モザンピーク紀行

 

          モザンピーク海峡での御来光 (インド洋に面するモザンピーク島)

 旅の初めに・・・

  2014年9月、モザンピーク他の旅を計画した。

 モザンピークと言う国名を何度か聞く事はあったが、殆ど知識は無かった。

 事前の下調べで、インド洋のマダガスカル島の西側にある国で、国民の70%が貧困ライン以下である事、今回訪れる7カ国の中でもブルンジに次いで人間開発指数が世界169カ国の中で165位 と低く、発展途上国と言うより、発展が停止しているのではと疑われるような情報ばかりであった。

 阿部政権以来、アフリカに置いて中国と日本によるアフリカ支援が活発化しているようだ。その辺の意図と受け入れ側の反応等、攻防戦が気になるところである。

 今、アフリカは進歩しているのだろうか。アフリカの総人口は10億人、世界の総人口70億人の15%にもなる。人口もさることながら、近年は潜在的な資源争奪戦も華やかであるが、宗教や文化、そして最近は病気の菌についても決して放置しておれない状況である。

 エボラ出血熱、エイズ、コレラ、マラリア等の病気。イスラム国やイスラム「ボコ・ハラム」等のイスラム過激派の動向など、世界はこれらを無視して過ごせない時代にきている。

 多少、いや大いに不安と心配を持ちながらアフリカ大陸へ旅立つ事にする。

 アラーの神にお祈りをしながら・・・
 
アッラーホ アクバル アッラーホ アクバル アッラーホ アクバル アッラーホ アクバル」

                 面積は日本の2倍         4か所の都市を巡る

    

   マラウィの国からバスで→リチンガ(モザンピーク)へ

    川で洗濯するのが普通           奇岩が多い       貧しい民家が並ぶ

    国の殆どは道路網が劣悪。穴ぼこで速度20km     子供の遊び道具は何もない。棒や葉っぱばかり

 

観光客バスが停車すると近くの住民が集まる   10代の女性は早くも子供が3~4人  リチンガの街に入り、ようやく道路が普通

 
貧しさゆえに・・・

 隣国マラウィは畑にいるネズミを捕獲して食べるのが普通と言う。
 ここマラウィに近いリチンガの田舎も同様であろう。旅をした9月は乾季、雨が殆ど降らず作物は殆ど取れないようだ。わずかに荒れ地に植えてあるキャッサバ(イモの一種)位であろう。

 観光バスの移動は距離が長いうえに、穴ぼこでスピードを出せないので余計時間がかかる。したがって朝食や昼食はボックス弁当が主流である。気の効いたレストランなど皆無である。

 弁当の中身は「アフリカ式・幕の内弁当」水分のないカサカサのパンの中にチーズ、薄いハム入り1個。ビスケット、不味いリンゴ1個、ジュース1個、定番である。

 参加するのは旅行の達人ばかりで、連日ハプニング、サプライズ、アクシデントを期待する様な変な人が多い。日本におれない症候群ばかりである。
 普段美食家を自認する連中ばかりなので、ダイエットに良いとばかりに、弁当を殆ど食べるものはいない。従って文句も言わない。ツアー会社は楽なものであろう。

 上左の写真、木陰にバスは停車した。すると付近の女・子供が遠巻きに近づいて来る。ジッとバスを伺う(写真中)。どこの人種か?何かくれるかな? と期待の目が痛いようにこちらに伝わる。

 するとバスの中の一人がボックス弁当のパンや、リンゴを手に、相手にあげるやいなや、女・子供の手が無数に伸びてきて奪い合いが始まる。そしてやはり力の強い大人の女が勝ち誇ったように獲物?を掴む。 近くの子供がそれを奪おうとすると、その女は必死に小さい子供を叩く、殴る、蹴飛ばす。 

 ペットボトルの水が余っていたのであげると、やはり争奪戦である。そういう光景が続き、バスの乗客は後味の悪い思いで貧困の実態を垣間見る。罪な事をしたと・・・

 まだ10代ではなかろうかと思われる女は、乳飲み子や幼子を2人も3人も抱えている。小さい頃から学校にも行けず、知能指数も低かろう。何をするでもなく、ボ~ツと道路沿いに座り込んでいる。

 国民の大多数はそんな劣悪な環境下にある。識字率54.0%、平均寿命49.8才がそれを物語る。

 ワンポイント情報

 ・国名      モザンビーク共和国     ・民族構成  マクア・ロムウェ族など43部族 
 ・面積      日本の約2倍         ・宗教      キリスト教(41%)、イスラ(17.8%)、原始宗教
 ・人口      約2,289万人          ・言語     ポルトガル語 
 ・首都      マプト(人口188万人)    ・産業     農業、漁業
 ・宗主国     ポルトガル           ・特徴     内戦が長く続き国力が弱い

     ☆リチンガ(地方都市)

 ニアサ湖の東側に広がる標高1360mの高原上に位置する。

 人口14万人。

 リシンガは1931年ポルトガルによって、この地域の拠点として建設された。

    ☆ホテル 

街で一番良いホテルとか、要人も泊まるとか  部屋だけは広い、国際会議も開けそうだ      裏庭にはプールもある

さすが海に近い、海産物。エビ!奪い合い、昼間の女・子供と同じだ!    ロブスター、最高に美味しかった~ エビ、ロブスター、イカ、カニ。大満足。昼間の女子供にも食べさせてやりたい

 

        ☆モザンビーク・・・

 旧ポルトガル植民地であり、1964年から独立戦争を戦い、1975年に独立を達成した。独立後も1977年から1992年まで内戦が続いた。

 内戦終結後は好調な経済成長を続ける反面、HIV/AIDSの蔓延が問題となっている。

 ポルトガル語諸国共同体ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国である。隣接国が全て英語圏の国家であるため、1995年からイギリス連邦に加盟している。

 この地域には約300万年前から人類が居住し生活していた。

この国は国民の70%が貧困ライン以下で、世界で最も貧しい国の一つであるといわれており、失業率も54%に達している。

   ☆リチンガ地方都市)→ナンプラモザンビーク第3の都市)

                リチンガ空港                案内プレート

     モザンピークの飛行機      リチンガ空港遠景         ナンプラ空港

    
   ☆ナンプラ

 首都マプトベイラ に次ぐモザンビーク第3の都市であり、北部の中心都市である。

 標高415mの高原上にあり、海岸にある
モザンビーク島と内陸のマラウィブランタイヤを結ぶ鉄道が通っており、周辺の農産物・畜産物の集散地となっている。

 人口47万人。

 ←旧市街(世界文化遺産)

 

       路地で即席販売         先ずはランチ    お子様ランチ風、ビールはうまい

 

         女子学生             学校 学校の校舎の壁は大統領選挙のポスターで一杯

                商魂たくましい            モザンピーク靴流通センター

   ☆モザンピーク軍事学校 

          写真は独立時の初代大統領                今は博物館の様

    ☆カテドラル 

    ナンプラのカテドラル   内部の宗教画は暗いイメージ      キリスト教とは思えない絵

 

    ☆田園地帯をモザンピーク島目指して 

         道路脇のカシューナッツの木      カシューナッツの

 カシューナッツ

 中南米原産のウルシ科の常緑高木。その種子はカシューナッツと呼ばれ、食用とされる。

 原産地のブラジルから、世界各地のある程度の雨量のある熱帯、亜熱帯地域に広がっており、著名な生産国は30を超える。

 カシューナッツは、その歯ごたえと濃厚な食感が好まれる上、その約50〜70%を占める脂肪分に加え、炭水化物やタンパク質、ビタミンB1をはじめとするビタミン類、カリウム・リン・亜鉛などのミネラルと、5大栄養素を豊富に含むことから、人気のある食材となっている。

 近年では従来の発展途上国家庭の富裕化・食生活改善傾向にともなって消費ニーズが向上し、特に高級品とされる色が均一で白めのものは価格が恒常的に漸増傾向にある。

木炭は燃料源 中国が大規模建築中 この辺に資源があるのでしょう

 

 

 モザンピークのホテルと国内線で、JICAから委託されているコンサルタント企業の職員と話をする機会があった。以下は抜粋である。

 モザンピークに派遣されて3年になり、我々の会社は現在ジャガイモ作りを国内で指導しています。政府の職員1人と自分達3人がペアになり、国内でジャガイモ作りのプロジェクト作りをし、リーダーの養成をしていますが、なかなかリーダーが育ってくれません。土地柄か意欲にかけている人たちが多く、発奮させるのが大変です。

 3人1組で何組かに分けて活動しています。アパートを借り、食事も自分たちで作り、洗濯も自分で行い、日本には何度も帰れません、子供たちも可哀想です。うら若き女性スタッフも一人おり、溌剌とした輝いた目が印象的であった。

 傍らの男性に聞くと、女性の方がこの様な劣悪な国で活動するには精神力も体力もあり強いですよ。男の方が負けます。

 モザンピークは海産物がたくさん獲れますが、殆どは輸出され、国民や私たちには高価で食べられません。食材は日本から持参したインスタント・カレーや味噌汁と御飯が多いです。この生活は定年まで続くと思います。

 頭が下がる思いで聞き入っていた。そして次の山本五十六の言葉を思い出した。

       人を動かすには・・・

   やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、

   ほめてやらねば、人は動かじ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 方、ODAの若い職員は現在国の給水設備を中心として活動しているという。

       JICA 独立行政法人国際協力機構

   JICAの使命

 開発途上国の貧困層は、経済危機や紛争、災害などの影響に脆弱で、貧困が悪化するリスクにさらされています。また、貧富の格差の拡大は、社会の不安定要因になっています。人々が貧困から抜け出し、健康で文化的な生活を営めるようになることは途上国の発展のみならず、国際社会の安定にも不可欠です。貧困削減のためには、貧困層に配慮した公正な成長を通じた雇用機会の拡大や教育・保健などの公共サービスの強化が必要です。新JICAは、途上国の人材育成・能力開発、政策・制度の改善、社会・経済インフラの整備を支援し、公正な成長とそれを通じた持続的な貧困削減を図ります。

代表的なプロジェクト

モザンビークで実施中の(または実施した)代表的なプロジェクトの概要をご覧頂けます。
(※技:技術協力プロジェクト、科技:科学技術協力、有:有償資金協力事業、無:無償資金協力事業)

保健医療

水資源・防災

運輸交通

資源・エネルギー

民間セクター開発

農業開発/農村開発

    モザンピーク島に近づくと、海が近いのか塩田が現れる                  海水を引いて来る

 

 

    ☆モザンビーク島 (世界遺産)

 約14000人が住んでいる島で、かつてポルトガルの植民地だったときにはモザンビークの中心的な都市として機能していた。

 1498年にヴァスコ・ダ・ガマが到達するよりもずっと前から、ここはアラブ人の港であり、造船所でもあった。

 アフリカ中の黄金や象牙、香辛料、黒人奴隷が集められ取引されていた。 ヨーロッパとアジアを結ぶ要所であったこの島は、中継貿易港してだけではなく、キリスト教の伝道拠点ともなっていた。

モザンピーク島

モザンピーク島への橋は長さ3km

 

           長さ3km 一車線ゆえ、対向車が見えると待避所へ   何度も交差するので時間がかかる

 

   ☆ホテル 

     海辺の数少ないホテルへ     ホテル名は「オムヒピィティ」
     舌を噛みそうな名前
   お子様ランチの様な今夜の夕餉

 

   ☆モザンピークの島・・・ 

        モザンピーク海峡、海はキレイ  アフリカのカラスの鳴き声は、やはり カァ~・カァ~ 同じでした

             しかし、ツートン・カラー    アフリカのカラスは御洒落、ファッショナブルでした

  ネコは? ワンワンと鳴いた! ウソ        鶏もいた。鳴き声は同じ   犬は棒に当たるまで舌を向いて歩く

 

     モザンピーク島地図、左下が3kmの橋               現地の地図

          クルーズ船    バスコ・ダ・ガマ像      聖パウロ宮殿(博物館)

 

      博物館看板    博物館内部、大砲の弾        ポルトガルの総督の乗物

 

        サン・セバスティアン要塞

        サン・セバスティアン要塞

 1991年に世界遺産に認定されたモザンビーク島には,16世紀に入植したポルトガル人の手によって建造された要塞,聖堂,宮殿等の建造物が残っている。

 残存する建造物の中でも,島の北東部に位置し,1558年から1620年にかけて建造されたサン・セバスチャン砦(高さ12m,幅780m)は,サブ・サハラ・アフリカの植民地時代の建造物として重要な価値を有している。

       今は壁だけが残る     あそこから大砲をうつ             屋上

 

   ☆モザンピーク島一周クルーズ

8     
      8人乗り小型船           要塞を後に         地元の悪ガキ

        遠くにゴア島、これも要塞             3kmの橋が見えてきた

        2~3mの下の海底は透明                              橋の下を通過

           民家      クルーズ船で遊ぶ現地の若者        海で泳ぐ若者たち

 

       ☆今夜の晩餐

  ビールは今や世界各国美味い        今夜はステーキ? シンプルだね~

 

聖アントニオ教会、昔は10以上教会があったが今は1つ、
イスラム化しモスクはたくさん、島の住民95%がイスラム教

      教会を枕に昼寝、さぞいい~夢を見ているでしょう

 

  公共の建物に大統領選挙のポスターがビッシリ    現職、汚職しそう~  挑戦者、俺も負けずに袖の下~

 

   世界遺産のマーク(上)     モスク、住民14,000人の95%がイスラム教

 

       島のコンビニ!        洗濯物は外     貧民街はトタンの壁と屋根

 

                      市場            美味しくなさそうなトマト

 

      ヒンズー教寺院          寺院の入り口          寺院内部

 

    ☆アフリカ黒人のエネルギー 

 モザンピーク島に2泊もした。1泊にしておけばよかったと悔やんだ。

 二日目の昼下がり、ホテルの隣の公園らしき所から大音響が聞こえてきた。スピーカはこれ以上は出ないだろう程のボリュームである。ホテルの部屋の窓は勿論、壁まで揺れている。

 今日は何年かに一度の有名なお祭りですから、どうか我慢して下さいとホテルが言っているそうだ。思わず仲間は目配せした。何度かアフリカの催事で、ホテルで眠られなかった事をそれぞれが思い出していたのだ。今日は夜半まで覚悟をせねば!

 しかし、アフリカは最近怖い、イスラム過激派がいたならば会場の隣がホテルだ。しかも塀は低いし、階段で部屋の廊下までたやすく来れる。おまけにわたしの部屋は端で会場に一番近い。

 だが、ここはイスラム教信者が95%だ、酒は飲まないだろうから、暴れる事は無いだろうと少し安心する。だが、最近のイスラム教徒は隠れて酒を飲んでいる輩が多い。そうだ、今の内にアラーの神にお願いをしておこうと、にわか信者になり済まし、五体投地、アッ、間違えた。これはチベット仏教だった。アラーの神はどっちだ、と右往左往。

 やはり深夜10時になっても終わらないどころか、益々人が増えている。島の人口は14,000人、年寄り・子供を除いてもかなりである。しかも今日の昼間に本島からトラックの荷台に満員の人を乗せた車を、多数見ている。島はもう飽和状態である。

 耳栓をして寝た。しかし、突然耳をつんざくような大音響で目が覚めた。部屋が襲われたか!

 違った、寝返りをして耳栓が片方外れていた。まだ深夜2時である。壁も窓ガラスも揺れている。すさまじい。
 すると、ホテルの庭で雄鶏が鳴いているではないか、そして犬も音楽に合わせてワォ~・ワォ~と鳴いている。ネコもカラスも合唱である。

 ひょんなことから昔、山小屋で泊まった時の事を思い出した。
 一列に枕を並べて寝るのだがうるさくて寝られない。山小屋のBGMがうるさいのだ。BGMの本日の出し物は「交響曲第五番、変ロ長調組曲、夢遊病者の戯言」イビキ、寝言、歌、徘徊、壁タタキ、オナラ、何でもあり。BGMの正体は登山者、女も男も同じである。

 ようやく朝が来て起きた。いつもの雄鶏が鳴いていないではないか。犬も猫もカラスも全く見当たらない。多分寝不足で本日は休んだのであろう。

 それにしてもアフリカの黒人パワーはすごい! 一晩中騒いでいたのである。

 あさ、朝食の時のメンバーは無口であった。目が充血していた。

 でも襲われなくて良かった。まだ、ホテルの界隈では若者は車を乗り回している。大音響の音楽を鳴らしながら・・・  早く島から脱出しょう。お願いだから!!

 

         祭りの会場   戦いすんで、やがて夜が明けて・・・     朝になり出店は閑散

      ツワモノどもの夢の後、ゴミだけが残る       ようやくソージが終ったわ、ヤレヤレ!

        街の道路はゴミだらけ、祭りだからしょうがない       ホテルの前の道路はようやく綺麗に

 

    ☆ナンプラ → 首都マプト 

              飛行機で2時間      美味しい魚料理、久し振りの食事をした気分

 

          首都マプト

 天然の良港で、モザンビーク最大の近代的な都市である。植民地時代のポルトガル風建物も多く残っている。

 マプト港からの主な輸出品目は、石炭木綿砂糖クロムサイザル麻コプラ、機械類である。また大きなアルミニウム精錬プラントモーザル がある。

         マプト市内  人口188万人     マプト市内   天然の良港をもつ

  ☆ホテル・ホリディ・イン

  今回、ようやく良いホテルに泊まる  カウンター・バーで美味しい生ビール     レストランもメニューが豊富

           インド洋から登る朝日           久し振りの美味しい朝食

 

  首都 マプト市内観光 

   ☆マプト駅

    マプト駅はエッフェルが設計         当時の汽車         当時の汽車

          マプト空港      大聖堂            市庁舎

 

       ☆独立の父・初代大統領サモラ・マシェル

 独立の父、初代大統領サモラ・マシェル像         飛行機事故で亡くなった初代大統領

    
      ☆男女の仲は分かりません!

 マンデラ南アフリカ元大統領と、3番目の妻と
なったサモラ・マシェル元モザンピーク大統領
夫人のグラサ・マシェル

 マンデラ氏の3度目の奥さんは、グラサ・マシェル夫人。彼女はモザンビーク初代大統領でサモラ・マシェルの未亡人だったのである。

 モザンビークの元初代大統領婦人であり、1998年、当時南アフリカの大統領であったネルソン・マンデラと結婚したわけだから、異なるふたつの国のファーストレディになった唯一の人である。

 この事だけではなく、話はもっとややこしくて。。。

 彼女の元夫のモザンビークの初代大統領は、飛行機の墜落事故で亡くなっている。そして、それは暗殺の可能性が高いと言われている。
それも南アフリカ政府がやったのではないかと。。。疑惑が濃厚。

 その原因と言うと。モザンピーク初代大統領はソ連の社会主義を理想として国を牽引したが、南アフリカは反共主義を押し出しており対立することになり、西側・東側の対立が高じて暗殺されたのではないかと言われている。

 それにしてもモザンピークの大統領夫人が、12年後と言えど疑いが残るマンデラ大統領とお互い再婚するとは・・・

 


  ☆博物館

            国立自然史博物館                    看板

          展示が素晴らしい博物館                 リアルな展示

          シマウマが可哀想~               原寸大の展示

    世界で唯一、象の胎児の成長過程の標本がある博物館         象の胎児の成長過程の標本

                         かなり見応えのある博物館

 

   ☆ノサ・セニョーラ要塞 

          ポルトガル植民地時代の要塞                 大砲がズラリ

 

             ☆中央市場

              マプトの台所
         ナッツ類          野菜コーナー           唐辛子

     日本にも輸出されるエビ           広い市場 アフリカ人は毛が縮れるので、カツラが必須

 

   ☆モザンピーク → スワジランドへ 

             マプト校外の宣伝              警官! 袖の下か?

             真面目に農作業                    生徒達

                   ミニ・コンビニ             郊外は焼き畑農業が多い

                  
           立派で大きな養鶏場              愛想良く手を振る女子学生

  

        ☆略史

   

年月

略史
1489年 ポルトガル人到達
1544年 ポルトガルの貿易商人ロレンソ・マルケスが現在のマプトに貿易基地を設け植民地活動本格化
1629年 ポルトガルの支配権確立
1900年 反ポルトガル蜂起続発
1962年 モザンビーク解放戦線(FRELIMO,現政府の母体)結成
1975年6月25日 独立(マシェル初代大統領)
1986年10月19日 マシェル大統領死去、シサノ大統領就任(11月6日)
1992年10月4日 モザンビーク包括和平協定署名
1994年10月 大統領・国民議会選挙
1994年12月 シサノ大統領就任
1999年12月 大統領・国民議会選挙
2004年12月 大統領・国民議会選挙
2005年2月 ゲブーザ大統領就任
2009年10月 大統領・国民議会選挙、州議会議員選挙、ゲブーザ大統領再選。

      ☆アフリカ8カ国一覧 

国名

面積

人口

首都(人口)

民族

言語

宗主国

宗教

産業

識字率

平均寿命

ウガンダ

本州と同じ

3,300万人

カンパラ
(人口142万人)

原住民族

英語、スワヒリ語、ルガンダ語

イギリス

キリスト教60%、伝統宗教30%、イスラム教10%

鮮魚、コーヒー、紅茶、綿花、タバコ

67%

58.6才

ルワンダ

四国の1.4倍

1,000万人

キガリ
(人口33万人)

国民の84%フツ、15%がツチ

キニアルワンダ語、英語、仏語

ベルギー

カトリック57%、プロテスタント26%

コーヒー、茶

65.3%

63.5才

ブルンジ

四国の1.5倍

850万人

ブジュンブラ
(人口23万人)

フツ族90%、ツチ族10%

仏語、キルンジ語

ベルギー 

カトリック65%、プロテスタント10%、伝統宗教23%

農業(コーヒー、茶) 

65.9%

53.6才

マラウィ

北海道+九州

1,526万人

リロングウェ
(人口65万人)

バンツー系

チェワ語、英語

イギリス

キリスト教75%

タバコ、紅茶、砂糖、綿花、コーヒー

72.8%

47.0才

モザンピーク

日本の約2倍

2,289万人

マプト
(人口188万人)

マクア・ロムウェ族など43部族

ポルトガル語

ポルトガル

キリスト教(41%)、イスラム(17.8%)、原始宗教

農業、漁業

54.0%

49.8才

スワジランド

四国と同じ

117万人 

ムババネ
(95万人)

スワジ族、ズールー族、トンガ族

 英語、シスワティ語

イギリス

原始宗教、キリスト教

濃縮清涼飲料、砂糖、パルプ、柑橘類 

85.6%

42.0才

レソト

九州の1/7

200万人

マセル
(人口18万人)

バソト族

英語、ソト語

イギリス

キリスト教

農業、牧畜

女性90.3%。
男性71.3%

48.8才

南アフリカ

日本の3.2倍

5,119万人

プレトリア
(人口52万人)

黒人、白人、カラード、アジア系

英語、アフリカーンス語、計11が公用語

イギリス

キリスト教、イスラム教

金は世界の産出量の半分を占める

89.0%

56.1才

                  ☆アフリカはかって殆どがヨーロッパの植民地

1912年の植民地

 旅を終えて・・・

 貧しさだけが印象に残ったモザンピークであった。アフリカは特に独立の後は内戦が続くために国力の弱い国が多い。

 たとえ政治体制が落ち着いても、独裁や汚職・腐敗が続き、国民の生活は良くならないのが普通である。しかも資源がある国は中国が独裁者と提携して、その腐敗はよけいに大となる。目に見えるようである。

 日本はメンタルな支援に重点を置いて、ODAやJICAが活動しているが、発展途上国の多くの独裁者は良いとこどりばかりしているようだ。抜け目がない。

 だが弱い国民は、日本の中古車の良さを知っており、すこぶる評判が良い。
 だからわれわれ日本人を見ると、現地人は「ニーハオー」と中国人と勘違いして挨拶してくる。

 その場合、私は必ず返事する。「トヨタ、ニッサン、ホンダ・・・」 するとニコニコの顔で握手を求めて来る。フレンドリーな国際交流である。

                                       おわり

 

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