キプロス紀行
キプロスの春は国中アーモンドの花に包まれる。日本の桜に似ている | シクラメンはキプロスが原産地 |
旅の初めに・・・ 2015年2月、地中海のミニ国家キプロスの旅を計画。 狭い国土ながら、キプロス正規軍(南部)である『キプロス民族防衛隊』とイギリス軍に加え、ギリシャ軍、トルコ軍、国連平和維持軍が駐留している特殊なキプロスと云う事が予備知識で理解している。 何故なのか、その辺を目で確かめてくる事とする。 |
地中海の東に位置する | グリーンラインで南北に分かれる |
ワンポイント情報 ・国名 キプロス共和国 ・民族構成 ギリシャ系(南部)、トルコ系(北部) |
南キプロス |
☆ニコシア(レフコシア)(首都)観光
ドバイのエミレーツ航空でキプロスのラルナカへ | ランルナカのホテルは街の中 |
ホテルの近くにはギリシア正教会の教会がある、散歩で中へ入る | ラザリア教会の内部、絢爛豪華 |
☆キプロス(南部)とは・・・
アフロディテ「ヴィーナスの誕生」生誕の地キプロス |
地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はニコシア。ヨーロッパ連合加盟国。公用語はギリシャ語。 キプロス島の一部は、イギリス海外領土で地中海・中近東方面の軍事拠点としてイギリス軍が駐留している。 1974年以来、南北に分断されており、島の(北部)約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国(南部)は国際連合加盟国193か国のうち、192か国(トルコを除く)が国家承認をしている。 キプロスは元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。 軍事的には北部にはトルコ軍、南部にはギリシャ群が常駐している。 南北の衝突を抑止するため国連の引いた緩衝地帯(通称グリーンライン)がある。 |
☆首都ラルナカへ
教会が至る所に | 春の花が咲き乱れる | 整備された国道 |
レフコシヤ(ギリシャ語)はラルナカの事 | ラルナカの街 |
ラルナカの一般住宅 | 街の景観 |
☆ニコシア(首都)(ギリシア語でレフコシア)
ニコシア中心部 |
ニコシアは、キプロス共和国(ギリシャ系)と北キプロス(トルコ系)両方の首都。 ギリシャ併合強硬派によるクーデターを支援するギリシャに対抗して1974年、トルコ系住民の保護を目的としたトルコ軍のキプロス出兵の結果、町の北側を支配するトルコ系の北キプロス・トルコ共和国と、南側を支配するギリシャ系のキプロス共和国(独立以来のギリシャ系主導のキプロス政府であり国際的に承認されたキプロス国家を代表する)に分断された形になっており、北キプロスもニコシアを首都としている。複数の国によって同じ都市が首都とされる唯一の例となっている。 キプロス島中北部にあり、付近に肥えたメッサオリア平野がある。小麦、ブドウ、オリーブ、牛、羊などの農畜産物の集散加工がおこなわれ、また皮革、繊維、タバコなどの工業もおこなわれる。 |
☆考古学博物館
旧市街の東、城壁に沿うように建つ博物館は建物は小ぶりだが、展示物は紀元前5800年ころの新石器時代からビサンチン前期まで、長い歴史を物語る貴重なものがいっぱい詰まっている。
|
キプロス博物館の看板 | 正面 |
紀元前5800年頃の土器 | 人や動物の像も | 人間の様だが |
様々な顔 | 壺に動物の絵が |
カラフルな模様 | 現代と変わらぬ出来栄え | 牛であろうか |
博物館の庭 | 美味しそう |
☆ファマグスタ門
キプロスの首都ニコシアにある城門。16世紀ベェネツイア時代に建てられた城壁は一周約5km。11の砦と3つの門があり、その最大な門がファマグスタ門。 城壁に囲まれた旧市街の東側に位置する。 16世紀、ベネチア共和国時代に建造された三つの城門のうち、最も大きなもの。 |
城門 | 16世紀の建造物 | 何? |
☆ビザンチン博物館
聖ヨハネ教会の敷地内にあり、初代大統領に就任したキプロス正教会のマカリオス大主教が収集した200点あまりのイコンを展示している。 |
ビザンチン・ミュ―ジアム | 正面 | イコン、マリアとキリスト |
☆国境を歩く(南から北へ)
南も北も首都は同じ場所、ニコシヤ。通りの向こうへ歩くと検問所がある | 少し緊張して歩く。パスポートを用意して | もう少し |
☆グリーンライン(南北分断線)
1964年からキプロスで継続している紛争で、事実上のギリシャとトルコの代理戦争になっている。 グリーンライン(南北分断線)は国際連合によってひかれた緩衝地帯となっており、南側のキプロス共和国側からに限り北側への通行が可能であったが、2004年より南北間の通行については、検問所の増設ならびに自由化がなされた。南北キプロスに国連平和維持軍が駐留している。 |
北キプロス |
☆北キプロス・トルコ共和国 とは・・・
コンクリートの壁や鉄条網で東西に隔てられている |
「世界が認めない分断国家」がキプロス。キプロス島はコンクリートの壁や鉄条網で東西に隔てられ、首都ニコシアも市街地が真っ二つに分割されている。壁の南側にはキプロス共和国、北側には北キプロス・トルコ共和国があるが、北キプロス政府を承認しているのは世界でもトルコだけ。 キプロスの人口78万人のうちギリシャ系が77%、トルコ系が18%を占めていて、北キプロスはトルコ系住民だけの「国家」だ。 キプロスは1960年の独立当初は統一国家だったのになぜ分断されたかというと、ビサンティン帝国の復活を夢見たギリシャの無謀な拡張欲のせいである。 第一次世界大戦でオスマン・トルコが解体した時、ギリシャはイスタンブールならぬコンスタンティノーブルやエーゲ海東岸の奪還を目指して失敗したが、その後エーゲ海の島々を地道に取り戻し、その仕上げにギリシャ系住民が多いキプロス島を併合しようとして大失態を演じたのである。 地中海の要衝・キプロス島は、イギリスがエジプト防衛のための拠点としてオスマン・トルコから租借していたが、第一次世界大戦後に植民地として併合した。 植民地で民衆の不満が支配者へ向けられないようにわざと民族対立を煽っておき、自らは調停者の役を演じるという分割統治の手法は、歴史的に「腹黒紳士」たるイギリスが得意とするやり方だが、キプロスでも少数派のトルコ系住民に肩入れし、北部では行政上の正式な地名にトルコ語を採用してギリシャ系住民との対立を煽ったりした。 |
☆ニコシア/レフコシャ(北の首都)
城壁に沿ってしばらく歩くと国連の緩衝帯がありそれに付随する形で観光案内所がある。 パスポートにスタンプは押されずスタンプを押された半券みたいな物をもって入国を果たす。 |
緩衝帯には土のうと金網 | 右奥の2名が検問所の職員 | 北側に来てホットする |
☆5つの軍隊
頭を抱える国連平和維持軍 |
四国の半分程度の面積キプロスに、キプロス正規軍(南部)である『キプロス民族防衛隊』とイギリス軍に加え、ギリシャ軍、トルコ軍、国連平和維持軍が駐留している特殊なキプロス。 民族の争い、宗教の争い、先進諸国の勢力争いの縮図がここにはある。 |
☆聖ヨハネ教会
トルコ人地区にある教会でセレミエ・モスクとも呼ばれている。 当初はキリスト教の聖ソフィア大聖堂として1325年に創建。16世紀にオスマン帝国の支配下に入り、1571年にイスラム寺院に改造された。 15世紀から18世紀の半ばにかけて4回も地震の被害を受けた。 |
☆旧市街
旧市街は、500年の歴史を刻む円形の城壁に取り囲まれている。 城壁からは11個のとりでがスペード型に突き出し、真上から見た形はまるで巨大なジュースの王冠だ。 周囲は約4.5キロ。南側で無料で配られている地図を見ると、境界の北側は空白だ。「1974年からトルコの支配下にある」と書かれている。 |
☆聖ソフィア寺院(セリミエ・ジャミイ)
セリミエ・モスクは、初期ビザンティン時代の教会跡に建てられた、キプロス島に残存する最大のゴシック様式の大聖堂を転用したもので、堂内の大きさは66m×21mである。 かつて聖ソフィア大聖堂と呼ばれたこの建物は12世紀初頭に建てられ始めたが、資金上の問題や政治問題などに翻弄されて、一応の完成を見るまで150年ほど掛かった。 しかしながら、建物の南西に建つはずであった尖塔や、ポルチコの2階部分は結局造られないまま現在に至っている。 |
今はイスラムのモスク | イスラムらしい建物 |
☆数十年ぶりに雪が降る
車のボンネットに雪が降る | 学生たちが降る雪に興奮 |
南の地中海は温暖、雪に驚く女学生 | 雪の話題で大騒ぎ |
☆北部のキレニアへ
キレニアはキプロス北部の地中海に面した町で、旧港と城塞で有名。北キプロス・トルコ共和国が支配しているキレニア地区の首府である。 住民の人種構成はかつてはギリシャ系キプロス人が多かったが、現在ではトルコ系キプロス人が殆どでその他に少数の英国人とトルコ人となっている。 |
キレニアは北 | 峠を越えるので山は真っ白 |
雪が珍しいので、車はをめて雪合戦が始まった | キレニアの文字が見えてきた |
☆ランチ・タイム
キレニアのレストラン | 前菜が並ぶ | 店内は大混雑 |
雪が降ったので暖炉全開 | 赤ワインをちゃめっけたっぷりに |
大サービスと云って女性に | メインは魚のフライ |
☆キレニアの港
地中海には青い空と海が似合う |
港、港には女性が。でも猫 | フン、とアッチ向いた |
☆キレニア城
現在見られる城は、旧港の東端に十字軍が築城した城を、16世紀にヴェネツィア共和国が改築したものである。 城内には古代ローマ後期の円柱を再利用して12世紀に建てられたゲオルギオス聖堂や、難破船博物館がある。 |
城郭へ | 庭園 |
世界最古の船とか | 埋もれていたものを修復 |
☆ベラパイス修道院
12世紀末、パレスチナから逃れてきたオーガスティン派修道会によって建てられたこの修道院は典型的ゴシック建築。 |
糸杉と修道院 | ズラリと並ぶイコン | イコン |
☆ファマグスタ
町の人口は3万9千人。 裕福な商人たちはそろって教会を寄進して建て、これらは今も残り、ファマグスタが教会地区と知られる所以となった。 |
危険地帯、国を二分した鉄条網 | 国道に沿って延々とグリーンライン 180km |
☆ 南北分断の弊害
分断地域の農地は放棄 | この街はギリシア人街であったが、トルコ軍の攻撃で放棄、廃墟 |
イギリスの海外領土地域、軍用機が使える飛行場がある | イギリス軍の建物群 |
☆イギリス海外領土
イギリスの海外領土を構成し、イギリスの統治権が及ぶキプロス島にある地域。 キプロスの地位がイギリス帝国の植民地からイギリス連邦内の独立した共和政国家に移行した際、基地については引き続きイギリスが保持することとされた。 これはキプロスが地中海において戦略上の拠点に位置していたためである。 イギリスにとってこの地域の基地の重要性として、キプロスという地中海の東の端にあり、スエズ運河や中東に近いという戦略的な位置にあることや、軍用機が使える飛行場としての空軍基地が使えること、総合的な訓練を目的に使えることが挙げられる。 |
イギリスの建造物が並ぶ | 南北の検問所(国境) |
☆聖バルナバ教会
使徒聖バルナバ霊廟。
|
ファマスタの街 | 一転して北はモスクが | バルナバ霊廟 |
教会時代のイコンが並ぶ | 聖人が並ぶ |
所狭しと | 教会かモスクか外面からは分からない |
☆サラミス
古代ギリシャ時代から栄えた都市国家で、ローマ時代には聖パウロが第1回の宣教旅行でキプロス島を訪れた際に、サラミスと西海岸のパフォスに寄っている。 4世紀の地震で破壊されたサラミスはコンスタンティウス2世によってコンスタンチアとして再建され、聖エピファニウスがここで司教を務めている。 その後この町は衰退し、7世紀にはアラビア人の攻撃を受けて、ムアーウィヤにより破壊されて住民は現在のファマグスタへ移動した。 |
☆サラミス遺跡
キプロスきっての古代ローマ遺跡サラミス。 ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、サラミスに港湾、劇場、運動場、浴場などを造ったその遺跡群。 |
サラミス | 古代ローマ遺跡 |
古代ローマ遺跡の円形劇場 | 数千人は収容した |
☆オセロ塔
キプロス北部の港町ファマグスタにある塔。 旧市街を囲む城壁の海側に位置する。14世紀に塔と城塞が築かれ、ベネチア共和国時代に堅固な城壁が加わった。 城門には、ベネチアの紋章である翼をもつ獅子のレリーフがある。 シェークスピアの悲劇「オセロ」の舞台となったことで知られる。 |
オセロの舞台 | 翼をもつ獅子のレリーフ |
オセロタワーの案内版 | 入口 |
『オセロ』(Othello)は、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇。 5幕で、1602年の作。副題は「ヴェニスのムーア人」(The Moor of Venice)。 ヴェニスの軍人であるオセロが、旗手イアーゴーの奸計にかかり、妻デズデモーナの貞操を疑い殺すが、のち真実を知ったオセロは自殺する、という話。 シェイクスピアの四大悲劇の一つ。 |
☆聖ニコラウス聖堂
初めはローマ・カトリックの大聖堂として建設された。
14世紀、十字軍の末裔たるルシニャン王朝が国を治めていたキプロス王国時代ののことであった。ルシニャン家の出身国であるフランスはランスの大聖堂から強い影響を受けたゴシック建築である。 当時の名前を聖ニコラス大聖堂といった。 ルシニャン王家のあとは、同じくローマカトリックのヴェネチアが キプロスを支配したが、 1571年にはオスマン・トルコ帝国が キプロスを奪い取った。 オスマン・トルコ帝国は住民の多数をしめるギリシャ正教徒の信仰を許す一方、 ローマ・カトリック教徒からは教会や建物を没収し、モスクに改造したり、ギリシャ正教徒に売却したりした。 |
教会からモスクへと宗教は複雑 | 当時の威厳が感じられる |
街のカラフルな椅子 |
☆ランチ・タイム
D&Bレストラン | ワインが美味しそう~ |
前菜各種 | サ・カ・ナ |
☆チョコレート菓子専門店
カラフル | 綺麗 |
何だろう | ゼリーのような | オセロか? |
☆リマソール(レメソス)
キプロス第二の都市レメソス。青い空、紺碧の海にそって白壁にオレンジ色の瓦屋根の別荘や真っ白いホテルが続く。浜辺は白い砂で水はもちろん地中海色。 高級ホテルや別荘はレメソス市内からはずれて静かな海岸線に並ぶが、街は旧市街と新市街それに海岸線に長いレストラン、バー、クラブなどの街とに分かれている。
|
リマソールの街 | ホテルは街の中 | 赤ワインの名前は「オセロ」 |
ホテルはカーニバルの飾りで一杯 | 人形かな~ | 各種お面 |
☆アフロディーテ生誕の地
レメソスから約30kmのところでいったん高速道路が途切れ、海辺を辿る。 一つだけ岩が海に浮かぶひときわ水のきれいなところがある。ここが美の女神「アフロディテ(ビーナス)」の誕生した海として有名なところだ。
|
女性はこの海で泳ぎ美人になりたいと云う | この日は誰もいなかった |
☆アカマス半島観光
☆アカマス自然遊歩道
手つかずの自然が残されたアカマス半島。 ギリシャ神話の伝説が残る アフロディテの泉がある。 |
シクラメンが満開 | シクラメンはここが原産地 |
遊歩道が延々と続く | アフロディテの泉看板 |
☆アフロディーテの泉
キプロス島の最西端アカマス半島ポリス近くにある泉で、イチジクの木陰の深い緑の水面が美しい。 アフロディーテが入浴に使ったという伝説があり、ここで顔を洗うと美しくなるといわれている。 |
奥から現れそうな・・・ |
水を汲んで来て売ろうか? | 水滴が想像をあおる | 『ヴィーナスの誕生』 |
アプロディーテは、愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱である。 美において誇り高く、パリスによる三美神の審判で、最高の美神として選ばれている。 アプロディーテーは、生殖と豊穣、すなわち春の女神でもあった。 ローマ神話では、ウェヌス(Venus)、(日本語ではヴィーナス)をアプロディーテーに対応させる。 この名の英語形は「ヴィー ナス」で、金星を意味すると共に「愛と美の女神」である。 |
☆カティカス村ワイナリー
景観が良い村、葡萄畑が並ぶ |
ワイナリーに到着 | ステルナと呼ぶのかな? |
オーナー | 昔はロバが活躍 | 牛も活躍 |
赤と黒のブドウ | 貯蔵庫へ |
売るほどある・・・ | お待ちかね、試飲! |
☆王族の墓
かつての支配者の威厳を示す巨大な石彫刻の地下墓地が、広大な地域に広がっている。 |
看板 | 世界遺産マーク | 花も綺麗 |
地下入り口 | 王様の墓 |
☆ランチ・タイム
sobosレストラン |
大きなレモン | サラダ |
チキン | ポーク | スブラキの串焼 |
☆聖パウロの柱
看板 | 聖パウロは、紀元45年の第1回伝導の旅で、キプロス出身の聖バルナバとキプロスで布教を行っていたが、捕えられ、柱に繋がれてムチで打たれた時の柱。 その時、聖パウロが繋がれたという柱が、「聖パウロの柱」。 |
広く見つけにくい柱 | ありました、柱が | 猫たちも遺跡見学 |
☆パフォス考古遺跡(世界遺産)観光
モザイク絵 |
キプロスの南西部の町パフォスは古代ギリシャから移民した人々が最初に住んだところ。長い間栄えた由緒ある町は、今も歴史の遺産がいっぱいだ。
海と山の美しい風景もさることながら、古代に描かれた モザイク絵 が多く発見され、その数と保存の質の良さで世界遺産にも登録されているところだ。 |
広い遺跡 | 看板 | この建物内にモザイク画収納 |
☆ディオニソスの館
パフォにあるのが「ディオニソスの館」のモザイク。左がブドウを持ち蔓の冠を着けたディオニソス。酒の神でもありワインの原料は手放せない。 1926年に農夫によって偶然発見された大量のモザイク絵は、紀元3~4世紀ごろのもので、この周辺にあったいくつかの豪邸でディオニソスの館、テセウスの館と名付けられた館跡の部屋や廊下などにぎっしりと敷き詰められたモザイク絵がある。 |
紀元3~4世紀とか | 精密なモザイク | 当時の技法がうかがい知れる |
見惚れる | まるで写真の様 |
☆テセウスの家
看板 | こちらも精微 | 技法は現在と同様? |
☆エオンの家
看板 | ギリシャ神話を題材としていると云う |
現在の宗教画同様、モザイクで訴えている | エロチズムさえ感ずるモザイク |
☆パフォス城
パフォス城は、港を守るためビザンティン時代に建てられたサランタ・コロネス砦が、1222年の地震で崩壊したため、その500m南に位置する港の突端に13世紀のフランス系キプロス王国時代に新たに造られたものである。 建設当時は現在見られる城の他に、もう一つ円形の塔が建てられており、2つの建物は城壁で結ばれていた。 これらの建物は15世紀まで使われていたが、一方は地震で倒壊し、もう一方は1570年のオスマン帝国襲撃直前の爆発事故によって崩壊した。 現在見られる城塞の建物は、これらの破壊された建物うち西側の一方を、オスマン帝国時代の1780年に修復したものである。 |
ビザンティ時代の建造物 |
地震やオスマン帝国襲撃直前の爆発事故で破壊 | 1780年に修復 |
☆コロッシ城
コロッシ城は13世紀にヨハネ騎士修道会により建造され、その後1454年に改築されたもので、イングランド王リチャードⅠ世や十字軍の拠点として用いられていた。 城にはキプロスの名産である砂糖を製造する製糖工場も設けられていた。 城はほぼ真四角で3階建てで1階が穀物倉庫、2階は宿舎と台所として利用していた。 |
看板 | ヨハネ騎士修道会により建造 | 13世紀建造 |
1階が穀物倉庫 | 吊り橋から入る。2階は宿舎と台所 | ここから矢を射る |
屋上からの眺め | 屋上からの眺め |
十字軍の拠点となる | 800年の歴史 |
☆アポロン神殿
クリオンから約3km西にあるこの神殿と聖域の跡がある。 クリオンの守護神としてアポロンが信仰されていた。 現在のオリーブと松に似た背丈の低い木がまばらに植えられた乾いた土地からは想像し難いが、古代このあたりは緑豊かな土地であり、神殿は樹木の中にあったという。 メインストリートの奥に神殿があり、聖職者の住居や浴場跡などがある。 |
看板 | 屋根付きで保護されている |
神殿跡 | 神殿の柱が残る | 浴場跡 |
☆クリオン
レメソスから西へ約15km、紀元前14~13世紀にかけてギリシャのペロポネソス半島のアルゴス地方から来たアカイア人の植民地として発展した都市跡。 |
☆クリオンの古代遺跡
紀元前2世紀に建造された野外円形劇場で、一段高いところにあるこの劇場は2,000人を収容したという。 ローマ式の野外劇場の観客席からは青い海が見渡せる。 現在も夏は演劇や音楽会が催されている。 この劇場の近くにはローマ時代の公衆浴場もある。 |
入口の看板 | 200mはありそうな戦いのグラウンド | 劇場は2,000人を収容 |
☆ランチ・タイム
ST.ermogenisレストラン、ユーカラの木が印象的 |
ユニークな看板 | イカリングと小魚 |
フィッシユ | チキン・ポーク・ソーセージ、もう要らない | ダイナミックなデザート |
☆グランド・カーニバル・パレード (リマソール)
子供も大人も皆仮装し、趣向を凝らした巨大な山車がパレードする。 10日間近く行われるカーニバルの最終日、グランド・カーニバル・パレードを見られる。 |
徐々に市民が集まる | 大人も子供も思い思いの服装で | 貴賓席には市長も |
山車は少ない |
若者女性グループ | キプロス海賊? |
☆トロードス地方観光
標高1200mの峠を越えて行く | 峠は大雪で、3日後に開通 | 静かな村を経由 |
☆ポディトゥ教会
キプロス中西部、トロードス山脈の中腹、ガラタ村にある教会。 16世紀初頭に修道院付属教会として建造。ルネサンス様式とビザンチン様式が融合した独特な作風のフレスコ画が残っていることで知られる。 1985年に「トロードス地方の壁画聖堂群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。 |
16世紀の建造物 | 教会の屋根は平らな石 |
世界遺産マーク | のどかな雰囲気 | 桜の花に似たアーモンドの花 |
☆聖ニコラオス聖堂
カコペトゥリア村の北約5キロにある積み石造りの教会で、特徴的な屋根を持つことから「屋根の聖堂」と呼ばれている。 ここには、11世紀から17世紀にかけての保存状態の良い壁画が残り、中でも「セパステの40人の殉職者」は、厳格な古典派様式の特徴を良く表している。
|
看板 | アーモンドの花が満開 |
世界遺産マーク | 特徴的な屋根、壁画が素晴らしい。撮影禁止 |
☆キッコ修道院
オリンポス山から西北へ約15km、急な山道を上り下りしたところに大きな修道院がある。 キュッコ修道院だ。 イコンを参拝に訪れる人も多い。 |
入口 | 修道院の中庭 | イコンが見える |
2階のイコン | しっかりした作り |
☆ランチ・タイム
看板 | レストラン内部 |
赤ワイン付き | 前菜、クラフティコ(羊肉の蒸し焼き)、デザートはクスクス |
☆小村 オモドス村
トロードス山脈の麓にあるワイン村のオモドスは人口310人の小さな村。 周りをブドウ畑に囲まれた明るい「昔ながらの村」である。 |
村の入り口 | 馬も出迎え | 村の教会を覗く |
昔のワインを保存する壺 | 製造方法 |
ブドウ圧縮機 | さて飲みますか! |
☆キプロス・ワインのワイナリー
キプロス島の葡萄栽培は古く、紀元前9世紀ごろのものといわれる。 ガイドブックなどによると「キプロスはワインの発祥地」となっている。だが他の国でも同じ言い伝えがあるので確かなことは不明だが、それほど古くからワインづくりが行われていたことだけは確かである。 また、いまでもこの島には世界でも珍しい古代種の葡萄が生き残っているという。 |
☆略史
有史~ オリエント諸国(メソポタミア地域の国)、次にエジプト王朝、ペルシアの支配を受ける その後、国際連合の仲介により和平交渉が何度も行われているが解決されていない。 |
旅を終えて・・・ 日本の四国の半分程度のミニ国家だが、見どころが多い国であった。 いずれもこの地中海の地域が、重要な戦略地域であった事がキプロスの平和を脅かしてきたようだ。上の略史を見ても属州、支配下、植民地、占領の繰り返しである。 観光の目玉は、シクラメンの原産地、悲劇のオセロの舞台、アフロディ―テ(ヴィーナス)の海と泉、国中鮮やかなアーモンドの桜の様な花が咲きほころぶ美しさ、猫の国である地中海のマルタから泳いできたかと思わせる猫の多さなどである。 アフロディ―テの美女はこの旅では見かけなかったが、次の旅行先で出会いがあった。アフロディ―テは云う。神様がくれた出会いですと。 終わり |