ゴーギャンが愛した、南太平洋の最後の楽園
「タ ヒ チ」
ブルーラグーンに立つ水上バンガロー |
旅の初めに・・・ 2015年11月、リゾート地として世界で名高く、「南太平洋の最後の楽園」と言われるタ ヒチ 島を計画。 今年は南太平洋の旅が多い。だが今回の目的の一つはゴーギャンの足跡に迫るのが楽しみである。ゴーギャンがこよなく愛したと思われるタヒチ。 同じタヒチの大地に立ち、同じ風土に触れ、同じ空気を吸い、何が感じられるかである。 ゴーギャンを語る時、そこに必ずゴッホがいる。 2010年ゴッホが生まれたオランダに行き、その絵に触れた。そしてゴーギャン展も見た。そしていつか必ずタヒチへ行きたいと心に決めていた。 夢が実現する・・・・・ |
☆タヒチ島とは
ワンポイント情報 ・国名 フランス領ポリネシア ・民族 ポリネシア人83%、ヨーロッパ系人種12% |
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タヒチは5 | 今回はタヒチ島、モーレア島を巡る |
☆最初は列車旅
数十年ぶりに札幌~上野間をJRの旅とした札幌~函館は4時間、雪の駒ヶ岳が美し | 青函トンネル内の特急 2時間列車は海面から240m下を通る |
青森からは新幹線 3時間東北の田園地帯、津軽三味線が聞こえてきそうだ |
雪を覆った駒ヶ岳と大沼の湖水に映える逆さ駒ヶ岳、旅情を一層誘う |
青森に入ると岩木山、堪らない風情を感ずる。日本は平和で良い国だと感ずる一瞬である | 青森のリンゴは夏の風物詩 |
長万部名物「かにめし」で早速一杯 | 何時食べても美味い。森町名物の「イカ飯」と日本一の駅弁を争う |
「三大蟹そぼろ弁当」も旨そう、次回はこれだッ! | 「大沼だんご」は多くの女性フアンを抱える |
こぼれ話・・・ 上野まで行くのですと、初老の男性が青森から隣席に座った。 岩木山の麓で、りんご園を何代にも渡り営んでいると云う。いわば農業である。しかし第一次産業に従事しているような雰囲気は全く感じられない。 上野駅までの3時間、りんご園の苦労話、青森の風土、将来、外国産のリンゴとの比較、後継者問題・・・・・ お話に酔ったのか、ポケット・ウイスキーとビールに酔ったのか、3時間は3分で終了した様な気がしました。 考えると、その昔大学に通う数年間、このラインを24時間程度SLの真っ黒な煙に辟易しながら通った事が思い出される。若き青春時代であった。 |
☆ 出 発
東京で前泊、すこぶる酒に酔い、成田~タヒチのパペーテへ | エア・タヒチ直行便で11時間、ワインに酔いしれる |
機内は90%が新婚カップル、目に毒である | 機内食は2度、後方には軽食、インスタント・ラーメン、ワインにビールを快く |
☆到着
首都パペーテの空港 | タヒチアン・ダンスのポスター |
成田は10度、ここタヒチは30数度、暑い | 空港の草むらにはカニさんが散歩 | 空港入り口では歓迎のタヒチアンダンス |
☆タヒチ島
☆タヒチ島MAP
空港からバスでパペーテの街へ | ヤシの木が南国情緒で迎えてくれる | 空港前のパトカー、治安は100%平和 |
☆タヒチのパペーテ(首都)
街には黒真珠の店が一杯 | 空港に着くと、この花のレイが贈られる | 街の店先、タヒチは国土が少ないので野菜は高い |
日本からの観光客は1万人前後とか | 花の国である |
のんびりと花を加工して売っている | 国民は皆愛嬌が良い | ツリーが飾られている |
余りにも暑いので、ちょいと居酒屋へ | 先ずはビール、ビールの名前になっている「ヒナノ」はタヒチの女性の典型的な名前で、日本で言えば「花子」のようなもの。 |
次は赤ワイン |
☆モーレア島へ
芸術家の島、モーレア。画家、彫刻家、宝石工芸家、タトゥーイストなど、数多くのアーティストがモーレア島に居住している。 言わば洗練されたリゾートライフと素朴な南太平洋の自然が巧みに調和している島がモーレア島と言える。リゾート施設は眺望にすぐれた島の北側に集中していて、クック湾や オプノフ湾から緑に煙る山並みを見上げたり、逆に山頂から望む2つの湾の壮大な景色はタヒチの中でも最も美しい景色と言われている。 |
フェリーに乗り45分程度、船内は体格の良いタヒチ人が多い | 七色に映えるラグーンが見えてきた |
モーレア島MAP、島を巡るには半日を要する |
モーレア島 | 観光名所、ベルベデール展望台 |
☆ホテルは水上バンガロー
ホテル名は「モーレア・パール・ピーチ・リゾート」 | 人気のバンガローを予約 | 浅い海の上に建つバンガロー |
ウエルカム・ドリンク | 部屋のベッドには、ハートマークの花輪と黒真珠 | 部屋は清潔そのもの、快適 |
部屋のベランダからは、カヌーに乗った人達が手を振るのが見える | 部屋のベランダから、ズラリとバンガローが見える |
部屋のベランダ、七色の海が見える | 部屋の床はガラス張り、魚が大小、色とりどり。ここは天国? | バス・トイレ・ミニバー、何でもござれ |
ここが我が家、3連泊。ベランダから海へ直接 | プール、レストランやバーがすぐそこに | はしゃぐ子供達、青いプールの左側はすぐ海 |
☆人気の店でディナー
フランス語は得意ではない、日本語は得意だが | 囲気抜群、静かな南国のミュージックが流れる | あれもこれもと・・・酔いがまわる |
シーフード、ココナツオイルのソースが抜群 | ビーフ、本格的フレンチだけあり頬がおちそう |
動画・・・・・タヒチアンダンス |
朝食も太平洋を眺めながら | タヒチの現地人を思わせる彫刻 | カヌーや観光船 |
ホテルの正面 | 街の民家の塀には花が色とりどり | 民家の塀、見事な石塀 |
木の枝が下がってきて地面に根付く | お尻が大きいから女性の銅像? | 観光船に乗る人々 |
コンシェルジュ(よろず承り係)の日本人ちひろさん | くぼたちひろさんはフランス人と幸せな家庭 | タヒチには沢山の日本人が働く |
☆ハッピー・アワー
ハッピーアワーは、ドリンクが2時間半額 | 涼しくなったバーでひたすら飲み食い、南国の夜を感ずる |
☆黒真珠
ホテルからプレゼントされた黒真珠 | 1個、数億円するのでしようか? |
黒蝶真珠 黒蝶真珠とは、黒蝶貝から採れる真珠で、緑や青などを帯びた黒っぽい真珠のこと。この黒や緑の色は天然の色。 フランス領ポリネシアは世界最大の黒蝶真珠の輸出国で、世界の90%以上のマーケットシェアを誇っている。最盛期の1990年代には年間およそ8トンから10トンの輸出量、金額にして200億円以上の輸出を記録している。黒蝶真珠の輸出には1グラムあたり200xpfの真珠輸出特別税が課せられ、多いときには20億円以上の直接税収がもたらされている。 |
☆モーレア島観光
4WDで半日観光、変わった形の山が多い | 画家ゴーギャンも訪れたモーレア島 |
☆ラグーン
タヒチの何処に行っても見られるこの景色、実際に見ると七色に見える |
尖った山が随所に現れる | キャプテン・クックがその昔訪れた入江 |
☆プランテーション
タヒチは果物が豊富、遠くにロツイ山 | パイナップル | 主要な輸出品 |
ロツイ山の景観 | パパイア |
火炎樹の木がそろそろ満開 |
村のあちこちにあるジュース販売所 | 数種類の味を見てからジュースを買う |
☆ベルベデール展望台
クック湾、オプノプ湾、ロツイ山が一望できる絶好のパノラマスポット、ベルベデール展望台 |
☆原住民住居跡
ドライバー兼ガイドのフランス人が英語で説明 | 蛇のように曲がりくねった樹木 | タヒチの現地人 |
☆リカー&フルーツジュース工場
工場兼お店 | ジュース、フルーツは読めます | 試飲、アルコール度が高い |
トラックで畑から運ばれたパイナップル | お土産にはチト重いし・・・ |
花も葉っぱも瑞々しい | どこか可笑しい日本語! |
☆モーレア島→タヒチ島(フェリー)
舟遊び? | フェリーでビールとおやつ |
☆ 再び タヒチ島へ
ホテルはマナヴア・スィート・リゾート・タヒチ | プールのこちら側は海 | 夜のプールは幻想的 |
ホテルの庭 | ホテル | ホテルの前はすぐ海 |
ユニークなホテルの屋根 | 海に面したバー |
南国タヒチの花 | ムム~ツ |
☆ショッピング・センター
長さ30cmもある巨大なスィーツ | 宗主国フランスの凱旋門の絵入りチョコ |
物価は全て高いが、庶民の主食パンは70円程 | その他のパンは高い |
巨大なサーモン、60cm程度 | キューリ1本200円 |
ゴーギャンの紀行文「ノアノア」(かぐわしい)のチョコ | ゴーギャンの絵入り | ゴーギャンで商売になる |
☆ホテル
フランスパンとフルーツが美味しい | 朝食はビュッフェ・スタイル | 朝はしっかり |
☆南太平洋の落日
南太平洋の夕日も、御来光もラグーンに映えて美しい |
☆ヒナノ(HINANO)
ビールの名称はヒナノ | ヒナノは愛称、日本の花子さん | 本日のランチは部屋で、ビールにフランス・ワイン |
☆珍客御訪問
毎朝珍客がベランダに来て「起きろ、起きろ!」 | 昨夜のフランス・パンをテーブルにプレゼント | 細かくするのが大変 |
来たっ! | また1匹、その後3匹、どうやらファミリー。御馳走さんと言って帰りました |
ビーチで結婚式の撮影 | アジア系でしようか | 花嫁さん、こぼれそうな笑顔 |
☆タヒチへの日本人移民と出稼ぎ
明治維新後の日本は、第二次世界大戦後に至るまで、労働力が過剰だったために移民を送出する側にあった。 ハワイ、ブラジル、ペルー、パラグアイ等の南米諸国、フィリピン、そして日本の委任統治下にあったパラオなどの南洋群島などがある。 第二次大戦後からは、オーストラリア(3773人)、ニュージーランド(1046人)、ニューカレドニア(5074人)、フィジー(91人)、タヒチ(541人)に移民している。 仕事の多くは大工、船大工、火夫、料理人、鍛冶屋、建設作業、農業、漁業であった。 タヒチの宿泊したホテルの土産物店のオーナーの男性は日本人と同じ顔であったので、つい挨拶をしてしまったが、通じない。なんとかフランス語で無く、英語で話をしてくれたので理解出来た。 話によると母親が日本人で、タヒチ人の父親と結婚して自分が生まれたが日本語は全く話せないと云う。 |
☆タヒチ博物館
タヒチに住む日本人ガイド | 博物館全景 | タヒチは女性ドライバーが多い |
現地人がお迎え | タヒチは右側、日本は左上 |
タヒチのジャンヌダルグ | タヒチ島にヨーロッパ人現る |
中庭の不思議な樹木 | 中庭 |
☆ゴーギャン博物館
全景 | ゴーギャンの絵 | 館内 |
☆アラフラフのマラエ(古代の祭壇)
看板 | 中庭に銅像一体 | 原始宗教の人形か |
祭壇 | 周囲には大きな竹林 | 祭壇にある飾り物 |
☆ヴァイパヒガーデン(植物園)
看板 | チケット売り場 |
神秘的な滝 | 蓮の花 |
☆アラホの潮吹き穴
アラホの潮吹き穴 | 確かに潮が吹きました | たくさん吹きました |
☆ビーナス岬
サーフィンに夢中 |
タヒチ最高峰のオロヘナ山とアオライ山 | タヒチ人の平均寿命は60才以下。その要因は食べ過ぎで糖尿病が多い。 |
今夜はホテルのレストランで豪華に? | タヒチはマグロがたくさん獲れる、刺身で。 |
ゴーギャン コーナー |
☆ゴーギャンの足跡と時代
・1840年 パリに生まれる。父は新聞記者、フランス2月革 ・1855年 (17才~19才)船員で世界各地へ |
・1891年(43才~45才) 第一回目のタヒチ・マタイエア |
ゴーギャンの自画像と写真 | ゴーギャンの妻「メット」 4男1女をもうける |
☆ゴーギャンの住まい
最初は首都パペーテ(左上)に住むが、都会であったので敬遠、マタイエア(下)に住む。二度目はブナアウィア(左側)に住む |
☆ タヒチ (一度目の滞在:マタイエア)
この地で資金稼ぎのために紀行文を書く | タヒチでの現地人14才の「テハマナ」と同棲 | テハマナと2年間生活、1人子供が生まれる |
ゴーギャンの住まいがあったマタイエア村、右の広場 | 1891年、今から120年前にこの地をゴーギャンは馬車に揺られながら来た |
昔も今も変わらないタヒチのこの景観 |
野生を求めて・・・ ゴーギャンは1891年の43歳頃、「西洋」と「野生」の対比を明確にしていく中で、フランスを離れ、熱帯で制作するためにタヒチを訪れる。 文明の影響から解放され、心静かに暮らし、汚れない自然の中で自分を鍛え直し、野蛮人(野生の人)にしか会わず、彼らと同じように生きる必要があると考えた。 そして現地の言葉を少しづつ覚えた。不自由をしていると、中年の女が良かったら私の娘を上げようと言い、背の高い若い娘を連れてきた。14歳のテハマナであった。 |
同棲していたテハマナの彫刻 |
テハマナはゴーギャンの格好のモデルとなる | テハマナ |
1893年45才、 ジャワ人女性「アンナ」と同棲中の絵(フランスにて) | 1888年(41才)ゴッホと同居中、ゴッホを描く | 話題作、黄色いキリスト この絵は日本の浮世絵の影響を受け、重厚な輪郭線を用いている。 |
☆印象派とポスト印象派
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印象派 印象派は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動であり、当時のパリで活動していた画家たちのグループが起源である。代表的な画家はモネ、マネ、セガール。 ゴーギャンは印象派の画家は、余りに写実を重視し、象徴的な深みを欠いていると批判している。 上 モネの「印象・日の出」 中 マネの「草上の昼食」 下 ルノワールの「ブランコ」 |
ポスト印象派 ポスト印象派 は、印象派の後に、フランスを中心として主に1880年代から活躍した画家たちを指す便宜的な呼称である。一般的には、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどを指す。 印象派を超克しようとした画家たちである。この区分は印象派に対する態度によるものであることから、様式的な共通性は希薄であり、それぞれの画家の画風は大きく異なる。 上 ゴーギャンの「タヒチの女」 中 ゴッホの「ひまわり」 下 セザンヌの「女性水浴図」 |
☆ タヒチ (二度目の滞在:プナアウイア)
2度目のタヒチ、ゴーギャンの住まい | この地でゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか・・・」を描く |
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」 ゴーギャンの大作で、遺書として描かれたこの絵は二回目のタヒチでの作品である。この時ゴーギャンは病気がちでしかも失意の底にいた。元来の浪費癖と喧嘩癖、そして多くの女性と接するうちに梅毒にもかかり苦難の連続であった。そして愛する一人娘を亡くしている。 これは自らの芸術の集大成として描いたと云う。 この絵の意味するところは静止を現わしている。画面右下には赤ん坊、真ん中の手を挙げている人物は智恵の樹の美を採るイヴ、左下の老婆は死を迎えている。誕生から死への歩みを暗示している。 ゴーギャンは人間とは何かと自らに問いかけていると云われる。いわゆる哲学である。 この作品は何と全長4.5mに及ぶ。 |
2度目のタヒチに滞在の時、以前の「テハマナ」から同居を断られ(既に彼女は他の男性と結婚していた)、現地の女性「パウラ」と同棲、子供二人をもうける。この絵は一人の子供が死亡し、連れ出そうとしている絵である。失意のバウラが描かれている。 6年間滞在、その後終焉の地、マルケサス諸島へ。 |
☆ゴーギャン終焉の地、ヒバオア島(マルケサス諸島)
タヒチは理想の地ではなかったと、更に1500km離れた地へと行く |
マルケサス諸島のヒバオア島 伝説によれば、ヒバオア島は、“神の屋敷”の大梁。今日、「マルケサス諸島の庭」と広く呼ばれているのは、肥沃で、ひときわ植生豊かであるためである。この島の特徴は、手つかずの自然。奔放に生い茂る緑がここにある。 道路や家はほとんど見あたらない。山の尾根は鋭く、景色はダイナミック。山と谷には遺跡が点在し、仏領ポリネシア最大のティキ像もこの島にある。島を縁取るのは黒砂の海岸と太平洋に突っ込むような絶壁である。 島の中心的な村アツオナは、タアアオ湾の端に位置しており、島内1、2の高い山(テメティウ山1,276m、フェアニ山1,026m)がそれを見下ろしている。この島は、著名な芸術家2人が住まいに選んだ島でもある。フランスの画家ポール・ゴーギャンと、フランスの歌手で俳優、詩人でもあったジャック・ブレルである。 ヒバオア島に滞在したくなる3つの魅力ゴーギャンとブレルの思い出1901年にポール・ゴーギャンが、また1975年にジャック・ブレルが、言うなれば「自己の内なる安寧」を求めてヒバオア島にやってきた。求めていたものが得られたかどうかは分かない。 しかし、朝日が昇る時、島を照らす光が息をのむほど美しく、そこに永遠を感じさせる清らかさがあるのは確だ。 この島を訪ねれば、きっと言葉にならない感情が生まれることを理解できると云われる。2人の足跡をたどりつつ、カルヴェール墓地を訪ねる。 マルケサス諸島に暮らしていた間に、彼は最も世に知られる作品群を描いた。そのインスピレーションの源は、島の人々の日常生活や島の伝説、宗教的なしきたりなどだったという。 ティキの島ヒバオア島には訪ねる価値のある遺跡が多数あり、例えばプアマウ村にある祭祀遺跡メアエ(マラエ)では、仏領ポリネシア最大のティキを見ることができる。 タカイイ(2.43 m)は、うっそうと生い茂る植物に囲まれた、珍しい笑い顔の像。また、近辺にはペトログリフ(岩絵)も見られる。タアオアには、石の台座やティキ像が見られる巨大な祭祀場があり、その祭祀場を守るように、巨大なベンガル菩提樹(バニヤンツリー)、パンノキ、ココナッツ、パパイヤの木など手つかずの自然が周囲に広がっている。 |
☆ゴーギャンの墓
ゴーギャンが住んだ「快楽の家」 |
「いつ結婚するの」 史上最高額となる360億円で落札 |
ゴーギャンと住んだ現地人女性「マリーローズ」 |
旅の終わりに・・・ タヒチの海、ブルーラグーンはやはり目を見張る美しさであった。タヒチ島が海に囲まれ、しかも海は殆どが遠浅の為、深さによってその色が変わるのである。青、群青色、紫、白、黒、灰色、ピンクなどなど、絵画はそこまで迫れない。表現に苦労する。 ゴーギャンにまつわる物は殆どなかった。ただ野生と景観は当時と同じものがそこここに有ったように思われる。タヒチという国柄は時計が止まっているかのようであった。ラテンの国の様に陽気で、のんびりしている。 無理もない。南太平洋は楽園だ。衣食住には不足がない。衣は暑いのでTシャツ1枚で暮らせる。食はヤシやパイナップル、バナナが野生で沢山、魚も獲れる。住もヤシの葉で簡単、金が必要ない。 人々は朝陽が昇ると1日が始まり、夕日が出ると休む。だからこのタヒチでは人工の時計は必要ない。ホテルのどこを探しても時計は発見できなかった。だから新婚カップルが理想郷としてタヒチを訪れるのであろう。言葉を換えれば愛を極める極地と云えるのだろう。 こんなのんびりした島では「おれおれ詐欺」などにはかからないだろう。タヒチの人々は優しく心をいつもオープンにしていた。忘れられない国だ。ゴーギャンが選んだ島だけある。 終わり |