リヒテンシュタイン紀行
リヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツから、標高400mに建つファドゥーツ城を見る |
旅の初めに・・・ 2014年11月、リヒテンシュタインのミニ国家の旅を計画する。 リヒテンシュタインの元首は、元オーストリア・ハプスブルク家の家臣で、ヨーロッパの君主のなかで所有資産が最大であるという情報を得ていたので、どのような国なのか大変興味があった。 しかも別荘を得るがごとく国を購入したという。そのノウハウは? 好奇心は募る。 |
スイスとオーストリアに囲まれたミニ国家 |
ヨーロッパには4つのミニ国家がある | スイスの影響が強い |
ワンポイント情報 ・国名 リヒテンシュタイン公国 ・民族 ドイツゲルマン系 |
☆イタリア→フランス→スイス→ リヒテンシュタイン
イタリア旅行後、フランス、スイスを経由して入国 | イタリアはパスタの国、ドライブインには各種 | 子供が喜びそうな各種のパスタが並ぶ |
イタリア・ボローニャ空港 | イタリア半島・サンマリノのミニ国家旅行を終えて | 空港土産物店、小麦の穂がイタリアらしい |
イタリア~フランス:シャルル・ド・ゴール空港経由 | スイス:チューリヒで1泊 |
☆海外旅行の鉄人
Aさんは不思議な人である。要求もしないのにスッチーがオシボリ、飲み物、スナックを何度も持ってくる。隣の私にはくれない。なぜ? | Aさんは世界の国の情勢に詳しく、鉄人である。 |
今回の旅で、旅の鉄人3人とご一緒する事になった。全員80歳以上の方である。 はたして何者か、と思わせる方ばかりである。旅行以上に方々のお話の方に興味が湧く。3人に共通するのは、良く食べる、飲む、足腰が強い、好奇心が若い者より旺盛、頭脳明晰、知識が豊富・・・ 3人の恐るべきパワーをまとめてみた。参考になるでしょう。 Aさん 80歳?位でしょう。奥様を亡くして、日本では一人で住んでいる。現役の後半、心臓手術をして家で殆ど動けず、近所の奥様方がスケジュール表の元、食事他の面倒を見てもらった。 この方に興味を覚えたのは現役の時の仕事である。仕事の内容は世界各国の政府の役人と会い、何かをなす事らしい。ODAでもJIKAでもない。国連職員でもない。商社でもない。民間企業であるという。物を売るわけでも買うわけでもないという。 世界の殆どの国を仕事で、それも一人で行くという。よほどでなければ通訳は付けない。だから英、独、仏、ロシア語、イタリア語、スペイン語等が堪能の様である。今回の旅行でも行き先々5カ国で流暢に話をし、ガイド以上であった。 国際連合加盟国である193ヶ国の内、188カ国を仕事と趣味で既に訪問したという。 さてこの方の職業は何でしょう? 最後まで教えてくれなかった。まだまだ私は未熟者です。 |
Bさん | Cさん |
Cさんのザックの名札にはヒラリーが |
Bさん 80歳位の女性である。上品、語学堪能、話が上手、聞き上手でもある。お酒が大好き・・・ とても80歳とは思えない若さと美貌を兼ね備えている。 昼食、夕食時に隣席になる事が多く、その度に酒のツマミをそっとお裾分けしてくれる優しい人柄である。 でもまだ行ってない国がありますよ、天の国! と言うと、そうね今度一緒に行きましょうよ! と返してくる。 結局、お若い時の活躍や個人情報は聞けずじまいであった。 まだまだ私は未熟者です。 Cさん 米寿であるという。そう88歳だ。カメラとビデオを引っ提げて大活躍である。そして帰国するとパソコンで編集して、日本で待っているフアンに配るという。 食べる、飲む(昼・夜)、足腰強い、山男の私より歩くのが早い、朝も早くから散歩し写真撮影に忙しい。耳も良い、目も良い、歯も全部ある、髪の毛 もある、お金もありそう、御洒落だ。話しぶりからかなりの見識をお持ちのようだ。 控えめながらただ一つこのお爺ちゃんの自慢は、登山家のヒラリーとエベレストの5200mのベースキャンプで握手した事である。2005年だから79歳の時である。現在でも海外遠征登山をしているようだ。そう、三浦雄一郎(82歳)より年長なのだ。 エドモンド・ヒラリーは、1953年5月シェルパのテンジン・ノルゲイと人類初となるエベレスト山頂到達に成功した有名人である。この時、ヒラリーは息子のエベレスト挑戦で付き添ってきたという。息子は残念ながらこの時登頂は出来なかったらしい。 重ねるが、お爺ちゃんは山好きだ。何度も海外の山に行っている。だから旅行中のザックに名札が付いているが、ヒラリーと一緒に写した写真が自慢なのである。 この御三人、まだまだ元気で、旅は続くであろう。 人生を生き抜く、そんな代表例を教えていただいた気がした。心からエールを送りたい。 |
☆スイス料理 (チューリッヒ)
スイスの夕食、前菜は壺の中にオニオンスープ、チーズを溶かし具が沢山、その上にパンをのせてある。大変美味、これでお腹一杯! | スイスはドイツ語圏、ドイツと言えばソーセージとポテト、メイン料理はその代表。 味はシンプル・ザ・ベスト! |
デザートはアイスクリーム、味は万国共通? |
☆スイスの朝、お散歩!
チューリッヒの街、ホテル界隈を散歩、11月です。 | スイスは国中が美観を大切にする | 紅葉真っ盛り |
民家前、古新聞の集配日、日本と同じです | 緑と赤が印象的 | 日本にもありそうな |
スイスの上空は綺麗、北京は羨ましいでしょう | チューリッヒは空港の街、飛行機が飛びたつ | スイス国旗は平和の象徴、このマークを見ると安心 |
☆スイス → リヒテンシュタイン
チューリッヒから高速道路を車で移動 | チューリッヒ湖 | ヴァレン湖 |
郊外、秋だが緑が濃い、山には雪がチラホラ | 車中で予備知識 | 郊外、小麦畑であろうか |
アルプスの山並みが迫る |
同じ景色が広がる | 古城とアルプスの白い頂きが美しい |
リヒテンシュタインの首都、Vaduz(ファドゥーツ)の文字が最下段に | これから向かう高原リゾート村「マルブン」が中腹に見える |
☆リヒテンシュタイン:ファドゥーツ(首都)
☆国境 (ライン川)
橋の真ん中に、スイスとリヒテンシュタインの国旗が見える | 左SCHWEIZはドイツ語でスイス、右がリヒテンシュタイン |
国境の橋の下にはライン川がゆったりと流れる |
動画・・・「ローレライ」 |
☆マルブン (アルプス山中の高原リゾート村)
スキー場ロープウェーはこの時期端境期で休業 | 小高い丘に囲まれる | ロッジやホテルが多数 |
マルブン・・・ スイスとリヒテンシュタインの国境を挟むライン川を渡り、ツヅラ折りの道を1500mの高さまで車で30分を登る。 国境のファドゥーツは標高400mだから、標高差1100mの高原がスイスやオーストリア、リヒテンシュタイン等ヨーロッパの人気スポットである。 見渡すと周囲を、ヨーロッパ・アルプスの山々に囲まれ、空は群青色に輝き、下を見下ろすと今登って来たライン川がゆったりと流れる。このロケーションが良くて人々はここに滞在するのであろう。 |
これから雪が降り、スキー場がオープンする様だ | 大きなホテルも林立 |
レストランの看板 | スイスと光景は同様 |
ライン川の向こうはスイス、こちらがリヒテンシュタイン。 絵になる光景 |
遠くにアルプスの山々を眺めながら、首都ファドゥーツの中心地は右へ | ロシア正教会もある |
☆リヒテンシュタインとは・・・
非武装永世中立国であり、軍事・外交をスイスが代行している。警察官は70人ほどいる。また通貨もスイス・フランを使用しており、郵便・電話など生活の様々な面でスイスと共通である。 国境を接する全ての国が内陸国である「二重内陸国」(海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない)である。 日本の小豆島とほぼ同じである。世界で6番目に小さい国。 |
☆ファドゥーツ城
ファドゥーツ城は、リヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツにある城である。 リヒテンシュタイン公の官邸として利用されている。首都の名を冠するこの城は、近隣の丘の上から眺めることができる。 12世紀頃の建設とみられる。 リヒテンシュタイン家はファドゥーツの伯爵の地位を購入した1712年に城を取得した。 城にはリヒテンシュタイン家が居住しているため、城内の一般公開はされていないが、年一度の国民招待があり殆どの国民が見学している。 |
ファドゥーツの街から120mの丘の上に城は建つ |
☆侯爵所有のワイン農場
レストランも併設 | ウエルカム |
アルプスの山並みとワイン畑 |
ブドウの時期は今季終了 | 塀に絡まる葡萄の残り、一粒拝借、熟成されとても甘い |
ラベルには「リヒテンシュタイン」の文字が | リヒテンシュタイン侯爵特製のワイン、飛ぶように売れる |
青い空と、白いアルプスの山、スイス航空の飛行機が飛ぶ |
☆ランチ・タイム
首都ファドゥーツのレストラン「アドラー」 | 明るく雰囲気の良い内部 | 濃厚なスープ |
侯爵家のワイン | またもドイツ料理、ソーセージとポテト | デザート |
☆街並み
小奇麗なホテルが並ぶ | メイン通り、15分ぐらいで端から端まで歩けそう |
子供達はこの雪で雪合戦 | 街の名前 | 市庁舎 |
スケートリンク | 街で唯一のリンク |
街の至る所からファドゥーツ城が見える | レストラン街 | 郵便局 |
観光局 | EUはパスポートに印不要、記念に押してくれる | 観光案内 |
博物館 | 政府庁舎 |
国会議事堂のユニークな建物 | 国会議事堂の上にはファドゥーツ城が見える |
☆エピソード
リヒテンシュタインの国章 |
国家「若きライン川の上流に」のメロディーがグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)及びイングランドのもの(神よ女王陛下を守り給え)と全く同じである。 (関連動画参照。なお歌詞は独自)。 動画・・・リヒテンシュタインの国歌 そのため、2003年のEURO2004サッカー予選、リヒテンシュタインで行われた対イングランド戦の試合前の国歌斉唱で、イングランドが英国歌を4回連続で歌ってしまった(この曲は短いので通常2回繰り返して演奏される)。 特にブーイングもなかったらしく、イングランド勢は「なんで同じ曲が二回流れたんだろう?』と不思議に思いながらも、きっちり自国の国歌を繰り返し歌いきったという。 何故か? リヒテンシュタインは小国。当初は侯爵がオーストリア出身ゆえオーストリアとの付き合いが多かったが、第一次大戦でドイツ・オーストリアが敗戦したためリヒテンシュタインは焦った。 戦勝国イギリスの機嫌をとるためにとった行動、それはリヒテンシュタインの国歌をイギリスのメロディを採用する事とした、作詞は独自のものである。 小国は風見鶏でなければ維持出来ないというエピソードである。 その後、リヒテンシュタインはオーストリアからスイスへと全てで提携していった。 |
大聖堂 | マリアとキリストか |
大聖堂内部 | 珍しい木の宗教画 |
切手博物館 | ポスト・ミュージアム |
☆経済
|
リヒテンシュタイン家の莫大な資産に加え、精密機械・切手発行・観光などの産業によって非常に豊かである。
タックスヘイブン(租税回避地)としても知られ、免税目的の外国企業のペーパーカンパニーが集中。人口を超える数の法人企業が登録され、そこから得られる法人税は国全体の収入の40%にも及ぶ。 このために国民には所得税などの直接税がなく、住宅ローンすら無利子でOK。挙句の果てには刑務所すらホテル並みの広さに充実した娯楽、食事はホテルのケータリングという豪華さであるという。ただしこれは優遇しているわけではない。少ない囚人の為に食事の施設を作るよりも外注の方が安いためと言う。 |
ミニ国家は切手が人気 | 侯爵の切手 | 飛行機が無いのに |
昔の郵便配達人 | マニアはまとめて買う |
今や、国家予算の10%を占める切手売上 | 切手がほしくてこの国へ来る人も多い |
☆ファドゥーツ城までのミニ・ハイキング
街の横町から登る | 120mの高度差を20分程度、結構汗をかく | 樹林帯からようやく空が見えてきた |
アルプスの山が見えてきた | 120m下の街並みも見えてきた | 途中、城の見取り図が看板に |
登山道と自動車道路が合流、お城が圧倒的に迫る |
☆リヒテンシュタイン家 (国家元首)
|
リヒテンシュタインの国家元首の地位は代々リヒテンシュタイン家の当主が引き継いでいて、大きな政治的権限を持っており、「ヨーロッパ最後の絶対君主制」といわれている。 リヒテンシュタイン家は元はオーストリアの貴族で、リヒテンシュタイン公国の何倍もの面積の土地をオーストリア領内に保有するなど非常に裕福。 リヒテンシュタイン家はオーストリア・ハプスブルク家の家臣であった。 これだけの大金持ちであるため、リヒテンシュタイン家は国から一切の歳費は受け取らずに、むしろ国の側が国家運営をリヒテンシュタイン家の資産に頼っている(通常は税金や資源などの国の収入でまかなわれる)。 |
二本の幟がはためく | かなりの高さ、昔は要塞だろう | 城の後ろには付属の建物 |
フムフム、なるほど! | 門番が一人。 鉄格子から内部を垣間見る | 中に入りたいな~ |
バッテンは何だ? |
8合目あたりから見る街並み | 人口1,100人が住む町 | 侯爵のワイン畑 |
☆ディナー
レストラン「ガストホフ・アウ」へ | リヒテンシュタインの女 | 本日はまずビールから |
サラダ | メインはカツレツ | デザートのアイス |
☆夜のリヒテンシュタイン
トヨタがありました | ライトアップされたお城 |
☆朝の散歩
寝る前に読んだアルピニスト山野井泰史の本 | ホテル横の小川には鴨が |
一羽が寄って来た | 「遊ぼう」っていうと、「遊ぼう」っていう。 こだまでしょうか |
朝のお城と朝もや |
紅葉に包まれるお城 | 民家の薪ストーブの煙が風情を高める |
動画・・・アルプスとリヒテンシュタイン |
カボチャ |
いろいろのカボチャ | 綺麗です |
ハロウィンか? | カボチャとお城 | 畑にはまだまだある |
昨夜のホテル | B&Bの様なホテル | プールまである |
朝食レストラン | ビュッフェ・スタイル |
ホテルの壁には現在の侯爵夫妻の写真が | 1年に1回、侯爵が国民を招待 |
☆日本人頑張る
街のレストランに寿司、旨そう、だが高そう | 誰が作っているの? 日本人です、と言う | 小樽から来ています、と言う20代の職人男性 |
COOPの前庭にはミニチュアのお城が | 街外れのライン川 |
ライン川に木造の橋、しかも屋根と壁が、珍しい | 人間と馬車専用 | 中程まで行くと、国境が |
☆リヒテンシュタインの世界一企業
HiLtiのホームページ 電動ドリルでは世界一の企業、世界120カ国に拠点をおく。 |
イボクラールビバデント社のホームページ 歯科用の義歯で世界一の企業、世界130カ国に拠点を置く。 |
☆世界の小さい国 ランキング(面積)
国名 |
面積 (単位:km?) |
人口 |
地域 |
特徴 |
1.バチカン市国 |
0.44 |
800人 |
イタリア・ローマの中 | 殆どが聖職者とスイス人衛兵 |
2.モナコ公国 |
1.49 |
36,000人 |
フランス南東部 | 世界的な保養・観光地 |
3.ナウル共和国 |
21 |
10,000人 |
南西太平洋 | 隆起サンゴ礁の小島 |
4.ツバル |
26 |
9,800人 |
南太平洋 | 島の平均高度は2m |
5.サンマリノ共和国 |
61 |
32,000人 | 周囲は全てイタリア | 観光立国 |
6.リヒテンシュタイン |
160 |
35,000人 |
スイスとオーストリアに囲まれている | ヨーロッパの君主の中で所有資産が最大 |
(番外) アンドラ |
470 |
85,000人 | フランスとスペインに挟まれた国家 | フランス大統領とスペインの司教を国家元首とする |
1.バチカン市国 |
2.モナコ公国 |
3.ナウル共和国 |
4.ツバル |
5.サンマリノ共和国 |
6.リヒテンシュタイン |
(番外) アンドラ |
☆略史
1699年 元はオーストリアの貴族、ヨハン=アダム=アンドレアス公(ボヘミア:現在のチェコ)が 1719年 神聖ローマ帝国カール6世が両領に対し自治権を付与,リヒテンシュタイン公国に昇格。 1919年 オーストリアが第1次大戦に敗北、ハプスブルク帝国崩壊。 → リヒテンシュタイン,オーストリア 1921年 憲法制定 1923年 スイスと関税同盟を締結,スイス・フランの導入。 1990年 国際連合加盟 |
旅を終えて・・・ とっても平和な国であった。ミニ国家だが、スイスのミニ版の様でもある。しかし、軍事、外交、郵便、電話などもスイスに依存しているらしいが、それでいてスイスとはそれほど友好的ではないという。 国民気質が違うようである。小国が故にオーストリアについたり、スイスに付いたり、イギリスの国歌に従属して、大国の傘の下に入る事で巧みに時代を乗り越えてきたようだ。 大自然のアルプスに抱かれて、時間がとてもゆったりと流れているようである。ここでは戦争とか、競争とか、争い事が似合わない所である。 お城と侯爵が国民に愛されている事が分かり、微笑ましい限りである。お互いの信頼関係が構築されている事が窺がわれた。住んでみたい国の一つである。 おわり |