スイス山旅紀行
旅の初めに・・・ 2014年6月、スイスの景勝地巡りの旅に出かける。たっぷり2週間、登山とトレッキング中心の旅であるが、合わせてアレッチ氷河の最初、アイガー周辺の氷河の始まりを見て、そしてそのアレッチ氷河の末端を見るのも計画に入っている。 自主企画で旧来の山仲間4人である。ホテルだけは予約をし、かなり余裕のある計画で途中変更あり、相談しながらの気分次第の山旅になる。 メンバー全員が、スイスやヨーロッパ・アルプスを何度も経験しているので、不安は無い。が、あるとするならば、飲み過ぎ、二日酔いであろう。その場合は温泉三昧・・・とそれぞれ軟弱に考えての出発となる。 |
主なルート景勝地は赤枠の8か所である |
☆出発
背には大ザック、前に小ザックのバックパッカー | 各地から旨い物持参、味噌汁は毎度必携 | 前泊で前夜祭、朝付きで5,400円、安いね〜 |
ホテルの大浴場で汗を流し・・・ | ホテル併設の居酒屋で、延々と前夜祭は続く |
☆用意万端、成田へ。 されど飛行機は遅延3 時間
午前中から迎酒か! | 嫌いじゃないからと先ず乾杯! | そんなに栄養つけてどうするのッ |
スイスに行くからにゃ、スイス航空です | 蕎麦が美味しい!! | ワイン、ビール・・・アテンダントのお姉さんから、飲み過ぎに御注意をと・・・了解。 |
☆到着
チューリヒ 空港からチューリヒ中央駅まで列車で30分 | 駅前には趣ある教会が | 駅から歩いて3分のホテル |
翌日、チューリヒ中央駅へ | 窓口で「スイスパス」に日付印を押してもらう | ケーブルカー等以外の乗物は、スイスパスで全てOK |
初日の訪問地、アイガー等「ユングフラウ三山」を見るためラウターブルンネンに向かう |
駅構内の巨大な時間表 | 先ずは首都のベルンへ |
駅構内の天井はモク(木)、不思議と気が休まる |
世界に名だたるスイスの鉄道。観光列車、氷河急行、パノラマ列車、山岳列車、もちろん普通列車もある。そのサービスは素晴らしい |
☆ベルナー・オーバーラント (世界で屈指の景勝地)
☆ユングフラウ三山
☆インターラーケン
ベルナー・オーバーラントの中央に位置し、世界中から観光客とスキーヤーが集まる。 12世紀に修道院とともにつくられ、19世紀の英国人を中心とした山岳観光ブームで発展した有名な町。 “湖の間”という地名の通り、トゥーン湖とブリエンツ湖に挟まれており、ユングフラウ地方への玄関口として世界的に広く知られている。 |
☆シュテヘルベルク
氷河によって形成されたU字谷の典型的な例として有名なラウターブルンネンの谷。 その谷底に位置するシュテッヘルベルクから、ミューレンやシルトホルンへ結ぶケーブル(ロープウェイ)が発着。 すぐそばには、美しいミューレンバッハの滝が見えている。 アルメントフーベル(標高1,907m)から、シュテッヘルベルク(標高922m)はおよそ1,000mの高低差。 |
☆ラウターブルンネンへ
ラウターブルンネンはスイスのベルン州に属する基礎自治体 。 氷河に削られてできたU字谷の底に位置する村。 インターラーケンからユングフラウヨッホへと向かう際の中継地点となる。 |
登山列車は歯車付き | ラウターブルネン・ミューレン鉄道(BLM)はスイスのベルナー地区を代表する山岳鉄道の 一つ |
左のヴェンゲンは標高1,274m、右のミューレンは1,650m、両方の山に囲まれた谷シュテヘルベルクは922m | ラウターブルンネン駅(標高795m) | 更にミューレン(1,650m)へ登山列車は登る。窓から見る景色は絶景 |
☆ミューレン方面
ラウターブルンネン谷にそそりたつ崖の上に鳥の巣のようにあるかわいい山村。 ガソリン車乗り入れ禁止のリゾートで、澄んだ空気とアルプスの素朴な雰囲気が保たれている。 また一帯は高山植物の宝庫で夏には美しい花畑が広がっている。 標高1,650m。 |
左からアイガー(3,970m)が見えてくる | 真ん中にメンヒ(4,099m) | 右にはユングフラウ(4,158m)、三角錐が印象的 |
☆氷河が削ったU字谷
ミューレンの丘(右側)から、谷底シュテヘルベルクは高低差800m、左側はユングフラウ三山 このU字谷は氷河によって削られた |
ラウターブルンネンからの途中駅グリュッチアルプ | ヴィンターエッグ駅 | ミューレン駅 |
ミューレンの村からユングフラウ三山を見る |
高山植物の宝庫 | 小さな村にホテルが沢山 | 観光客の足が止まるほど、花が多い |
雲がやや切れて全容が見えてきた |
ユングフラウ三山の伝説が面白い。名前の通りアイガーは現地語で男、メンヒは牧師、ユングフラウは乙女、処女の意味 |
アイガー北壁は、高さ1,800mの岩壁 | グランドジョラスの北壁、マッターホルン北壁とともにアルプスの三大北壁と呼ばれている |
ミューレンにある温泉施設 | ミューレンから更に上のアルメントフーベルへ | ホテルは統一された色調 |
☆アルメントフーベル
アルメントフーベルは、スイス・ベルナーオーバーラント地方にある展望台。 標高は1907m。麓の村、ミューレンからアルメントフーベル・ケーブルカーで上がることができる。。ケーブル駅にはテラス席付きのレストラン、アルメントフーベル・パノラマレストランや高山植物園がある。 アルメントフーベルは、ミューレン地域におけるハイキングのスタート地点にもなっている。 |
スイス特有の飾り物 | 道しるべは完ぺき | ケーブルカーでわずか4分 |
今回の企画者の一人、教授は語学堪能 | 紅一点、妙さんは水彩画で三山をたった10分で仕上げる |
温泉教授と飲んだくれの私はひたすらビール、うまい! | ランチはスパゲティ、一皿2人前はある、どうしてスイスはいつも大盛りなんだ? |
ランチの後は陽気に誘われ高山植物エリアを回る | 2時間のハイキングは常にユングフラウ三山を見て | 花の説明は日本語も併記、多いんですね、日本人 |
素晴らしい眺め! |
花と山が競っているような! |
もう、まいった! |
豆の様な | 見て! と言っているような | まあるい花 |
ムム〜ツ! | 犬用のウンチ袋 | ルピナス |
☆ミューレンの村
村の個人の家も、環境美化に懸命 | 歴史のある家並み |
家並みの向こうは、U字谷の高低差800mの絶壁 |
☆再び、ラウターブルンネン
このスロープは? 多分ネコの出入階段でしょう | ラウターブルンネンの街 | 大きな石ころでも、モニュメントになるのですな〜 |
そう、スイスは時計の国 | 山には必需品のナイフ |
☆スイスと時計産業
スイスは世界最大の時計生産国である。 高級時計は300以上の部品で作られている。繊細さを必要とする時計製造にはスイス人の才能と根気が結集されている。時計の販売価格のうち材料費が占める割合はごく一部でほとんどが人件費である。 「スイス人の完璧さ」はスイスのあらゆるところに見受けられる。古い建築物はきれいに修復され、荒れ果てた家など殆ど見当たらない。車は磨き上げられ錆ひとつない。スイスを訪れた人はごみひとつ落ちていないその清潔さに感心する。 |
スイスの時計産業が発展した要因 ・16世紀、宗教革命でヨーロッパの優秀な時計職人がスイスに逃れてきた。 |
街の背後に巨大な滝が流れ落ちる | 明日ヴェンゲン、クライネ・シャイデックに向かう登山電車と滝 |
本日のホテル本館は満室で、COOPの隣の支店へ | ここは便利、酒が無くなりやすぐ行ける |
☆クライネ・シャイデック → ユングラフ三山
スイス観光のハイライト、ユングフラウ三山の眺望とユングフラウヨッホへの登山鉄道の旅である |
ラウターブルンネンから登山鉄道でクライネ・シャイデックに向かう | スイスは犬と山に入るのがポピュラー、躾は驚くほどされている |
ラウターブルンネンから勾配のきつい山を電車は走り出す。高低差1300mのクライネ・シャイデックへ |
ラウターブルンネンは谷底になってきた |
U字谷、対面の山はミューレン |
☆ヴェンゲン
ラウターブルンネン谷を見下ろすテラス状になった山の台地にあるヴェンゲンは、19世紀の山岳観光ブームで多くの人が押し寄せたことから、ホテルやシャレーが集まるリゾートとして発展してきた。 ミューレンと同じくガソリン車乗り入れ禁止リゾートなので、静かなアルプスの山里の雰囲気を満喫できる。 ユングフラウヨッホへの起点となるクライネシャイデックまでは登山鉄道で、人気の展望台メンリッヒェンへはケーブルに乗ってダイレクトに結ぶ。 |
ヴェンゲン駅(標高1,274m) | スイスの 犬は幸せそう | ヴェンゲン・アルプ駅(1,873m) |
☆クライネ・シャイデック
ユングフラウ登山に際して、ラウターブルンネン経由の西回り・グリンデルヴァルト経由の東回りルートの登山列車が合流する「小さな峠」(クライネ・シャイデックの語源)。 ユングフラウヨッホを目指すユングフラウ鉄道の駅があり、線路はアイガー山、メンヒ山の内部を通ってユングフラウの途中まで登る。 最高難度とされるアイガー山の北壁登頂を行う際には、そのサポート隊がこの峠に滞在する。 標高2,061m。 |
東西の交流点、ここがユングラフ鉄道の基点 |
アイガー | クライネ・シャイデックはハイキングに人気 | クライネ・シャイデックから出て行くユングフラウ鉄道 |
クライネ・シャイデック駅 | クライネ・シャイデックに、ラウターブルンネンから到着した電車 |
クライネ・シャイデックから望遠で撮影「ユングフラウ・ヨッホ・トップ・オブ・ヨーロッパ」(3,454m) |
☆ユングフラウ鉄道
ユングフラウ鉄道は、19世紀末から20世紀初頭にかけて建設された。 全長9.3キロメートル、ラック式鉄道という2本のレールの中央に歯型のレールを敷設し、車両の床下に設置された歯車とかみ合わせることで急勾配を登り下りする。 始発のクライネ・シャイデック駅を出発すると、アイガー、メンヒ両山の山中をトンネルで通過し、ユングフラウの途中にある終点ユングフラウヨッホ駅まで登る。 年間70万人の観光客を運んでいる |
動画・・・アイガーとユングフラウ三山 |
ユングフラウ鉄道でユングフラウ・ヨッホへ | 外を走るのはわずか、大半はトンネル | 湖を超えるとアイガーグレッチャー駅、そこからはトンネル |
アイガーグレッチャー駅(2,320m) ここからはトンネル | アイガーヴァント駅、多くの登山家の命を奪った「アイガー北壁」がここから見る事が出来る |
アイガー北壁 予告編・・・・・・衝撃の実話 (←クリック) |
アイガー北壁の悲劇 |
アイスメーア駅(3,160m) 数分間停車、小窓から眺められる | アイスメーア駅から見る北壁、救助用のロープ有り |
アイスメーア駅から見る氷河 | アイスメーア駅から見る遠景 | アイスメーア駅の真下の氷河 |
ユングフラウ・ヨッホ | ユングフラウ・ヨッホ駅(3,454m) |
テラス | レストラン等、設備は完備 |
スフィンクスからテラスを見る |
スフィンクス(3,571m) | 展望テラスの出入り口 | 展望テラスの氷河を歩く |
展望テラス | 除雪車まで完備 |
はるか下方を見る |
富士山の郵便局と姉妹提携により、日本のポストを設置 | 観光客は、スイスの帽子に人気 |
岸壁に鉄柱、全て鉄筋 | 下を覗くと千尋の谷 |
下方には、先程のユングフラウ鉄道の駅や湖が見える |
ユングフラウ・トップ・オブ・ヨーロッパの看板 | 雪原で、空中ケーブルにトライする女性 | 雪原テラス |
雪原の氷河スキー場 | 雪原散歩 |
アンザイレンで氷河訓練、ユングフラウを登るかな? |
氷河洞窟 | 工事の模様 |
氷河の中を散歩 | 氷の彫刻 | 記念写真場所 |
途中駅アイガーグレッチャから、クライネ・シャイデック間は、2時間の絶好ハイキングで人気 | 左の柱の穴から見ると、アイガーの北壁が良く見える | ハイキングの途中のランチ・タイム |
動画・・・ユングフラウ鉄道 |
高山植物も無数 | クライネ・シャイデック駅前の三角テントの後ろには、新田次郎の墓が |
花畑の真ん中の白い部分が墓 | ユングフラウをこよなく愛した新田次郎、故人の希望による |
☆グリンデルワルト
アイガー北壁とヴェッターホルンを眼前にして、2つの氷河が迫りくるアルプスの村グリンデルワルト。 ユングフラウ地方を観光する拠点として絶大な人気を誇って いる。 |
ワンちゃんは列車に乗るとすかさず御主人の足の下に。観光客にはモテモテ | グリンデルワルトへ |
人口約4,000人の グリンデルワルトは活気がある | 本日のホテルンはメインストリート |
朝食はレストランで、日本からのツアー客も多い | 朝はしっかり栄養を、昼はサンドイッチ1個、夜はオ・サ・ケなので! |
夜はCOOPで、酒のつまみとビール、ワイン、ウイスキー | この日もワインだけでも6本。そう、際限が・・・スイスのワインは旨い |
日本語観光案内所、若いお姉さんが見えました | 庶民の味方COOP。金持ち中国人まで最近は来ている。プアー限定なんだがなあ〜 |
グリンデルワルトにある モンベル | 創立者: 辰野 勇 |
モンベルの創立者も、アイガー北壁の登頂者 日本の登山家で、冒険家。登山用品メーカーの株式会社モンベル(mont-bell)の創立者。 1969年には当時の世界最年少でアイガー北壁の登頂に成功した。 |
牛はスイスにピッタリの動物 | 教会もピッタリ、教会は眺めるものかも |
博物館見学 | 槇 有恒 | 槇 有恒は左から2番目 |
槇 有恒(まき ゆうこう、1894年(明治27年) - 1989年(平成元年))は、日本の登山家。 1956年(昭和31年)、ヒマラヤ山脈の未踏峰の一つであったマナスル遠征隊の隊長となり、槇の指揮する日本隊は、マナスル登頂に世界で初めて成功した。 |
昔のスキー展示 | ロッククライミングの写真 | 館長は友好的 |
☆アンデルマットへ
☆中央アルプスの峠
スーステン峠を見るためにマイリンゲン、アンデルマットへ |
☆グローセシャイデック
スイス中西部、ベルン州、ベルナーオーバーラントにあるグリンデルワルトとマイリンゲンの間にある峠。 標高1961メートル。アイガー、メンヒを望む展望地として知られる。 |
快適なスイスのバス | 標高1961メートルの峠を行く。ガスでアイガーは見えず |
動画・・・スイス、ユニークなバスの警笛 |
シュヴァルツヴァルト・アルプには1軒のホテル | のどかな牧場に牛が多数 |
バスの休憩時間、ホテルでお茶 | スイス、パン事件。隣の客が残したパンを、我々のテーブルに女将さんらしき女性が置いていく。ドイツ語で何やら言うが意味不明。 多分サービスだろうと言う事で、悪いから食べよう。 しかし、帰り際代金をしっかり請求、唖然とする日本人の我々、しっかり者のスイス人女将さん。トホホッ! |
☆マイリンゲン
ブリエンツの東、アルプス地方への入口で交通の要所として栄えた町 。 現在でも山の峠越えルートの拠点として多くのポストバスが発着するポイントである。 美しい滝、氷河、峡谷、そして山々、ワイルドな大自然を存分に堪能できる名所がそろっている。 |
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マイリンゲンの街 |
マイリンゲンの駅 | ランチはピザにビール | スイスらしいビールの絵 |
スイス兵も平和そう | PTTバス | 黄色い車体がトレードマーク、後ろは自転車用 |
PTTバス ポストバス(PTTバス)とは、旅客と郵便物を輸送するバスのこと。 鉄道の通っていない地域を通る路線や、景勝地を走る路線もあり、観光客にも利用されている。国内への観光客誘致のために発行されているスイスパス所持者は、スイス国内で、有効期限内ならパスを提示するだけで利用できる。 |
☆スーステン峠越え
建設されてから60年弱の新しい峠道。マイリンゲンを出発したバスがつづら折りに変わった道をどんどん標高を上げていく。 ティトゥリス山裏側の鋸歯のような岩尾根が大迫力で近づいて来る。 美しい滝、氷河、峡谷、そして山々、ワイルドな大自然をバスが行く、ハラハラするようなカーブの連続。 |
滝の下を通る、何れ滝の上をバスは走る | 急カーブの連続 | マーモットが見え隠れ |
渓谷 | 滝の上をバスは走る | 渓谷に氷河は迫る |
バスは止まった、 故障か? ドライバーは言う。フアイブ・ミニュツ、シャッター、プリーズ!! 最高地点ゆえ写真を撮れと言う |
峠の最高地点、スーステン・パス(峠) 2,224m |
この下から登って来た |
また、この急坂を下るのか! |
☆アンデルマット
ゴッタルド峠、オーバーアルプ峠、フルカ峠の間に位置し、北はドイツ方面、南はイタリア方面と結ぶ交通の要所として古くから栄えた谷間の山村。 今も 南北を結ぶゴッタルド線、東西に横断する氷河特急路線が交差する重要なポイントである。 荘厳な教会や小さな礼拝堂、歴史的な建物やホテルなど、かつての宿場町の風情を残す村は、夏のハイキングや冬のスキーなど1年を通してにぎわっている。
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教会のたたずまいが良い | 交通の要所 | アンデルマットの看板 |
今夜のホテルはかなりの歴史、さすが宿場町 | 冬の燃料は薪 | おなじみで株主です。COOPさん |
さて、今日も野菜はレタスにしょうか、トマトも・・・ |
ワインは売るほど有ります |
こちらの棚にも。 毎日ワインを選ぶ目は、時間をかけて真剣。しかし飲むのは一瞬 |
壁は茶、屋根は焦げ茶。 良いですね〜、風情が | 屋根の上の飾り |
礼拝堂 | 何だろう? |
国旗 | あそこにも | こちらにも 白と赤は日本も同じだが |
スイス26州の旗。熊はベルン州 | 牛はウーリー州 |
これは? | テン場 |
花が綺麗 | 美味しそうだが? |
青空に映えている | 恋人と語り合う場所です |
☆スイス、窓辺の花
スイスの街は、何処へ行っても窓辺に飾れた花が美しい。 これらの花と庭の手入れは、市や町によっては条例で決められているそうだ。 また、庭の手入れを行わなかったために、町当局から警告を受けた人もいると言う。役場から来た手紙には、「貴殿の庭は街の景観を著しく損ねているので、いついつまでに手入れを実施するように。行わない場合は町から庭師を派遣し、罰金およびその費用を請求する」と書かれていたという。 |
ツーリングの御一行様、トヨタ車ではありません | カッコいいドライバー |
スイス人の運転マナー スイスでは車のクラクションを聞いた事がない。また電車も皆無に近いほど鳴らさない。 唯一スーステン峠のジグザグ道路だけはカーブを曲がる時だけ警笛を鳴らした。それもユニークな音である。 ♪ パ〜・プ〜・ぺ〜・ポ〜・プ〜 ♪ スイスは完璧に車ではなく、人間優先である。運転手はニコニコと笑顔で人が通過するのを待っている。非常に気持ちが良いほど徹底している。 町も綺麗であるし、人も優しい、乗物も便利・・・こういう姿勢がスイスの観光業の人気の秘密なのであろう。 |
アンデルマットから今日はツェルマットへ | アンデルマットの駅 | 貧乏ツアーは2等車 |
金持ちは氷河特急、指をくわえてお見送り、そんなに急いで何処へ行く??? | 座席の横のテーブルには地図と駅名が、親切です |
☆ツェルマットへ
名峰マッターホルンを抱くツェルマットはアルプス観光の王道。 環境に配慮したガソリン車乗り入れ禁止のリゾートで、静かな環境と清らかな空気が保たれている。 4000メートル級の名山に取り囲まれており、1年を通じて、雄大なアルプスの山々や氷河を存分に満喫できる所である。 |
途中駅ブリーク | 途中駅フィスプで乗換、ツェルマットへ |
ツェルマットは最終駅 | 列車は渓谷を走る |
マッターホルンやモンテローザの氷河を溶かした白い川 | 氷河が押し寄せて来る |
人気の山と、人気の観光ルート図 |
ツェルマット到着。 標高は1,605mと表示あり。 涼しい | ツェルマット駅 |
ツェルマット駅広場 | 広場には観光用馬車も待機 | 駅前にはCOOPもある。日本人客がワンサといた |
ツェルマットはガソリン車禁止、電気自動車ばかり | タクシーも電気自動車 |
この日は7月1日、通りには人が少ないようだが、シーズンとなるこれからが本番でしょう |
誰もが一度は訪れたいツェルマット。人口は6,000人程度、住民の40%が外国人 |
アルプス観光のメイン通り |
5つ星ホテル | 5つ星ホテルの隣は大きな教会、鐘の音が街中に広がる |
ツェルマットと日本の妙高高原は姉妹都市。 妙高高原と言う名のレストランもある |
京都ツェルマット会 スイスと日本は今年で国交樹立150周年 |
少女を困らせるワンちゃん | 2連泊するホテルは、窓からマッターホルンが見える |
ネズミ返しのある古い家並み |
ここがマッターホルンを撮影するベスト・ポジション |
重い荷物をホテルに置いて、街を散策 |
みそラーメンは今や国際的メニュー? | 教会の隣には博物館 | アイペックスの像で遊ぶ地元の悪ガキ |
子供が乗ると思い出になるでしょう | 「ベガ」の書店は、日本人の西永さんが経営。女性スタッフもいて案内サービスもしてくれる。 |
スイス名物アルプホルン |
動画・・・アルプフオンの音色 |
ベガの日本人女性に紹介された「グランピス」 | 美味しいお気に入りの店とか | ピザもスペアリブも美味しい、ワインもビールも |
スイスと言えばエーデルワイス、テラスにも沢山 | リンドウかな? | ハイキングをするとエーデルワイスは見放題 |
駅前広場にはツアー客がワンサ、このトランクと服装は日本人 | ホテルの送迎車 |
ツェルマット名物、羊の行進。行進の後のお土産は黒豆があちこちに |
☆ロイカーバート (温泉)
ゲンミ峠の麓にあたるロイカーバートは、ローマ時代から峠を行き交う旅人に長く親しまれてきた伝統の温泉地。 ゲーテやモーパッサン、マーク・トゥエイン、アレクサンドル・デュマ、ジュール・ヴェルヌ、パブロ・ピカソ、コナン・ドイルなど多くの著名人も訪れている。 1日約390万リットル湧出する豊富な湯量でアルプス最大規模を誇るスパリゾート。 |
本日は朝から雨、急遽温泉三昧とした | ロイカーバート温泉へ |
迫りくる山の岩壁を望む屋外プール | 屋内 |
打たせ湯 | ジャグジー。 洞窟風呂は熱く、日本の温泉の雰囲気 |
レストランのカウンター | 誘惑には勝てない |
来た、来たツ、カンパ〜イ! | 他の客が食べている人気メニュー、パスタと魚かな?量が多すぎる |
隣の女の子と目があった。お互い意識する、そして目で会話 |
だんだん近付いて来た、別れの時悲しい顔が忘れられない。 |
☆マッターホルン
マッターホルンは、アルプス山脈に属する標高4,478mの山。 マッターホルンという名称は、ドイツ語で牧草地を表す「matt」と、山頂を表す「horn」に由来している。 |
ホテルの窓から、日の出前 | 本日は快晴、ヘルンリ小屋までの登山予定。しかし雪が多い |
動画・・・マッターホルンの眺め |
朝陽があたってきた | だんだん鮮明に。 ホテルの宿泊客が一斉にシャッターを切る音 |
朝陽に輝くマッターホルンとツェルマットの街 | ついにクライマックス! |
ホテルのテラスから見るマッターホルン | 今日はマッターホルン朝食、勝手に命名 |
天気も良し、体調は二日酔いなれどマッターホルンへ | ビュー・ポイントから、私も名カメラマン | スイスの建物の色彩が合います |
マッターホルン・グレーシャー・パラダイス行き、シュヴァルツゼーへ | ロープウエイでシュワルツゼーへ |
下にはハイキング道路が | 牧畜業の農家の家が点在 | シュヴァルツゼーの湖 |
双子峰のドーム:アルプス全体では、モンブラン、モンテ・ローザに次いで第3位、スイス国内でNO1 | マッターホルン・グレーシャー・パラダイスの裏側は氷河のスキー場がある | マッターホルン・グレーシャー・パラダイスまでロープウエイを乗り継いで3,883m、頂上には十字架 |
マッターホルン・グレーシャー・パラダイスの隣には ブライトホルン(4,165m)がそそり立つ |
モンテローザやブライトホルン方面からの、ゴルナーグラート氷河は圧巻 |
☆マッターホルン登山
ヘルンリ小屋の標高は3260m。小屋の入口にはバルコニーとテーブルがあり、裏手には別棟のお手洗いがある。シーズン中、寝室はマッターホルンへの登頂を狙う人々(1日およそ100人)でほぼ予約満杯。 シュヴァルツゼーからは夏季2時間半程度。 |
シュヴァルツゼーからは標高差600mほど、夏は2時間半程度 | ソルベイ小屋(4,000m)は避難小屋 |
☆シュワルツゼー
ツェルマットの村から8人乗りの高速ケーブル「マッターホルン・エクスプレス」に乗って約12分でマッターホルンの麓、シュヴァルツゼーへ。 駅からは迫りくるような雄大なマッターホルンを見ることができる。駅から少し下っていくと、黒い湖という名前の通り深い色をたたえた山上湖、シュヴァルツゼーがある。 ここからはマッターホルン登山の拠点として有名なヘルンリヒュッテへ上るコースや、麓のツェルマットまで下るコースなど絶景ハイキングが楽しめる。 |
標高2,600mのシュヴァルツゼー駅 | シュヴァルツゼー駅近くの、 色彩鮮やかで人気の、ホテル&レストラン |
ヘルンリ・ヒュッテまで2時間10分の表示 | 登山道の上をロープウエイが |
高山植物も多い | いよいよ歩きだす | 湖に映える山々 |
苔の上に花が咲く | 急峻な最初の登り | 七色の花 |
何の小屋? | 小屋の中で羊がたくさん休んでいた |
望遠カメラに映るヘルンリ小屋、雪が多い | 岸壁に鉄梯子 | 岸壁に鉄の階段、下は切れ落ちた谷 |
この岩稜帯を進む、夏ならばわけないが7月初めの積雪はチト辛い |
危険地帯は整備されている | プレートが完備 |
ヨーロッパの女性が一人休憩? ここは中国人はいない | 岸壁を登るメンバー |
所ところ、雪がしっかり張りついている | 頂上は近くに見えるのだが・・・ | 十字架、複雑! |
雪面をトラバース、なだらかならばルンルンだが、急峻ならば緊張 | ケルンが似合うマッターホルン |
何度も何度も雪面が、思いのほか時間がかかる | いよいよ核心部分の雪壁を登る |
延々と続く | 雪面の下はアイスバーン、滑る | 頑張って!と何語かでエール。 そう、リーダーの教授は国際人 |
ヘルンリ小屋が近づいてきた |
アイゼンを日本から持参したが、ここでは不要と、判断ミス、滑る | あと高低差100m程度、これからが雪との戦い。しかし時間切れ |
登山道はこの左側の雪面を登る | ヘルンリ小屋のテラス 3,260m |
ヘルンリ小屋の上から | ソルベイ避難小屋 4,000m | マッターホルン頂上 4,478m |
時間切れで、シュヴァルツゼーのレストランへ戻る | レストランのテラスでマッターホルンを眺めながら | 先ずは乾杯! よくもまあ滑落しませんでした |
動画・・・マッターホルンと周囲の山々 |
この日ヘリコプターは何度も小屋まで、事故か? | レストランのお姉さん、笑顔がすこぶる良い | スタッフでトルコ人の彼(右)は、横浜にいたと言い、寄ってくる。左はシェフ、日本大好きと交流 |
☆サース・フェー
スイス最高峰4000mクラスの山々と雄大な氷河に囲まれた美しい村は “アルプスの真珠”とも呼ばれている。 山岳民族の伝統が息づく素朴な山村の雰囲気も魅力のひとつ。 |
村からは天候が良ければモンテ・ローザやドームが見られる |
ツェルマットからフィスプに戻る手前のスタルデン・サース | スタルデン・サース駅からPTTで深い谷合いの村へ | PTTバスサース・フェー駅に到着、およそ30分 |
サース・フェーの村、山に周囲を囲まれた盆地の様、標高は1800m、涼しい |
駅前の観光案内所 | 本日のホテル、テラスからはミッテルアラリンやドームが良く見える |
夕食は村のレストランへ。隣席にはイタリア人のカップルが美味しいワインを教えてくれる。美男美女 | カップルが、どうしても写真を撮ってくれると言う | ワイン・デカンタで夜が更けるまで |
ホテル前の花 | 下を向いているおくゆかしい花 | 天井を向いている積極的な花 |
おちょぼ口 | 清楚そのもの | 夜のホステスさん |
この村もガソリン車規制、車は駐車場へ | 村の散策、風情満点 | ネズミ返しの家は、その昔穀物置き場 |
アルプスの美味しい水。 スイスは何処でも飲料OK | 日本の国旗があると言う事は、そうです | 今日もCOOP通い、ワイン・ビールをお忘れなく |
アルプスの水が濁流となり村の渓谷へ | この辺は夏になるとヤナギランの群生地、またハイキング中にマーモットが穴から顔を出す |
ケーブルカーでミッテルアラリンへ | サース・フェーで最も高い展望台(3500m)へ | 地下ケーブルで10分、氷河の頂上へ |
途中駅フェルスキン(3,000m)で降りて1時間の氷河歩きでブルタニア小屋へ。アイゼン・ピッケル必携 | 左下は1,000mの谷、強風で止む無く中止 |
氷河の通路を通り地下ケーブル乗り場へ | 地下ケーブル |
ミッテルアラリン駅を降りると、眼下には氷河スキー場 | 除雪車はどのようにして運んだのだろうか? | アラリン・ホルン(4,020m) |
ミッテル・アラリン駅 | ミッテル・アラリン駅の最上階は回転式レストラン | 3,500mによりアルコールは控えましょう |
あの稜線を登山者は歩く | マーモットが多く、いつも人間を監視している |
世界一のアイス・パビリオン、奥行き71m | 氷の厚さ10m、体積500?の氷の洞窟 | 世界最大の氷穴としてギネスブック登録 |
強風で1時間待ち、ようやく下界へ | サービスカ― |
サース・フェーは木彫りの里 | 厄除け? | マーモットでしょう |
おとぎ話に出てきそう | 牛か?な | 隣のお爺さん? |
三角屋根の教会 | マーモットは女性がお好き! |
☆ブリーク
交通の要所として有名なシンプロン峠の入口で、古くから商業で栄えた町。 今も南はシンプロン・トンネルでイタリアへ、北はレッチベルク・トンネルでベルンからドイツ、西はレマン湖方面からフランスへ結ぶヨーロッパの交差点で、ツェルマットやサースフェーへ結ぶ鉄道やポストバスの起点である。 玉葱形の屋根を冠した塔が印象的な城は、かつて塩の専売交易で財を成した実業家シュトックアルパーの邸宅。 人口1.1万人ほど。 |
シュトックアルパー城 | ホテルは城の真向かい、3連泊をして氷河の末端巡りをする |
ブリーク駅 | 古い街並みで風情がある | 日曜マーケットがあるかどうか |
日中は気温30度、アイスクリームにつられる | 甘さ控えめ | ブリーク駅 |
ブリークの街の、山の中腹を走る登山電車に乗る | スイスの電車は1階席、2階席とも空いている | 補助椅子も完備、至れり至れり |
SBB〜ドイツ語、CFF〜フランス語、FFS〜イタリア語 |
山間部の中腹を走る登山電車から、下には平地の電車やPTTバスも走る |
ブリーク駅前で売る果物 | 本日のおやつ |
☆アレッチ氷河:ランゲレッチァ (氷河の末端を見る)
アレッチ氷河は、スイス・ヴァレー州にあるアルプス山脈最大の氷河。ユーラシア大陸の西半分で見ても最大を誇る。 氷河の長さは23.6km(2001年12月)に及び、その中心部は年180 - 200mのスピードで前進している。アレッチ氷河を取り囲む9つの山頂はいずれも4000m級で、平均の標高は4108mである。 ユネスコの世界遺産委員会は、2001年にアレッチ氷河を世界遺産リストに登録した。 地球温暖化の影響 |
面白い工事車両 | ゴッペンシュタイン駅 | ランゲレッチア行きバスに乗る |
ファウレアルプが最終バス停 | バスは1時間半後まで待ってくれる |
氷河末端見学、 1日目は左の ランゲレッチアへ。 2日目は右側のエギッスホルンへ。 観光客が少ない盲点地区 |
ランゲレッチア氷河入口 | 快適なハイキング・コース 遠くに氷河が見える |
花がぞろぞろ出てきた | チン車もどき | ワタスゲ |
チドリ | チドリとワタスゲの群舞 |
地元の女子高校生が、唄を歌いながらすれ違う。何処の国でも若者は活気がありいいですね〜 | 氷河の末端 |
日本の若者・・・ 世界旅行で旅をする度、飛行機で隣に若者がいると極力話をする事にしている。 その時、各方面の若者にインタビューをしたが、親との会話は望まないが、一般の社会人との会話は非常に望んでいると結論を得た。特に活動的な大人には魅力を感じると言う。体験談とかが聞きたいと言う。 だから、機内の隣席の若者には積極的に話をしてみる。若い女性はチト苦手だが。 今回の旅の途中、千歳空港から成田空港までの間、溌剌として礼儀正しい大学3年生と言う男性と話をした。 現在はアメリカの大学に通い、今回は母の実家の小樽に行き、お婆ちゃんの顔を見に行きました、休みの度に親に代わって行くのです。お婆ちゃん孝行です。 両親は20年近く仕事でインドネシアに住んでいます。だから幼い時からインドネシア語、そして高校の時は中国語を習い、アメリカでは英語、だから4カ国語は何とか、日本語が一番下手ですね〜と言う。 出来れば将来は人の役に立つような、世界で活躍できる仕事が出来れば・・・と言う。 別れた後、良い青年だから決して日本の官僚や政治家にはなってはほしくないと願った。権力と汚職の世界に送り込みたくない有望な青年だから・・・ |
白い妖精たち |
チドリ足の酔っ払い? それは私でした | 人生、派手が良いねェ〜 |
昼下がりの美人! | 夜の蝶? |
小川が清涼感を誘う | 牛の柵 | 標識がワン・ポイント |
トウヒだろうか? | スイスも非常に森林が多いので調べてみた。 ↓下記 |
世界の森林率ランキング(世界189カ国調べ) 1位 スリナム(中南米) 94.6% 15位 日本 68.6% 95位 スイス 31.1% 以上 世界経済のネタ帳より |
子供3人を連れたたくましいお母さん、背中に一人 | ハロー |
☆アレッチ氷河 :エギッスホルン (氷河の末端を見る)
氷河特急と同じ路線上にあるフィーシュから、フィーシャーアルプ(旧キューボーデン)を経由してエッギスホルンへ結ぶ。 標高約2900mの山頂からはアレッチ氷河の全体を見下ろすことができる。 |
☆ホテルの窓から見る景色
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シュトックアルパー城は、塩の専売交易で財をなした実業家シュトックアルパーの邸宅、今は誰も住んではいない |
今日もしっかり朝食、テーブル・クロスはこの一帯の地図、親切 | ブリーグ駅前の、PTTバスの後ろには自転車を乗せられる |
氷河特急には食堂車、すぐお酒は飲めそう | しかし我々は2等車、車掌がチケット確認 |
スイス鉄道は効率的 スイスの駅やホームには誰でも検査なしで入れるし、降りるのも勝手である。日本の様な出入り口の駅員がいないのである。 時間が来ると音も合図も無くス〜ツと動きだす。注意していないとドアが閉まってしまう。時間の正確さは日本と全く同じである。 驚くのはチケット確認は、走り出した列車の中で車掌が一度確認するだけである。運転手と二人だけである。あとは売り子である。 車掌はドイツ語、イタリア語、フランス語そして英語も話す。そして愛想も非常に良い。女性も多い。多分教育がしっかりしているのだろう。 スイスの鉄道は驚くほど効率的なのだ。そして国内も綺麗だが、当然列車も綺麗、これは戦略として観光立国を感じる。 |
スイス人の語学力 その昔、スイスはヨーロッパ各国からの支配や住民が移り住んで、小さい国土なれどドイツ人、フランス人、イタリア人等が混在してきた歴史があり、言葉も3カ国語+ロマンシュ語を話す生活が求められた。しかしスイス語と言うのは存在しない。 複数の言葉を習得するには困難さがあったであろうが、それが逆にプラスとなっている。スイス傭兵として評判を得たのは、複数の言葉を話せる事が重宝となったと言う事、 同様に観光に力を入れている日本は、語学で苦労していることから見ると、何処で災い転じて福となるか分からない歴史がそこにある。 |
氷河末端見学2日目、アレッチ・グレィシャーの末端であるエギッスホルンに向かう。氷河の始まりはアイガー |
エギッスホルン行きロープウエイ駅 1,049m | アレッチ・アリーナの表示 |
ロープウエイで2,869mまで | ワンちゃんも頑張るの? ワン! |
途中駅 | 駅のポスター、こんな感じ? |
始発駅が小さくなってきた | 頂上駅はガスの中 | 頂上エギッスホルン駅 2,869m |
客が記念に名前を書いて置いて行くらしい | 頂上の茶店 | 氷河が見えてきた |
ガスが取れて大部分が見えてくる、はるかこの上は氷河の始発点、アイガーか |
動画・・・アレッチ氷河の末端 |
氷河のアップ写真 | 氷河は1年で200m下にずれると言う | 氷河と平行してスキー場がある。下方まで4時間のトレッキングをする |
素晴らしい景観である |
冬はスキー場、夏はトレッキング・コース | ガレ場を慎重に下る。ヤマ屋の本領発揮? |
いくら眺めても飽きない、オオ〜イ、置いて行くよ! | 氷河の末端が終わる頃、反対側の斜面には村や池、牧場が、更にその向こう1,000m下の谷には町が鉄道がある |
春一番の花が咲きだした | 急な斜面にしがみつくように咲く黄色ちゃん | 断崖絶壁にも |
慎重に、こけると数百メートル下まで超特急 | ここは天国駅で〜す、御乗車の方はお早くどうぞッ |
1,950mの小さな集落(手前)と、更に1,000m下に町がかすかに見える、絶景! |
1,950mの集落についた | 池には綺麗な水が |
クロッカスが咲いている | こちらもクロッカス、天然です |
放牧中の牛、必ず首には大きな鈴が動く度にガラン、ゴロン | 音がうるさいので難聴になりませんか? |
ようやく集落が、左下1,000mにはベッテンの町 |
カッコいい〜少年 | レストランで先ず乾杯!4時間は疲れます |
☆ベットマーアルプ
ローヌ谷の上に広がるテラスのような台地にリーダーアルプと並んで位置するアレッチ観光の拠点として有名な山村。リーダーアルプと同じくガソリン車乗り入れ禁止地区になっている。 氷河特急ルートの一部でもある麓の鉄道駅ベッテンから大型ロープウェイで上る。小さな古い教会と背後に連なる山並はまさに絵画のような美しさ。村の端にある乗り場からロープウェイで、さらに上にあるアレッチ氷河の絶景で有名な展望台ベットマーホルンへ結んでいる。 山頂のパノラマレストランからは、氷河と反対側に広がるマッターホルンやアラリンホルンなどのヴァレー(ヴァリス)アルプスの名峰も見渡せる。 山々を映しとる湖ベットマーゼーやアレッチ氷河周辺など、雄大な自然が楽しめる多彩なハイキングが人気。 |
教会とスイス26州の旗が閃く |
スイスには26のカントン(州・準州)があり、各自治体の権限は強く、独自に地方の行政をとる事が可能なスイス独自のシステムである |
何かを言ってます | 鉄道駅が真下に | ベッテンかr帰りましょう |
☆スイス・ワインの里 (サルゲッシュ)
スイスワインに魅せられてついにワイナリー訪問 | ヴィスプにほど近いサルゲッシュに向かう | サルゲッシュ駅 |
この路線は往ったり来たり | この辺一帯がブドウ園 |
丘陵地帯はブドウ畑、ワインの香りがしてきそうだ | たわわに実るブドウ | まだこりゃ、グリーンワインだ〜 |
村の教会 | パンと葡萄酒、そうキリスト |
早速レストランで赤ワインをたしなむ | 美味しそうな赤ワイン |
教会と葡萄畑 |
ついでに葡萄畑をトレッキング3時間、山越え、野を超え、ハード |
1mの高さもあるゴミ収集箱、分別毎で厳しい | 木彫り熊 | 日本の木彫り熊はスイスを見習った |
日本の木彫り熊の発祥はスイス 北海道八雲町で発祥した木彫り熊。それには、尾張徳川家第19代当主、徳川義親が大きくかかわっている。 徳川農場の農場主で、1918(大正7)年からは八雲へ熊狩りをしに毎年のように訪れていた義親。そこで経済不況などの影響もあり、貧しい生活をしている農民の姿を目にしていた。 1921(大正10)年からヨーロッパ旅行に出かけていた義親は、スイスのベルンにて農村美術品(今でいう民芸品)を目にする。そこで義親は、冬の間は農作業ができない八雲において副業として農村美術品制作をおこない、販売すれば現金収入となり、生活の向上に繋がるのではないかと考え、いくつか購入して持ち帰る。 そして、北海道第一号の木彫り熊が姿を現わす。スイスの木彫り熊を参考として。 1928(昭和3)年頃までに日本全国に、それぞれの地方色ある工芸品を作る運動として、また農村生活の経済・文化を改善する運動として農村美術は広がっていくのであった。 |
シオンの駅から見える城へ向かう | 改築中であった |
ブリークのCOOPでお買い物 | ここにいると酔ってきそう |
ウイスキー売り場で「余市ウイスキー」発見、どうして? | 左から2番目、この瓶見て、上が傾いている |
☆ベルン (首都)
ユネスコの世界文化遺産に登録された。 大聖堂や13世紀の城門につくられた時計塔、彫像が美しい泉(水飲み場)が点在する町並みを残す一方で、スイス連邦の首都として便利な近代都市の機能も兼ね備えている。 1191年ツェーリンゲン公ベルヒトルト5世によって造られた町がはじまり。13世紀から自由都市となりさらに発展していった美しい旧市街は、1983年に |
ベルン駅 | 駅前のバス・ターミナル |
バス・ターミナルで学生らしき一団がパフォーマンス | 軽快に踊る若者たち | 変なオジサンがつられて余興 |
パイプ吹きの噴水、ベルンには100か所も噴水が | 800年近く、時を刻み続ける時計塔 |
ビルの屋上に小部屋が多数 | スイス兵の行進? |
☆スイス傭兵
スイス傭兵は、主にスイス人によって構成される傭兵部隊で、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各国の様々な戦争に参加した歴史がある。特にフランス王家とローマ教皇に雇われ、特にスイス歩兵の精強さがヨーロッパで認められるようになったのである。 国土の大半が山地で農作物があまりとれず、めぼしい産業が無かったスイスにおいて、傭兵稼業は重要な産業となった。また傭兵稼業によってスイスは強大な軍事力を保有する事となり、隣接する他国にとっては、侵略が極めて困難であり、侵略してもそれに見合った利益が得られない国と看做されるようになり、スイスの安全保障に貢献し、「血の輸出」と呼ばれた。 しかし、1874年にスイス憲法が改正され傭兵の輸出を禁じるようになり、1927年には自国民の外国軍への参加を禁止したため、スイスの傭兵輸出産業は完全に終了することになった。 スイス傭兵が優秀で合った要因はつぎのとおりである。 だが、とくに律儀なスイス人は、派遣された国の意思に忠実で、スイス兵同士が戦う場合もあった。一家の兄弟で、兄はプロテスタント・オランダの兵として、弟はハプスブル家のカトリックの兵士として殺しあうといった悲劇も珍しくはなかったと言う。 こうした傭兵派遣はネパールが有名である。ネパール山岳民族から構成される戦闘集団の呼称でグルカ兵と呼ばれており、今も世界に形を変えて民間軍事会社として派遣されている。 |
何故、バチカン市国の衛兵は イタリア国民でなくスイス国民が しているのか? 1527年にバチカンが神聖ローマ帝国に攻撃された際、教皇を守る為に、189名中42名しか生き残らなかった。それ以降、バチカンはその恩義に報いるということでスイス傭兵を雇い続けている。 |
趣がある通り |
ランチ・タイム〜チキン | 魚かな | イカリングフライ、ポテトフライがメイン |
スイス国立銀行本店 | 連邦議事堂 |
ワンポイント情報 ・国名 スイス連邦 ・民族 主としてゲルマン民族 |
スイスの主要産業 ・機械産業 機械、電気、金属産業はスイスの輸出全体の約3割に貢献している。 |
スイスの主要企業ウエイト
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アーレ川 | アインシュタイン・ハウスを見るため通りを探す | このビルにアインシュタイン・ハウス |
アインシュタイン・ハウス入口 | アインシュタイン |
結婚した頃のアインシュタイン | 晩年のアインシュタイン |
アインシュタイン・・・ アルベルト・アインシュタイン(1879年 - 1955年)は、ドイツ生まれのユダヤ人の理論物理学者。 20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。1921年のノーベル物理学賞を受賞した。数多くの業績のほか、世界中に広くその存在が認知されており、しばしば天才の代名詞として引き合いに出される。 1895年、スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験するも失敗。しかし数学と物理の点数が最高点だったがため、翌年度の入学資格を得られることになった。以後スイス国籍を取得する。 |
スイスは音楽家も多い、通りで演奏する人 | こちらも演奏家? |
☆チューリヒ (スイス最大の都市)
国際空港があるスイスの玄関口チューリヒ。 ローマ時代から栄えてきた歴史を誇り名所史跡も数多く点在している。レーニンやアインシュタインも住んだのがこの町。 |
リマト川と大聖堂 | 聖母聖堂 | 聖母聖堂に近いホテルが今夜の宿 |
☆どうしても行きたかったODEON・・・
チューリヒに来ると、どうしても「ODEON」と口癖になっていた。山と温泉の師匠は20年前にここに訪れ、その懐かしさからどうしても行きたいという。 私も興味は募る。 スイス暮らしの作家、長坂道子さんの「ODEON」評は次の通りである。(抜粋) ベッチンのカーテン、バーのしつらえから床のモザイク模様にいたるまで、すべて昔そっくり元のまま、という、その点でもなかなか希少価値のある、 したがって味のある店である。 この店に足しげく通い、何時間でも居座り続けた文化人の中には、ジェイムズ・ジョイス、シュテファン・ツヴァイク、サマセット・モームなどの文学系、 アインシュタインをはじめとする学者系、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、トスカニーニ、アルバン・ベルグなどの音楽系、そしてレーニンや ベニート・ムッソリーニなどの政治系など、そうそうたる名が知られている。レーニンはオデオンのテーブルに何時間も陣取って、来るべきロシア革命の 構想を練ったともいわれている。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4人で探す事1時間半、そろそろあきらめようかと思ったその時 「あつた!」 感度の一瞬。 そう、レーニンの革命前夜の情熱のごとく。 |
正面、103年の歴史 | カウンターとボックス席、さすが雰囲気抜群 | カップル、女性同士、芸術家タイプ、革命家タイプ?色々 |
この若いスイス兵士、終始女性の背に手を当てて・・・ | 我らが教授、革命の夢語る。師匠も思い出にふける |
先ずはビールでしょ! | やはりワインがこの場所には合う | グラスにまでODEONのマーク |
最後は有り金全部と、どんどんオーダー | 夜も更けていく。午前3時までは、まだまだ・・・ |
ダーメンとあるから、男トイレと勘違いしますよね | ヘレンは女性の名前? 実はこちらが男のトイレ |
夜も更けて、カラスが鳴くから帰りましょう!! | 夜の 聖母聖堂 | 夜の大聖堂 |
朝、現金が少ないのでチューリヒ中央駅のパン屋で朝食 | ハート・マークのサンドイッチ、半分でも多すぎる |
思い出のスイス、特徴ある衣装 | 優しいスイス人 |
COOPで土産物、チョコレート売り場 | 牛の首につける鐘、気になる人の首にどうぞ! |
マッターホルンの絵入りチョコ | 全てチョコ |
リマト川はやがてはチューリヒ湖へ | バーンホフ橋には愛の南京錠 | チューリヒ中央駅から空港へ、さよなら〜 |
☆略史
年 月 | 略 史 |
紀元前3000年 | 現在のスイスに人が住んでいた痕跡がある。 |
紀元前1世紀〜 | シーザーにより400年間、ローマ帝国の支配下にあった。 |
4世紀 | 200年間、ゲルマン系の民族が移住してきた。 |
12世紀 | 農業革命で収穫力が上がり、南欧と北欧の商業圏の交易でアルプス越え活発。 |
13世紀 | 南北を結ぶ最短ルートがスイス国土で開発、産業と経済が活発となる。 |
1200年代 | スイスの小さな領主であったハプスブルグ家と神聖ローマ帝国のせめぎあい、1291年8月1日、国内3地域の代表が「永久同盟」でまとまり、スイスの建国記念日となる。 |
1848年 | ナポレオンの影響下から脱し、「連邦体制」が確立した。 |
15世紀後 | 国土の狭さ、人口過剰の結果、海外へ傭兵派遣が活発化した。 |
1674年 | 「武装中立」を宣言し、スイスの永世中立が始まる。 |
1815年 | 国内産業育成で、繊維産業と精密機械産業などの近代産業が始まった。 |
1940年 | ドイツ・イタリアによる世界大戦で、アルプス越えを求められたが反対をし国内侵攻を拒否。 |
1957年 | 永世中立維持のため、EC,国連加盟を拒否。 |
2002年 | 国民投票で国際連合加盟となり、190番目の加盟国となる。 |
今後 | 国際社会の中で、いかに「中立」を貫くかが、スイスの課題となる。 |
☆宿泊ホテル
チューリヒ |
ラウターブルンネン STINBOCH |
グリンデルワルト Central Hotel Woolter |
アンデルマット HOTEL SONNE |
ツェルマット Hotel Garni Bella Vista |
ツェルマット バルコニーからマッタホルンが見える |
サース・フェー Panorama Kidshotel Alphubel |
ブリーク Schlosshotel Art Ffurrer |
チューリヒ Hotel Alexander /Arexander Guesthouse |
旅を終えて・・・ 長い付き合いの山仲間は良い。昼も夜もアルコール、半端ではない。話も尽きない、上の話も下の話も品があり面白い。?。 山も氷河も、温泉、観光名所も登山列車も素晴らしかった。これからのスイスはまだまだ観光で生きられる事だろう。 しかし、中国人が多くなってきた事で驚く。彼らの表情とスタイル、固さと冷たさが気になる。そして声も大きく周囲の雰囲気を壊してしまう。何れそれらが解消した時、欧米人と同様にフレンドリーになるかもしれない。期待したい。 そうは言っても、こちら日本の大阪のオバちゃんがたも声の大きさと傍若無人振りは負けず劣らず。バスで乗り付けるツアー客はまだまだ中国に負けてはいない。頑張れ、大阪のオバちゃん。 終わり |