マルタ共和国 紀行
カラヴァッジォの 「聖ヨハネの斬首」 マルタの首都ヴァレッタの大聖堂美術館に収納されているカラヴァッジォのこの絵は特に有名。 彼の画法の特徴である光と影のコントラストは近代絵画技法の発祥ともいえるもので、イタリアがユーロ通貨を採用するまで、彼の自画像が10万リラ紙幣となっていたことでも、その画業は偉大であった。 |
旅の初めに・・・ 2015年2月、地中海の、イタリアのシチリア島のすぐ南に浮かぶマルタと云うよりマルタ島と云った方が通りが良い国へ行く事になった。 「大阪城は私の家、淡路島は私の庭」 と、お笑いタレントの上沼恵美子の所有物らしい淡路島の半分の面積しかないのがマルタ。人口も42万人と少ない。 また猫が人口の倍ほどもいると云う。何故なのか? 最大の目的はカラヴァッジォの絵が見たいと旅立つ事にする。 |
イタリアの南に位置 | 二つの島からなる。首都はバレッタ |
ワンポイント情報 ・国名 マルタ共和国 ・民族構成 北アフリカ系、中近東系、ヨーロッパ系) |
☆到着
成田~ドバイ~マルタ、エミレーツ航空出で到着 | マルタ島の空港 | マルタ・エアポート |
マルタ島は中世の建物が多い | 既に2月は春 | 教会、砦、城郭もどきの建物が続く |
☆マルタとは・・・
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イタリア・シチリア島の南に位置する。面積は東京23区の面積の半分の大きさである。 カルタゴ、共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配に入ったこともある。 小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来する。 マルタ共和国は東西冷戦の終結を告げる歴史的なマルタ会談の舞台としても知られる。 1917年6月11日に大破した駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」がある。 国内にエネルギー資源は無く、食料自給率も20%にすぎない。淡水は限られ、飲み水はイタリアから輸入している。 世界で初めて海水から生活用水を生み出した島でもある。 |
☆カルカラの日本海軍忠霊碑
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入口の看板 | 忠霊碑 | カルカラの外人墓地は綺麗に整備 |
戦没者一覧 |
植物三体 | 植物三体 | 植物三体 糸杉 |
マルタ島MAP(首都はヴァレッタ) |
☆ヴアレッタ(首都) (世界遺産)
グランド・ハーバー |
人口6,600人(2013年現在)。マルタ島東部に位置し、港を見下ろすシベラスの丘の上にある。ホスピタル騎士団の時代以降の多くの建造物が残る。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 バレッタのバロック様式の建築物の美しさや、堡塁・幕壁・半月堡や公園・教会が都市を彩る様から、欧州の上流階級の間では、バレッタは「スペルビッシマ」(最も高貴な)都市と呼ばれるようになっていった。 また猫が非常に多く生息しておりその数は70万匹以上と人口の倍近くの数を占める。他の多くの猫を掻い潜ってエサを獲得する為にそれぞれが前足を使ってエサを口に運ぶのがこの島の猫達の大きな特徴にもなっている。 |
☆スリーシティーズ(景観3様)
スリーシティーズは、ヴィットリオーザ、セングレア、コスピークアの3つの城壁に囲まれた街から構成されている。 ヴィットリオーザは1571年にヴァレッタに本拠が移るまで、マルタにおける聖ヨハネ騎士団の拠点であり、マルタの首都ヴァレッタより古い歴史を有している。 ローカル色溢れる趣に満ちた町並みである。 |
セングレア | ヴィットリオザ | コスピーク |
☆セングレアの景観
へばりつくような建物群 |
何層にも建物が | 城壁も見える |
湾内を漕ぐ | 見張り台か |
豪華クルーザー | 湾内の入り口 | はためく |
☆ヴイットリオザの景観
雰囲気が違うヴィツトリオザ | 停泊するヨット |
圧巻の景観 |
☆街並み
マルタの有名ビール シスク | 狭い路地が続く | マルタの有名ビール ギネス |
レストランの看板 | レストランが並ぶ | 戦争の大砲の傷跡 |
この時期はカーニバルで、大人も子供もカーニバル姿 | 大サービス、ポーズをとってくれたチビッ子 |
☆ランチ・タイム
地元人気店へ | 雰囲気の良い店内 | バンドのサービス |
前菜はマルタサラダ、メインは白身魚の蒸し煮&ポテト | デザートはアップルパイ | 深刻そうな地元のカップル |
☆マルタ島のホテル
海に面したホテル | 南国情緒たっぷり | ホテルが立ち並ぶ |
海も近いがプールもある | ウエスティン・ドラゴナーラ・ホテル | ファイブスター |
☆古都イムディーナ (中世の首都)
4000年以上前の起源に遡ることができる、素晴らしい古代城壁に囲まれたマルタの中世の首都イムディーナ。『静寂の町』とも呼ばれるこの町は、時間を超越した雰囲気と文化的で宗教的な宝が魅力。 今では住む人も少なく‘静寂の町’とよばれるようになった。 名産のイムディーナガラスを使ったペンダントや皿などが有名。 |
静寂の街に観光馬車 | この街は馬車が似合う | 古代城壁 |
☆大聖堂(イムディーナ)
イムディーナの町でひときわ目立つ大聖堂は、町の中心的建造物である。 伝説によると、4世紀に聖パウロの祈りにより、病の床に伏した父を救われた事からキリスト教に改宗し、マルタ最初の司祭となった聖パブリウスの家の跡地に、聖母にささげるため建築されたマルタで最初の聖堂である。
その後、聖堂は9世紀イスラム教支配下の時代に破壊されたが、13世紀ノルマン人支配下の時代に聖パウロに捧げる大聖堂として再建された。
その後も何度も修復、拡張が繰りかえされてきたものの、1693年にマルタを襲った大地震で聖具室と内陣席を除きほぼ全壊。現在の大聖堂は1702年にマルタの建築家ロレンツォ・ガファによって再建されたものである。
教会内部はヴァレッタの聖ヨハネ大聖堂に比べると規模も小さく華やかな装飾が施されているわけではないが、荘厳な気持ちになる空間が広がっている。
マルタ騎士団の一員であり、聖ヨハネ大聖堂の天井画の作者でもあったカラヴァッジォ派の画家、マティア・プレッティの作品が贅沢にも5点展示されている。幸運にも大地震で損害を受けなかったそれら作品の中でも、特に「聖パウロの難破」のフレスコ画は圧巻である。
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マルタには360の教会があると云う | たたずむ馬 |
人間の数より多い猫 | 猫は大事に扱われている。ノラ猫も餌をもらえる |
☆近郊の景観
自然と農業が共存 |
春の緑がさわやか |
日本の桜の様なアーモンドの花が満開 |
黄色い花はカタバミとか |
路地を散歩したくなる | 一人でお散歩 |
のんびりした街 | マルタの国旗がたなびく |
☆ラバトの聖パウロの教会
教会から地下へ降りた先には、聖パウロが布教活動を行ったと言われている洞窟がある。 伝説によると、エルサレムで捕えられた聖パウロがローマに送られる途中、船が難破し、辿りついたマルタで3カ月の間、この洞窟に身を隠しながら布教活動を行っていたと言われている。 現在も深くマルタに根付くカトリック信仰の始まった場所と言っても過言でない。洞窟に降りると、騎士団長であったピントから寄贈された聖パウロの大理石の像がたたずんでいる。 この像には1990年にマルタに訪れた前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世と2010年5月に訪れたローマ法王ベネディクト16世が祈りを捧げている。 洞窟の上に建てられた教会には、マティア・プレッティ他多くの芸術家の作品が飾られている。 |
聖パウロ教会遠景 | 教会正面 | 教会内部、豪壮 |
聖パウロが天井絵に | キリスト像 |
☆地下墓地
地下は大きな岩をくり抜いた部屋がいくつもあり、埋葬者が横たわった岩棚や穴が無数にある。この地下墓地(カタコンベ)は22万2,000m2もの広さがあり、4~6世紀に1,000人ものキリスト教徒が埋葬された。 この中央には大きな岩を使ったアガペ・テーブルという台がある。それは埋葬者を送るために会葬者たちがお別れの食事をしたテーブルだという。地下の岩の穴や棚に布にくるまれた沢山の死者の中で、食事をするなど、いまでは考えも及ばないような送葬が行われていた。 |
カタコンベ(地下墓地) | 地下に降りてみる | 無数の墓地 |
☆ラント・タイム
パラゾ何とか | 洒落た店内 | レストランのファミリー・コーナーではカーニバル服 |
ポテト・スープ | ロースト・ポーク | ポテトディツ(なつめやし)入り揚げ菓子 |
☆赤ちゃんポスト
世界に赤ちゃんポストは数カ国、このマークは?今一度考えて? | 赤ちゃんポストの窓、ようやく赤ちゃんが入る狭さ |
☆バレッタの「カーニバル・パレード」
カーニバルの期限は、イエス・キリストが伝道をはじめる前に、40日間荒野で断食と瞑想を行ったことにならい、キリスト教徒が節制の日々を送る、四旬節の直前に行われる宗教行事である。 人口約40万人のうち9割以上が敬虔なカトリック教徒であるマルタでは1年のうちで一番盛大な宗教的行事であるといえる。 マルタのカーニバルは6世紀に渡って続いている大変歴史深いイベント(ヨハネ騎士団がマルタ島の領有権を獲得した数年後の1535年にはじめて開催された)で、多くの町、村で行われるが、特に盛大なのがヴァレッタ、フロリアーナ地区で行われるカーニバルである。 |
巨大な山車の後に人々が続く | やはり女性は華やか |
怖い人も | 男もいた | 見物人も共に楽しむ |
美女発見 | ここにも | 見たくない |
高さ5mか | 大音響とともに練り歩く |
オッ!チビッ子発見 | ポーズをとる | マルタの朝食、ビュッフェ・タイプ |
☆ゴゾ島
紀元前3600年に最初に人が住み着いた場所と言われる島。 マルタ島より小さいながら『アズール・ウィンドウ』『カリプソの洞窟』『大聖堂』などの見所も多く、人々の温かさと魅力が詰まっている島である。 マルタ語で巨人の塔を意味する『ジュガンティーヤ神殿』は、紀元前40世紀に建設が始まった世界遺産にも登録されている遺跡である。 |
ゴゾ島MAP |
マルタ島からフェリーで20分 | やはり圧倒的にヨーロッパ人が多い |
遠くに見えるは大聖堂か | マルタもゴゾ島もヨーロッパのリゾート地 | 車で島内を走ると田園風景が広がる |
☆タ・コラ風車
聖ヨハネ騎士団の時代から、マルタには村や町ごとに風車が建てられていたそうである。 およそ15メートルほどの石づくりの風車は、巨大な石臼の製粉所として市民の暮らしを支えてきた。内部は通常2階構造で、1階部分は家族の居住スペースになっており、2階部分で風車の管理をしたりパンを焼いたりしていた。 騎士団によってつくられた12の風車のうち、ほぼ完全な状態でゴゾに残っているのは、18世紀に建てられたタ・コラの風車で、現在は博物館である。 |
入口の看板 | 現在修復中 |
☆ジュガンティーヤ神殿
マルタに現存する神殿群の中で、また世界的にも一番古いといわれるゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿(紀元前3,600年頃)。 全長6m、重さ約20トンの石で構築されており圧倒される。伝説の通り、まさに巨人が造った神殿といえよう。 |
入口看板 | 世界遺産マーク | 遠景 |
重さ20トンの巨大石 | 石を運んだ図 |
花三様 | 花三様 | 花三様 |
必ず遺跡に現れる猫、遺跡に興味がある様で | お主たちは兄弟か |
☆カリブソの洞窟
マルタ語でラムラハムラ(日本語で赤い砂という意味)と呼ばれるラムラベイは、名前の通り赤い砂が特徴の美しい砂浜である。 夏場は地中海の海と戯れる観光客でにぎわう。ビーチを見下ろす高台には、ホメロスの2大叙事詩のひとつ『オデュッセイア』にてオデュッセウスが美しい妖精に7年間引きとめられたといわれている、カリプソの洞窟がある。
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洞窟の階段 | カリブソ遠景 |
☆アズール・ウインドー
小舟に乗ってインランドシーを抜けた先には地中海が一面に広がるアズールウィンドーは、数千年の風と波の浸食によって作られた、美しいアーチである。 |
見えてきた | 風と波の浸食とはいえ芸術的 | これは神様のいたずらかもしれない |
☆ランチ・タイム
お洒落なレストラン | 本日は一番乗り |
前菜はペンネ | メインはたこのトマト煮込み |
☆大城塞(チタデル)
ゴゾ島の中心、ヴィクトリアにそびえたつ要塞。今では美しいゴゾの景観を楽しむビューポイントの1つとなっているが、1551年ゴゾ島が海賊に襲われ、多くの島民が連れ去られた。
チタデルは侵略の際の避難場所、攻防の場所としての役割を果たしたという、悲しい歴史背景のある場所でもある。 雨季には眼下一面に草花が生い茂り、美しく緑色に輝く景色を見ることができる。 |
日本の城より広い | 歩くのに疲れる |
☆ゴゾ大聖堂
チタデルの要塞の中に立つ大聖堂。外観はシンプルな造りだが、内部は赤とゴールドのきらびやかな装飾が施されている。建築当時は天井にドームを造る予定だったが、資金不足で造ることができなくなり、苦肉の策として中からみると天井がドーム型にみえる様、だまし絵を施した。外から見ると屋根がドーム形になっていないのが一目瞭然である。 360教会があるといわれているマルタで、だまし絵がみられるのはこのゴゾ大聖堂のみ。 |
両側に聖人の像 | パウロ | ヨハネか |
ゴージャス | 夕食はビーフストロガノフ |
☆地下神殿ハル・サフリエニ・ハイポジウム(世界遺産)
ヴァレッタ南近郊、タルシーンの近くハルサフリエニという街にある、巨石の神殿群と時代を同じくする、規模の大きな地下神殿の遺跡。 構造は三層からなり、一番深いところで、地上より7メートルとなる。中から、7000体の人骨が発見されたため、地上にある巨石の神殿とは違いもともと墓所として作られたという説や、もとは神殿だったが青銅器時代に墓地として使われたという説が唱えられている。 一方で、巨石の神殿同様、現在の正当派考古学者の定説よりもずっと古くに作られたものであり、7000体の人骨は新石器時代、銅器時代に、マルタを天変地異が襲った際に地上の墓地から流れこんだという説もある。 |
1日限定人数しか入場出来ない | 世界遺産マーク |
受付事務所 | 7000体の人骨が発見 |
三層からなる | 丁寧に管理されている |
☆ハガール・イム神殿
ハガール・イムとは「聖なる石」「崇拝の石」という意味。 紀元前2800~2400年に建てられた神殿で、巨石を垂直と並行に積み上げただけのシンプルな建築である。 |
しっかり保護されている | 4000年前、どのように作ったのか | 巨石に模様 |
縦に横に、意味するものは? | 想像図 |
☆ブルーグロットー
輝く地中海に囲まれたマルタ島には数え切れないほどの美しい自然が残っているが、その一つ『ブルー・グロット』は、石灰岩の岩壁が波の浸食によってえぐり取られ、陽の光が差し込むと美しいエメラルドブルーが一面に広がる。 透明度の高い水中を覗くと、岩壁に貼りつく天然の珊瑚を見ることができる。 |
看板 | あの下 | 天気が良ければ船で可能 |
☆マルサシュロック(港町)
漁船が多い | 港町である |
船の葉先には両目が、おまじないの様らしい |
☆三毛猫のオス(嵐を教える)
三毛猫(みけねこ)とは、3色の毛が生えている猫の総称。 そのほとんどがメスでありオスは滅多に出現しない。基本的に三毛猫の性別はメスであるが、ごくまれにオスの三毛猫が産まれることがある。その希少性は30000匹に1匹程度とされる。 オスの三毛猫を船に乗せると福を呼び船が遭難しないという言い伝えがある。また嵐の予想と天気も教えるらしい。 江戸時代には高値で取引されていたという説もあるが、実際の取引事例は不明である。 日本の第一次南極観測隊では珍しくて縁起がいいという理由でオスの三毛猫のタケシが連れて行かれ、昭和基地内のペットとして南極で越冬している。 日本の漁村では1匹30万円程度で売買されるそうだ。 |
☆ランチ・タイム
港の前のレストラン | フィツシュ・スープ | シーフード・ホイル包(アサリ、ムール貝、海老) |
☆騎士団長の館
現在は大統領や、政府機関として使用されているが、往時、騎士団長がここから騎士団を統率した。見学できる内部にはペレロス騎士団長が私費を投じて織らしたアフリカ、インドなどの風物をみせるタペストリーやグレートシージの名場面を描いた欄間絵などは一見に値する。 騎士団長の館など、各騎士団の本部として使用された荘厳で興味深い建物が残されている観光の中心地である。
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館の遠景 | 騎士団長像 | 統治の勢力を彷彿させる |
☆聖ヨハネ大聖堂
1577年、騎士団がその名前を冠したキリストの授洗者聖ヨハネを称えるために建てた大聖堂。
会堂の側面は騎士団を構成する八つのグループのそれぞれの礼拝堂があり、正面には主祭壇がある。
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大聖堂 | 内部 | ゴージャスな内部 |
☆大聖堂美術館(聖ヨハネの斬首)
カラヴァッジォは生来の乱暴な気質で殺人を犯し、追放を逃れてマルタ騎士団を頼り来島した。「聖ヨハネの斬首」はその中でも特に有名であり、唯一カラヴァッジォが流れた血糊でサインを右下に残している。
この絵を仕上げたことで彼は騎士の身分になるが、彼の出目をいやしむ同僚騎士と争い、ついに地下牢に幽閉されてしまう。 後に脱出しローマを目指すが旅の途中で病死する。彼の画法の特徴である光と影のコントラストは近代絵画技法の発祥ともいえるもので、イタリアがユーロ通貨を採用するまで、彼の自画像が10万リラ紙幣となっていたことでも、その画業は偉大であった。 |
床は騎士たちの墓所 | 「聖ヨハネの斬首」 |
ヨハネの猫か? | オッ! 三毛猫発見、30万円! |
☆アッパー・バラッカ・ガーデン
地中海随一といわれる良港グランドハーバーを見下ろす展望デッキがある公園。
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絶好の眺望 |
猫は無関心 | 70万匹いると云う猫 |
☆マルタと猫
何故マルタに猫が多いか・・・ マルタ原産の犬といえばマルチーズだが、マルタではマルタ猫も有名である。 なぜ、マルタには人口の倍近くものマルタ猫が生息しているのであろうかか。そし てマルタ猫たちは一体どこから来たのだろうかか。その答えは古代エジプトにある。 猫をのせた古代エジプト王朝の船によって、マルタのような島国を含む周辺各国に猫が持ち込まれたと言われている。マルタの人々はかわいい猫たちの世話が大好きと云う。 同じように、警戒して姿勢をまっすぐにして座るマルタ猫 もまた、悪霊払いとして考えられているそうだ。 しかし、実際の所はマルタは海に囲まれている為、船での漁が多い。 |
☆マルタとマルチーズ(犬)
マルチーズは、ヨーロッパで最初から愛玩犬として飼われた犬種として、もっとも古い歴史を持っています。 紀元前1500年頃、貿易の中継点だったマルタ島にフェニキアの水夫たちが持ち込んだ犬が元になっているといわれています。マルチーズに関する記述は紀元前300年頃に記録されており、ギリシャの美術にはマルチーズと同じような犬が5世紀頃から描かれていました。マルチーズに対する愛情が嵩じて墓標が建てられたという証拠も残っています。 |
☆本日のランチ
お通し(鹿のパテ、サラダ)缶詰風 | モッツァラチーズ&ドライトマトノサラダ |
デザートはアップルクランブル&アイスクリーム | メインはスズキの蒸し焼き&アーティチョーク | コーヒーの取っ手がユニーク |
☆タルシーン神殿
タルシーン神殿(紀元前約2,800年頃)は、1914年地方の農民によって偶然発見された。 その後、考古学者によって1915~17年に発掘された。4つ(内1つは痕跡のみ)の神殿からなる。 壁および祭壇にしばしば見られる渦巻き模様の装飾は時間と永遠の象徴であるとされている。 |
看板 | 説明板 | 全景 |
紀元前約2,800年頃 | 墓 | 人間の下半身の様な |
☆エルモの砦
マルタ共和国の首都バレッタにある砦。 第二次大戦では英国軍の前線基地が置かれ、イタリア軍による空爆を受けた。現在は戦争博物館と警察学校が置かれてい |
屋上 | 16世紀半ばの建造物 |
☆ランチ・タイム
綺麗なレストラン | 清潔 | ペンネパスタのクリームソース |
チキンソテー、マッシュルーム、ポテト、パプリカ、ナス | 連日の赤ワインも美味い | 銘柄 |
☆略史
新石器時代(紀元前8500年頃) 神殿を始め多くの巨石文明の跡 |
旅を終えて・・・ マルタは猫が人間の倍もおり、じつにその数が70万匹と云われている。 観光客の殆どが、至る所にいる猫の傍に歩み寄り癒されているようだ。マルタには猫を見に来たのであろう。 ここに、あるデーターがある。 ・犬:49.8% 今回は、犬と猫を見に来たかと錯覚。余り他の事を覚えていない。今は平和なマルタであった。 終わり |