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高野山の旅 紀行

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  2013年10月、南紀の旅を計画。
 世界のいろいろな国へ行き見学すると、一番多い見学の一つが宗教関連施設である。殆どがそれに尽きるところも多い。否が応でも付きあわされるので辟易することが多い。

 随分いろいろな宗教を見てきた。近代宗教から原始宗教、歩いていても道、石、岩、山、大木、空、川、おまけにヒンズー教では牛も神様である。
 日本も負けず劣らずである。八百万の神様がいるらしい。世界中で神や仏にお会いした人は一人もいないはずだが、そこには精神的な何かがあると言う。

 今回は南紀高野山、熊野三山、伊勢神宮と日本の宗教の原点とも言える地区を、日頃のご無沙汰をお詫びして御礼参拝することとする。果たして神妙な気持ちで学べるか、温泉と酒に溺れるか、それは神仏しかわからない。

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     ☆行程表

     
   行程 : 白浜温泉〜高野龍神スカイライン〜高野山〜紀の川〜和歌山〜関西空港  

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    ☆紀州梅の里

 梅干しの製造には、6月頃に収穫する熟したウメを用いる(梅酒では熟していない青梅を用いる)。ウメを塩漬けにした後3日ほど日干しにする。これを「土用干し」という。この状態のものを「白干し」と呼び、これは保存性に優れており、塩分が20%前後となる。土用干しののち本漬けしたものが伝統的な梅干しである。

 特に和歌山県(紀州)は梅干しの生産地としてよく知られる。和歌山県ではみなべ町や田辺市が主な生産地であり、これらの地で生産される南高梅と呼ばれる品種のウメを用いた梅干しは最高級品とされ、県の推薦優良土産品に指定されている。

     
 中田食品株式会社 〒646-0292 和歌山県田辺市下三栖1475 TEL:0739-22-2486 FAX:0739-23-0950 URL:http://www.nakatafoods.co.jp/    梅の試食、梅酒の試飲をするには工場見学が条件
     
 人間が入れそうな大きな梅漬け用の箱、昔は梅樽  箱詰め  量りで正確に
     
 料理と同じ様に調味料を使うのですね〜                  沢山の試食梅
     
 はちみつ完熟梅がNO1でした。 アッ!買うのを忘れた。    10種類ほど、2回づつ。ほろ酔い気分でバスに乗り、一路高野山へ

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  高野龍神スカイラインで 高野山

   
 紀州・熊野路は梅林が続く  秋はミカンがたわわに  快適なスカイライン
     
   春はこの様に」梅の桃源郷  
     
 龍神温泉郷は早くも秋支度    高野山から流れる日高川に沿って高度を上げる
 やがてスカイラインは山間をくねりながら  ヘアピンカーブが続く

 

 ごまさんスカイタワー、この辺が最高地点の標高1300m、これより標高850mの高野山へ

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      ☆高野山

     
 バスセンター    バスセンター向かいが「奥の院」
 高野山は、和歌山県にある標高約1,000m前後の山々の総称。
 平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。
 現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

 平成16年(2004年)7月7日、高野山町石道と山内の6つの建造物が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。

 

 奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍が見所
     
   奥の院参道、最奥に空海廟がある  
     
 先ず清めてから    杉木立の中を行く
     
 最奥、奥の院前の御廟橋までは写真可    高野山は1200年の歴史を刻む

    ☆参道脇に霊廟

 参道脇には企業、個人、団体、また宗教を問わず、戦国武将、国籍も問わずに廟を作ることが出来る。料金はそれなりに。
     
 福助  新明和工業  ヤクルト
     
   親鸞聖人  法然上人
     
 日産自動車 従業員慰霊碑    東日本大震災物故者慰霊碑
     
 花菱アチャコ    キリングループ供養塔
     
   年間123万人が訪れる高野山  
     
   メイン通りには有名人の廟が多い  
     
 一の橋  芭蕉句碑  加賀前田家
     
 織田信長、 信長はこの高野山を攻めようとしたが途中で横死。だが廟がある    織田信長公墓
     
 安芸、浅野家    豊臣秀吉墓所

 

 

   
 徳川家霊台    水向け地蔵
     
 御廟橋、静粛に、服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちでお入りを    弘法大師空海廟に1日2回食事を今も運ぶ
     
   御廟、ここより撮影禁止  

弘法大師御廟

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弘法大師信仰の中心聖地であり、現在でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られており、わたしたちへ救いの手を差し伸べていらっしゃる
という入定信仰を持つお大師さまの御廟所です。

現在も参られる方々を救い続けていると信じられ、日夜多くの参拝者が絶えません。           以上が高野山奥の院の説明である。
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 体験参拝

 弘法大師御廟の階段を上がり、正面入口の手前から左に折れ御廟を一回りするが、右側の壁(正面から見ると右側壁)の端に下へ降りる階段
 がある。地下になっている。
 足の弱い人、年寄りは大変であろう。手すりはある。

 地下に降りると、右に折れ正面がガラスに覆われ、両サイドに大きなロウソクが灯っている。
 その真ん中によく見ると弘法大師が鎮座していると言われるが、はっきりは見とれない。その辺が何となく有り難く見えるのであろう。私の
 前の老婆は既にひざまづいて手を合わせている。

 部屋全体の広さは、よくある寺の納骨堂と同じである。20cm四方の納骨入れが無数(数百)にある。かなりの値段であったろうと思われる。
 何しろ弘法大師と同じ空間に納めらるのだから価値観は充分であろう。

 写真を撮りたい誘惑にかられるが、見張り番や監視カメラがあるだろうから自重する。さすがに後でインターネットで探しても見つからなかった。

 世界の教会、モスク、博物館等では、(特に発展途上国)写真を撮らせない事で価値観が上がると錯覚しているきらいが伺われる。秘密の
 ベールで覆う事で神秘性と価値観を確立するのであろう。

 先進国日本で、妖術のごとき行いをするのは如何かと思われる。学術的には空海は亡きあと、火葬にしたと言われている。「現在でも肉身を
 この世にとどめ・・・」等と表現するは、日本書紀や古事記同様の推理小説的である。現代の子供でも信用しないだろう。

 宗教関係者はその辺をまやかして、神秘性を煽るのはどの国もどの宗教も同じである。

 教会にしても、モスクにしても、建物を巨大・立派にし、内部はピカピカ、豪華な宗教画等で、パイプオルガンで大音響、信者の度肝を抜く
 手口である。昔は教育レベルが低い人民はこれですっかり信じさせられる。

 仏教、神社とて同様である。大きな建造物、内部も立派に、線香の煙と臭いで幻惑させ、大人数の坊さん達がお経の大合唱・・・耳と目と鼻の
 自主性を麻痺させようというもの。いつの世も、宗教関係者は食べて行くには信じる人が多くなくては維持できない。時の権力者も美味く利用
 しなければならない。

 いつもながら世界の宗教を見ながら、何処も何れも同様であると見学者の話題の結論は同じになる。まだまだ日本は平和である。食べる事が
 出来なくなると神だ、仏だ、等と言ってはおれないだろう。
 
 最近変化が起きてきている。インターネット、パソコン、携帯電話等で若者が学習してきており、大人や老人の変な理屈を信じなくなってきている
 らしい。イスラムでも1日5回の御参りとか食事で豚肉は食べてはいかん、酒を飲んではいかんと言う決まりを守らない人がかなり出てきて
 いるそうだ。まだここ高野山は酒は自由らしい。

 これからの文化は変わるであろう。科学が理性を超越する時代である。           偏見老人

     
 御廟    御廟
     
    弘法大師空海像  

 


 

     ☆弘法大師空海

空海(774年〜835年)は、平安時代初期の僧。弘法大師の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。

 日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。

 能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。

 高野山奥の院の霊廟には現在も空海が禅定を続けているとされる。

 奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二回の食事を給仕している。

 霊廟内の模様は維那以外が窺う事はできず、維那を務めた者も他言しないため一般には不明のままである。

     ☆真言宗 

  青龍寺 : 804年、第16回遣唐使に随行した弘法大師空海が、
  真言密教を3年間学んだ寺 (2,000年中国旅行で見学)

 真言宗は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。

 空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。

 同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだ。

 最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説いた。


     ☆高野山ガイド

     

 奥の院は2時間6,000円、金剛峯寺、壇上伽藍は1時間3,000円
音声ガイド機は1日500円

   無縁塚
     
 韓国人廟    キリスト教信者廟

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     ☆街並

     
 10月は紅葉    ガイドお薦めの高野とうふ

 

     
 大学、大学院もある(左上)    フアミリーマートも景観に合わせて

 

 高野山のお坊さんはお酒が強い・・・

 空海がこの標高の高い山間に、修業の為の道場を開いた時、特に冬は寒く寝られなかった為に弟子たちに酒を許したと言う。食事は当然精進料理だが、ゴマを多く使用したり、そのボリュームには工夫しているようである。

 


           ☆宿坊

     
   高野山唯一の天然温泉付き「福智院」、露天風呂有、開創は800年前。5000坪の敷地に70部屋を持つ最大の宿坊  

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      ☆金剛峯寺 

  金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。

 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。

 100ヶ寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。
 京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。

 2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。

     
     主殿  東西54m、南北63mに及ぶ山内最大級の建物
     
 梅の間  (狩野探幽の作)    柳の間  (関白、豊臣秀次が自刃した部屋)

 

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     ☆壇上伽藍

  山内の西寄り、金堂、根本大塔、西塔、御影堂など19棟の堂塔が立ち並ぶ一画で、総本山金剛峯寺が管理している。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、真言密教の道場としての高野山の中核となる部分である。
     
   不動堂(国宝)  根本大塔
     
 金堂  西塔  御影堂

 

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    ☆帰りは 紀の川 経由

     
 標高800mの高野山から紀の川市へ    紀の川
     
 柿が最盛期    紀州ミカンの産地でもある
     
 紀の川は有吉佐和子を育てた町  代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』  世界初の麻酔手術をした華岡青洲もこの町
     
 徳川御三家、和歌山城    関空から帰路へ

 

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     ☆日本仏教宗派一覧

宗   派 開 祖 開祖者年代 本山 / 教え 本 尊 画像
天 台 宗 最  澄 767〜822


             延暦寺(比叡山)


教え・・・  すべての衆生は、仏陀になることができる

 

法華経
真 言 宗 空  海 774〜835

金剛峯寺(高野山


教え・・・「密教を修める者は、密教の戒律と大乗仏教の戒律を実践しなければならない」と説き、密教では、仏教は、真実の仏、大日如来の教えであり、この大日如来と心身ともに一体となって修行を実践すれば、この身、このままで仏となることができる(即身成仏)と説いている。
大日如来
浄 土 宗 法  然 1133〜1212

智恩院(京都)


教え・・・阿弥陀如来の誓いを深く信じ「南無阿弥陀仏」をとなえることによって、どんなおろかな罪深い人でも一切の苦から救われ、明るい安らかな毎日を送ることができ、そのままの姿で立派な人間へと向上し、極楽浄土に生まれることが出来ると説く。

阿弥陀如来
浄土真宗 親   鸞 1173〜1262

西本願寺(京都:本願寺派)東本願寺(京都:大谷派)


教え・・・すべての人が阿弥陀仏の本願を信じ極楽に往生したいと願った時に救われると説き、又本願力によって浄土への往生と、往生して、仏となった後、衆生救済のために再びこの世に戻ると説いた。

阿弥陀如来
臨 済 宗 栄   西 1141〜1215

建仁寺(京都)


教え・・・人間生まれそなわっている仏性を修行(座禅)によって見出し、日常の現実生活のなかに自己の宗教的人格を実現することを説き、労働を尊び、座禅を重んじている。

釈迦如来
曹 洞 宗 道   元 1200〜1253

永平寺(福井)


教え・・・ひたすら、座禅に生き(只管打座)、この座禅の姿が仏であると信ずること(即身是仏)、ひたすら座禅することにより、自らの仏性を見出そうとする教え。

釈迦如来
日 蓮 宗 日   蓮 1222〜1282

久遠寺(身延山)


教え・・・永久不滅の釈迦牟尼仏に帰依し、「南無妙法蓮華経」のお題目をとなえ、積極的な善行を積めば、どんな人でも救われると説いた。個人の救済だけでなく、社会の救済、国家の救済も説いている。

釈迦如来

                                                                    

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