真公がお手植えになられた一株が繁茂したものと言われ、このうち50株の梅はその幹を地上に伏せ、まるで伏した竜のように咲き誇ることから臥竜梅と呼ばれている。

 

           臥竜梅                           鮮やかな梅

                              菅公伝説の案内版

 

             菅原神社                         枝は地を這うように

 

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  ☆妙見荘田島本館 (霧島市)

      創始者、田島十郎次が約130年前に湯冶場として開業               胃腸の湯・傷の湯

 

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     ☆開聞岳三様

 

 

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   ☆日本最南端の駅 「西大山」

                西の端               開聞岳がすぐ近くに

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    ☆鰻温泉 (鹿児島県指宿市)

 池田湖の東にある周囲4.2kmの小さな鰻池の東北岸、鰻集落に湧く温泉。

 噴気孔から沸々と湧き出す熱い蒸気が噴煙を上げている。湯量は豊富で、温泉は浴用のほか炊事にも利用している。

 西郷隆盛が逗留した温泉で、湯治宿と民宿がある。

 また各家々の庭先には、この豊富な地熱を利用して「スメ」と呼ばれる独特な蒸気カマドが造られ、煮たきに利用されている。

    「男はつらいよ」の寅さんシリーズもここでロケ             西郷さんも逗留した温泉

           西郷さんの銅像もある      うなぎ池、昔はウナギの養殖が行われていた

 

  民宿うなぎ湖畔に泊まる、綺麗な民宿でした      内湯と露天があり、何れも名湯             露天風呂

 

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    本土最南端の始発・終着駅 「JR枕崎駅」

                立派な駅舎         立派な看板

 

         北の稚内駅~南の枕崎駅  3144.5km            線路はここで行き止まり

 

        活気のある枕崎港       枕崎名物「きばらん海」祭り  市場の食堂で一番人気の、カツオ刺身は抜群

 

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  ☆知覧&ホタル館&冨屋食堂

    特攻隊が愛した富屋食堂の原型           富屋食堂遠景         映画「ホタル」は涙を誘う

 

                   富屋食堂          昔はホタルがいたと云う           知覧武家屋敷群

 

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   ☆ 天眞正自源流 (居合)       

                                         天眞正自源流のHP(←クリック)

     27代、上野靖之源心      靖国神社奉納演武大会での28代最高師範と29代宗家の真剣組太刀

 

  天眞正自源流道場の副館長   副館長のお孫さんは”蜻蛉”の構えとか  浅草時代の道場には、三船敏郎や時代劇の有名人が多数

 

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 天眞正自源流という、日本伝統武道の発祥の地を訪ねて感動ひとしおであった。
400年と云う年月を超え、薩摩の地で流派をつないできた歴史は十分重みがあり、今日それが世界へと日本伝統武道が広がりつつあると聞く。

 合わせて、薩摩時代からの名湯めぐりはこれまた感動であった。常に西郷さんと共に湯船に浸かっているような錯覚さえ覚えた。

 鹿児島出身のある方に聞いた。西郷さんと大久保さんはどちらが慕われましたか? と、無粋な質問をしてみた。

 「大久保さんは一族の墓を全て東京に移しました」 と云うお答えを聞き、成程と頷き、西郷さんの偉大さを再認識した旅であった。

                                終わり

 

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